サヨナラ ★☆☆
(Sayonara)

1957 US
監督:ジョシュア・ローガン
出演:マーロン・ブランド、高美以子、レッド・バトンズ、リカルド・モンタルバン



<一口プロット解説>
朝鮮戦争で日本に転勤になった主人公(マーロン・ブランド)は、日本人の少女歌劇スター(高美以子)と出会う。
<入間洋のコメント>
 この作品は日本語の「さよなら」というフレーズを国際的に有名にした作品であるが、少なくとも現在では、我々日本人はこの語を皮肉以外の文脈で使うことはほとんどないということを知ったならばあちらの人々は驚くかもしれない。というよりも日本人ですらこの語がまだ普通に使用されているように考えているかもしれないが、皮肉以外の意味でこの語を最近使用した覚えがあるか否かをとくと考えてみればそれが錯覚に過ぎないことを納得出来るだろう。1957年と言えば自分はまだ生まれてはいなかったので、当時「さようなら」という言葉が通常の文脈でも普通に使用されていたか否かはよく分からないが、いずれにしても言葉とは変化するものであり、タイトルが「サヨナラ」であることにも随分と時間の経過を知らされる。国際社会における日本とアメリカの位置は、戦後60年を通じて常に変化し続けてきたが、アメリカ映画に描かれる日本或いは日本人像を通してそのような変化が時に透けて見えることがある。表題としては最も人口に膾炙した「サヨナラ」を取り挙げたが、本章では「サヨナラ」に限らず日本が舞台であるアメリカ映画をいくつか取り上げそのような変化を浮き彫りにしてみよう。

 まず、日本が舞台であるアメリカ映画の推移について簡単に振り返ってみよう。1950年以前の映画に関しては自分自身あまり馴染みがあるとは言えないので明言することは出来ないが、日本が舞台となるアメリカ映画はほとんど存在しなかったのではなかろうか。ところが、1950年代後半に入ると、そのような映画がいくつか出現し始める。1950年代後半からとは偶然ではなく、言い変えれば朝鮮戦争以後ということになる。その頃から日本を舞台とした映画が増え始める理由は、勿論これまでも述べてきたようにカラー効果を最大限に得る為にエキゾチックな舞台が求められていたという背景もあろうが、朝鮮戦争当時日本はアメリカの後方支援基地として機能していたが故に、たとえ対等ではなかったにせよ敵国ではなく同盟国という観点からの日本に対する関心がアメリカの映画製作者やオーディエンスにも生まれつつあったからではないかと考えられる。従って、当初は朝鮮戦争と絡めてのストーリーが多かったのも事実である。朝鮮戦争とは直接関係のないものを含めて思い出せるところを列挙すると、ロバート・ライアン主演の「東京暗黒街・竹の家」(1955)、ウイリアム・ホールデン主演の「トコリの橋」(1955)、グレン・フォード、マーロン・ブランド主演の「八月十五日の茶屋」(1956)、表題として挙げた「サヨナラ」(1957)、ロバート・ミッチャム主演の「追撃機」(1958)、アレック・ギネス主演の「A Majority of One」(1962)、シャーリー・マクレーン主演の「青い目の蝶々さん」(1962)、ケーリー・グラント主演の「歩け走るな!」(1966)等がある。ところが、アメリカ映画ではないがボンド映画「007は二度死ぬ」(1967)を最後として、日本が高度経済成長時代に突入する1960年代末辺りから、日本が舞台となるアメリカ映画がめっきり減少する。自分の知らないマイナーな作品はあるかもしれないが、思い出せるものは、ロバート・ミッチャムと高倉健が主演した「ザ・ヤクザ」(1974)くらいのものである。しかし再び1980年代の半ばを過ぎるとマイケル・キートン主演の「ガン・ホー」(1986)、マイケル・ダグラス主演の「ブラック・レイン」(1989)、ショーン・コネリー主演の「ライジング・サン」(1993)等が現われ、近いところでは「ロスト・イン・トランスレーション」(2003)等が挙げられる。

 これらの一連の日本を舞台にした映画をいくつか見直してみると、高度経済成長期というブランク期間を境として1960年代前半までに製作されたものと、1985年以降に製作されたものの間には日本を扱うハンドリングの仕方に相当な違いがあることに気付くことが出来る。すなわち、前者では日本という国が単なる好奇心の対象という範疇から越え出て描かれることがほとんどなかったのに対し、後者では良きにつけ悪しきにつけ高度に組織化された集団的日本人対個人主義的フリーエージェントのアメリカ人というような図式が明瞭に現れる。後者の場合で注意すべきことは、フリーエージェントたるアメリカ人の方が自由主義的で優れているようにアメリカ人自身が考えていたということでは必ずしもなく、むしろ逆に自嘲的な響きすら聞き分けることが可能なことである。たとえば「ブラック・レイン」で、マイケル・ダグラスやアンディ・ガルシア演ずる刑事達がだらしない格好をして日本の警視庁へ出頭した途端、日本の警察官達に「何だ、あいつらは」と軽蔑の眼差しで見られてしまうが、これはフリーエージェントであることの素晴らしさというよりも子供がわがままをしているような印象を与える。このようなシーンの背景には、日本に高度経済成長をもたらした一因である組織集団的なあり方について大国アメリカといえども単純に無視することが出来なくなったという舞台裏があるように考えられる。現実世界でもトヨタ方式などを学びに視察団がやって来たわけだが、その点がはっきりと示されている典型的な映画として「ガン・ホー」が挙げられる。この映画は、日本にとって屈辱的な内容を含んでいる為に日本では劇場公開されなかったそうだが、見落とされてならないことはこの映画は同時にアメリカにとっても屈辱的な内容を孕んでいることである。というのも、アメリカが自動車という先進工業製品に関して植民地的な地位に甘んじている様子が描かれているからである。つまり、ここにはアメリカの自嘲的な態度さえ窺えるのであり、日本という国が決して単なる異国情緒溢れる珍奇な素材或は自国の優位性を確認する素材として扱われているのではない。

