1999/7/4
今この時そこに在る者


 オホーツク海沿いを、宗谷岬から網走方面へ向けてひたすら南下する。天気は悪くないのだが、時折前方に大きな雲の塊が現れ、それを過ぎるとまた陽の光が射してくる。さっきからずっとこの繰り返しだ。
 車の殆ど通らないその道は、ひょっとしたら終わりがないのではないかと思えるくらいに、長く、退屈だった。左手に海岸。右手に草原。トリップメータの数字と腕時計が、あっと言う間に随分と長い距離を走っていることを教えてくれる。ガソリンの残量が心許ない。そろそろ町を見つけて給油しないと、そのまま行き倒れになりかねない。実際にはいくらかの車の往来はあるので、そんな風になることはないだろうが、でもそれは、俺にとって初めて体験する恐怖だった。
 いや、初めてではない。いつかどこかでこれと同じ恐怖感を味わったことがあった。少しでも油断すると仲良くなりがちな上瞼と下瞼を必死に引き剥がしながら、記憶のデータベースに検索をかけるのだった。

 少年の頃に、父母に連れていって貰った夏祭りで迷子になったとき、見上げる大人達の誰もが俺をさらってどうにかしてしまう悪者のように思えて、父母とはぐれてしまったことよりもむしろ、そのことの方に恐怖を覚えたことがあった。
 もちろん、父母が側にいない不安感もあったが、祭りが催されていたそこは見知った場所であり、電車に乗って二駅も行けば家に帰れることも知っていた。柵を乗り越えてホームに入り込めば簡単に無賃乗車が出来るという事を、悪友と共に何度か経験していたおかげで、貰った小遣いの全てを使い果たしたその時であっても、金を持っていないことを気に病むこともなかった。もっとも当時その区間の子供運賃は、たったの三十円であったのだけれど。

 状況は全く違うが、その時俺は確かに、あの時の自分が感じたのと同じ種類の恐怖を感じていた。それは多分、一人きりということ、なんとかなる筈だという思い、未知なるものへの恐怖というそれらの共通点が、俺に少年時代の甘酸っぱい郷愁を思い起こさせたのだろう。

 遠くの岬に微かに町並みが見え、ロールプレイングゲームの主人公が町を発見したときのように頭の中でファンファーレが鳴り響き、アクセルを大きく開けて、少しでも早くその町に辿り着いて、この不安な気持ちを払拭したかった。
 それなのに、入り組んだ海岸線のせいで、いつまで経ってもその町の姿が大きくなっていかない。焦る気持ちとは裏腹に、嘲笑うように一向に近づかない逃げ水のような存在。遂にアクセルがつかなくなり、燃料コックをリザーブ位置にしなければならなくなる。省燃費走行を強いられるおかげで、ますます町が近づく速度が緩やかになっていく。
 これでもし、その町にガソリンスタンドがない、または、ガソリンスタンドが営業していない、等となれば、いよいよどこかの民家で事情を説明して、ガソリンを分けて貰う他に手段がなくなる。その時の気恥ずかしさを想像して、改めて自分の計算の甘さに腹が立つ。
 でもなんとかガス欠にならずにその町に入り、ガソリンスタンドを見つけて給油することが出来た。その安堵感はやはり、あの時の母が自分を呼ぶ声を聞いたほっとした気分にどこか似ている。
 ガソリンスタンドに併設された商店でパンと牛乳を買い、店の軒先で、その店のおばちゃんと他愛のない話をしながら昼食を摂った。目前の海を眺めながら、不意に現れた話し相手を喜ぶおばちゃんの昔話を聞いていて、確かにいつかこれと似た状況を体験した筈だという、いわゆる既視感という奴に捕らわれた。
 その日はなにかと、意識と記憶が曖昧になる日だった。それはきっとこの退屈な道程のせいであるし、目的地を定めない不安定な旅のせいでもあっただろう。でもそれは、俺が自ら望んだことだし、別にそれを嫌だと思っている訳でもなかった。ただ一つ、俺が未来を目指しているのか、過去を振り返ろうとしているのか、それだけがわからなかった。

 紋別を過ぎ湧別に入ると、左手にサロマ湖が見え始めた。風呂に入りたかったが、通り沿いの温泉は入浴料が高くて、結局諦めた。地図を引っ張り出してキャンプ場を探すと、常呂へ入る手前にキムアネップ野営場というのを発見し、そこを今夜の宿とすることに決めた。
 砂利敷きのその野営場には、トイレと水場だけがポツンとあり、管理人もおらず、周囲は背の高い草で覆われ、その草むらのすぐ向こうにサロマ湖が広がっていた。テントを設営し、荷物をテントの中へ放り込んでから、その草むらをかき分けて湖岸へ出て見ると、夕日に映えた湖面のさざ波が、きらきらと黄金色に光り輝いていた。

 常呂の町まで食料の買い出しに走り、飯が炊けるまでの間に、あの黄金色の湖面を思い浮かべながら、一人、バーボンを煽った。
 夕飯の後かたづけを終えて、再びバーボンをマグカップに注ぐ。カップの中を天の川が横切り、それを飲み干そうとしてふと、未来でもなく、過去でもなく、今この時を目指しているのだな、ということに気がついた。俺はたった今、この時だけに存在しているのだ。


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