イギリス生まれであるとはいえ、両親はアメリカ人のようです。美人女優の代名詞のような存在であるように見なされることが多いようですが、基本的に彼女は子役出身であり、従ってもとをただせば美貌をウリに映画界入りしたというわけではないことになります。とはいえ、確かに50年代の彼女に限れば、極めて見栄えのする美人女優であったことに異論を唱えるオーディエンスはあまりいないことでしょう。けれども、60年を過ぎるあたりから、奇矯なキャラクターや、いかにも性格が悪そうなキャラクターを演じる機会が多くなり、アカデミー主演女優賞に輝いた「バージニア・ウルフなんかこわくない」(1966)などは、その典型であるものと見なせます。いずれにしても、60年代は、当時旦那であったリチャード・バートンと共演しているケースが多く、ひょっとすると映画の中で演じているいがみ合いを実生活でも実践していたのではないか、あるいは映画の中で演じているいがみ合いは実生活の反映ではなかったのかと疑いたくなるほど、真に迫ったののしり合いをしばしば見せてくれます。他にも「バタフィールド8」(1960)でアカデミー主演女優賞に輝いていますが、よく知られているように、これにはウラがありそうで、「愛情の花咲く樹」(1957)、「熱いトタン屋根の猫」(1958)、「去年の夏突然に」(1959)と3年続けてアカデミー主演女優賞にノミネートされながら受賞に至らなかったことに対する代償ではないかとも言われています。そのように噂されても仕方がないくらい、「バタフィールド8」は、作品そのものに疑問符がつくようなシロモノでした。アカデミー賞選考委員会?が罪滅ぼしをするのであれば、同じくイギリス生まれで、同年その煽りを受けて「サンダウナーズ」(1960)で6度目のケッチンを食らう結果になったデボラ・カーをこそ優先させるべきではなかったかという気がしますが、いかがなものでしょうか? いずれにしろ、60年代以後は、スクリーン上でよりもスクリーン外のスキャンダルでの方が目立つようになりますが、見方によってはそれもスーパースターの証しであるということになるのかもしれません。 |
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1944
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ジェーン・エア
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1963
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クレオパトラ
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1944
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緑園の天使
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1963
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予期せぬ出来事
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1949
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若草物語
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1965
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いそしぎ
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1951
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陽のあたる場所
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1966
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バージニア・ウルフなんかこわくない
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1952
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黒騎士
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1967
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じゃじゃ馬ならし
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1954
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ラプソディー
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1968
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夕なぎ
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1954
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巨象の道
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1968
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秘密の儀式
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1954
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雨の朝巴里に死す
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1974
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夜をみつめて
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1956
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ジャイアンツ |
1974
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別離
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1957
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愛情の花咲く樹
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1979
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大統領の堕ちた日
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1958
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熱いトタン屋根の猫
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1980
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クリスタル殺人事件
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1959
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去年の夏突然に
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1994
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フリントストーン
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1960
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バタフィールド8
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