 これに対して1960年代以前の映画で扱われる日本に関して言えば、明らかにそこから何かを汲み取ることが出来るような素材として扱われることがなく、単なる好奇心の対象以外のものとして扱われることが決してない。たとえば、「サヨナラ」でのマーロン・ブランド演ずる主人公は、行為者としての自分、その行為に単に反応する日本人という図式から一歩も離れることはなく、最後に冷やかな顔をして「サヨナラ」と言いながら高美以子演ずるヒロインを連れ去っていくシーンには、日本に対するこの映画の一方向的な見方が典型的に現れている。また「青い目の蝶々さん」という作品は、文字通り富士山芸者の映画であり、女優である妻(シャーリー・マクレーン)が日本人になりすまして「喋々夫人」のヒロインを演じ、映画監督である夫(イブ・モンタン)を騙すというストーリー展開は、舞台が日本でありながら日本についてはほとんど何も語られておらず、日本がバックグラウンド以上の何物かとして扱われることがほとんどない。イブ・モンタン演ずる映画監督がヒロインを演じているのが自分の妻であることに最後に気が付くのは、撮影されたネガに写った蝶々夫人の目が青かったからであるとはいかにも象徴的であり、遠い異国の地まで遥々「蝶々夫人」の撮影に出掛け、最後に見出したものは異国の人々の生活や文化などでは全くなく、実は鏡に写った自分達自身の姿であったということがここでは図らずも示される結果になっている。

 この点についてもう少し深く考えてみよう。エドワード・サイードという人が書いた本に「オリエンタリズム」という以前かなり話題になった本があるが、この本には西洋の東洋に対する見方とは(この本が対象とする東洋とは、サイードの出自であるイスラム世界が主になるが、同じ議論は日本などの極東地域に関しても適応出来るはずである)、西洋が自分達自身をどのように見るかという視点から切り離すことは出来ないということが述べられている。つまり、西洋人が西洋人としてのアイデンティティを確立する為に必要とされる、自分達が「何ではないか」という否定を通した定義が彼らの東洋に対する見方に色濃く反映されているということである。一言で言えば、西洋人が東洋を見る眼差しは、真っ直ぐ純粋に東洋に向けられているのではなく、東洋という否定的なミラーイメージを通して西洋そのものに向けられていると言う方が正しい。アメリカ映画におけるこのような見方の最も極端な例は、日本が舞台ではないがオードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」(1961)におけるミッキー・ルーニー演ずる日本人に見出せる。ミッキー・ルーニーの出歯でちんちくりんの日本人程、日本人が見たらええ加減にせいと言いたくなる日本人像は滅多にないが、もしそれが冗談でないとすれば、あのユニオシというそもそも名前からして奇妙な人物は、アメリカ人として自分達が何ではないかということを希望的且つ象徴的に表した人物像であり、実際の日本人とは何の関係もない。かつて3年程、パナマ在住の舞台監督という人とメイル通をしていたことがあったが、メイルのやり取りの中で「ティファニーで朝食を」のミッキー・ルーニーについて話題に上がったことがあった。そもそもユニオシなどという名前は日本にはないと主張したところ、社交辞令ではあるかもしれないが「ティファニーで朝食を」の唯一の汚点はミッキー・ルーニー演ずる日本人であると述べていた。

 また、「サヨナラ」ではリカルド・モンタルバンが、「A Majority of One」ではアレック・ギネスが日本人を演じているが、彼らは異様に目を細くしている。特にアレック・ギネスは、あれでは目が悪くなるのではないかとこちらが心配したくなる程2時間半くらいに渡って一時も休むことなく目を細くしている。この事実は、これらの作品の製作スタッフが日本人とは目の細い狐のような人種だと思っていたことに起因するのであろうが、そこにはさらに様々なコノテーションが含まれるはずである。一例を挙げれば狐のように狡猾な奴等というような含みであり、このような一般化は、サイードの言う「オリエンタリズム」的な見方にはつきものである。日本人の中には勿論目の細い人は大勢いるが、それはチャールズ・ブロンソンを見れば分かるようにアメリカ人の中にも目の細い人がいるのと何ら変わりがない。それを敢えて日本人は目の細い人種であると経験則を越えて一般化するのは、実はアメリカ人が何でないかということを、たとえば「アメリカ人は目の細い狐のように狡猾ではなく、常に真正面から正々堂々と勝負する人種である」というようなコノテーション共々一般化することでもある。そのような点を、これらの日本を舞台にした1950年代や1960年代のアメリカ映画に見出すことはたやすい。そこには日本や日本人が描かれているようでありながら、実は彼らアメリカ人自身が自分達をどのように見ているかという主観的観点が図らずも滲み出ている点が実に興味深い。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。

2000/09/30 by 雷小僧
(2008/10/15 revised by Hiroshi Iruma)
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