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森のかなたのミューズたち

ルーマニア音楽誌

美の歴史を体現する人々
暮らしの中の歌と踊りをみずみずしく
住谷春也

みやこうせいが「一つの原ヨーロツパ」を発見したのはルーマニア北部トランシルヴァニアの一隅のマラムレシュだった。地味の貧しい険しい岩山にも茂り、風や霜に耐えつつ凛として真っ直ぐに伸びるモミの木をマラムレシュの人々はこよなく愛し、オークやプナなど、海抜の低いところでうごめく他の樹木と異なる意志の力を認めて、「あのお方」と尊敬をこめて呼ぶという。そのモミの木とマラムレシュ人の交感を読んでいると、チャウシェスク独裁の初期から三十年の上、日本では知る人もなかったマラムレシュに魅せられ通い続けた小柄な著者の姿、マラムレシュの地平線を埋める羊のように優しい目のその面影が、屹立する孤高のモミの木のイメージに重なってくる。

『森の彼方のミューズたち』には「ルーマニア音楽誌という副題がある。羊飼の生活のさまざまな場面に応じる笛や、歌のメロディの譜例もある。バラッド(古謡)に始まって、婚礼や弔いの歌、ドイナ(叙情歌)、コリンダ、ストリガトゥーラ(叫び歌)へと民謡の各ジャンル、さらにホラ、スルバなど代表的な踊りの実例が語られる。

 しかしこれはいわゆる音楽の本ではない。歌と踊りをめぐって「古いしきたりを尊重する人々とその暮らし」(はしがき)がみずみずしく記されている。マンドラゴラの呪術やカルーシの風習などの異教的伝承の現場に密着した報告にも驚かされる。  「森の彼方…」という書名の示するとおり、ここで重点的に取り上げられているのは、ルーマニアの中でもフォークロアに際だった特色のあるトランシルヴァニア地方である。トランシルヴァニアといえばバルトークによる近代音楽への革新的な貢献

−人が多数混住するこの地のルーマニア音楽の採集であった。

 人口五千く、鉄道から遠く離れた陸の孤島シクの村では絶対多数がハンガリー人で、数十人のロムと、五、六十人のルーマニア人が住んでいる。

バルトークの僚友コダーイはこの地でハンガリー民謡をたくさん集めた。みやこうせいはこの村の婚礼に徹夜で踊られるダンスと歌、誇らしい美の歴史を体現する人々の深い神経を感動をこめて語る。

 ルーマニアにはほかにも数多の少数民族が住む。ロム(ジプシー)の音楽抜きに、この国の生活は語れない。マラムレシュではすべての村にいて、村の通過儀礼はロムなしにはまっとうされないという。それにしても、ロムはこの世に咲き誇る花だ、という著者の目の暖かさ。さらに、前大戦末期に抹殺された北トランシルバニアの貧しいユ

り、再現されたのはほんの一つかみ、というのが痛ましい。

 民族感情は政治に利用され歪められることが多かった。異民族が互いの持つ美の文化を認識して融合して欲しいという著者の心情がひしひしと伝わってくる。
(住谷春也氏=すみや・はるや=ルーマニア文学者)

★みや・こうせい氏はエッセイスト、写真家。著書に「羊と樅の木」「ル−マニアの小さな村から」写真集に「羊の地平線」など。一九三七(昭和12)年生。


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