日曜日にはTVを消せ 目録



     あの人は今こうしている  佐々木昭一郎へインタヴュー

             2001年4月28日 日刊ゲンダイ

 「実は3年前に“大人の水疱瘡”といわれる帯状疱疹になっちゃってね。症状が出てから2日間放置していたもんだから,“もう手遅れです”って医者に言われたほどひどかった。それでも根気よく自宅療養を続けたおかげで、最近ようやく完治しました」
 所属する映像制作会社「テレビマン・ユニオン」の一室で会った佐々木さん、闘病後とは思えない血色のいい顔でこう笑った。

 「2年前からリハビリを兼ねてスポーツジムに通い、ベンチプレス、水泳、自転車と徹底的にやったから、今やご覧の通りの筋肉マンですよ。まずは来月予定している草野球の復帰戦に登板し、得意のシンカーを武器に相手打線をバッタバッタとなぎ倒すつもりです。ハハハ」

 さて、佐々木さんは60年にNHKに入局。66年にラジオドラマ「コメット・イケヤ」でイタリア賞グランプリ、「おはよう、インディア」で芸術祭大賞を受賞したのを皮切りに、テレビドラマ「マザー」(71年)でモンテカルロ国際テレビ祭金賞、「さすらい」(71年)で芸術祭大賞、「紅い花」(76年)で芸術祭大賞、国際エミー賞優秀作品賞、「四季・ユートピアノ」でイタリア賞グランプリ、「川の流れはバイオリンの音」(81年)で芸術祭大賞、「アンダルシアの虹」(83年)でプラハ国際テレビ祭監督賞、「川シリーズ」(84年)で毎日芸術祭賞・・・と国内外の賞を総ナメにした。特に、「紅い花」はイギリスのBBCが買い取り、その後、全米でも放映、「四季・ユートピアノ」もまた全米放映された。

 「全米で放映された日本のドラマは『四季・ユートピアノ』以降ないそうです。日本の放送局は連続ドラマが主流で、単発ドラマはどちらかというと冷遇されがちなんですが、賞はその意味で次の作品につながる起爆剤のようなもの。スタッフの励みにもなるし、素直にうれしかったです。ちょっと話は脱線するけれど、毎日芸術祭受賞は感慨深かったなあ。戦時中、毎日の記者だった父は反戦記事を書いたために追放され、私の目の前で悲惨な最期を遂げましたから・・・。何十年ぶりに親の仇をとったようですね」

 昨年。富山で行われたNHK・民放共同の放送シンポジウムで、「コメット・イケヤ」と「アンダルシアの虹」が上映された。
 「映像はともかく、大劇場を真っ暗にしてラジオドラマを流すわけですよ、どうなるか心配だったけど。終わったら両方とも賞賛の嵐。35年前、『コメット・イケヤ』の脚本を書いた寺山修司と2人で“これは100年たっても色あせないスゴイ作品になるそ”と話し合ったものですが、まさにその予言通りになったわけです」

 5月13日にはNHKアーカイブスで「夢の島少女」が放映される。これは少女と少年の生と性の彷徨を叙情的に描いた作品。その後の佐々木作品に欠かせない伝説的女優・中尾幸世のデビュー作でもある。
 「世界中のだれもやっていない方法で自分のテーマを濃密に撮る。これが佐々木流。この作品は自分で言ってはナンですが、永遠の名作です。最近の若い人の作品? 技術的には超ウマイと思いますよ。ただ、ウマ過ぎて心の音が伝わって来ない。ウマイ競争なんかラーメン屋に任せておけと言いたいね」

 新作を撮らないのか、という熱狂的なファンの声も多く寄せられるが。
 「私の真骨頂はわずか4人のクルーでドラマを撮ってのけること。待っていてください。体力も戻ったことだし、イメージは泉のように、いや大河の流れのようにわき出している。多チャンネル時代になってソフトの需要も多くなり、今ようやくオレの時代がやってきたと大きな声で言いたいね。近々、“新しい古典”になり得る大傑作を撮りますよ。ハハハ」

 文教大学情報学部教授として映像作りの授業を受け持つ。恵理子夫人、愛猫マイケルと神奈川県の湘南で暮らす。


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