説得の心得
Give the persuasive pointers


その一、「相手を説得する前に、まず自分自身を説得すること」

 説得とは、生活一般用語例から引用するなら「相手自身も気付いていない“相手の得”を説明して理解させること」と補足して定義づけることができます。
もちろん、そこに“自分の得”も含んでいることは、説得する動機として問題はありません。 しかし、専ら“自分の得”を相手に説明し理解させても、相手の心は動くことはありません。それが、情熱的であり感動的であったとしても、単に賞賛の拍手を貰えるだけです。相手自身が自分が損をしてまで、説得に応じることはありません。人は自分のために、一生懸命に“努力”という労力と時間を費やしてくれる他人に対しては、それに応じようと他人のために同様に“努力”してくれます。[自立した対等な関係性を維持しようとする反報性(Give and Take)]。
 したがって、先ず以って説得する人間が、自己犠牲の覚悟をもって、労力と時間を費やす“努力”をしなければなりません。それは、結果として徒労に終わることも、蓋いにあるでしょう。その自己犠牲の覚悟を「自分自身に説明し理解させる」ことができなければ、説得が成功することはありません。理由は簡単です。迷いのある人の言葉や態度には、人の心を動かす説得力がないからです。そんな迷ったままの状態で説得を行えば、そこでの言葉や態度は、本来の誠実な意味が失われ、却って、人間関係を歪める反対の結果を生んでしまいます。説得行動に出る時は、十分に気を付けましょう。

 

その二、「裏切る相手を責める前に、裏切らせない術を知ること」

 説得行為の基本は、誠実に言葉や態度を尽くすことにあります。しかし、そのように自分なりに言葉や態度を尽くしたとしても、相手は貴方の誠意に反する行動を“わざと”または“忘れて”とることがあるでしょう。具体的には“約束”を破ったり“嘘”をついたりすることです。意図的でなくとも、このような態度を相手がとるということは、相手は貴方を見下しているということです。決して、自分と対等かそれ以上の関係を持つことはないと思っている心理状態の顕われです。基本的にそんな不誠実でふざけた人間は、相手にしないのが限られた人生においては有益なのですが、そうともいかない場合には、先ず、相手の狭く固まった先入観を壊さなければなりません[破壊の理論 (crush and build)]。
 それは、貴方の“本当の価値=真の誠実さ”を無知の相手に教えてあげるということです。誠実さを相手に正確に伝える方法として、ただ機会的にこれを与えたのでは、心の乾いた狭い口しかない相手は飲み込むことさえできません。誠実な説得行動をとる前に、十分に注意しておく相手への認識として、その誠実がどのような意味を持つかを誠に理解できる人間かどうかを調べておく(熟練すれば一目で分かる)準備が必要です。この見極めを誤ると、どんなに栄養価の高い(影響力の強い)“誠実”という食べ物でも、無駄になってしまいます。人格的に未熟で不誠実な人間と分かったなら、誠実さを見せる前に(未熟な人間は謙虚な誠実さを弱さと取る)、相手のお腹を減らす鞭[心を揺さ振る瞬発力ある影響要因の設定=脅しの理論 (thread theory)]を与えます。それは、相手自身が見ない様にしている客観的な真実を突きつけるということです。相手の未熟で歪んだ心の形が、相手自身も客観的に分かるようにすることが大切です。それによって、多少の人格的成長があれば、貴方に向けられている心の表面は潤って広くなります。せめてこのような人格状態になってから、本来の説得行動に着手してください。ちなみに、自分でその言葉や態度決定が見つからない方は、三浦まで御相談ください。

 

その三、「瞳から、相手の心を理解できるようになること」

 「目は心の鏡である」と云われます。生まれて間もない赤ん坊でさえも見慣れぬ人に抱かれた時は、暫くは泣きも笑いもせずに、自分が身を委ねている人間の目をじっと見ています。それで安心できれば他所を見始めるし、そうでなければ泣き出します。状況がちょっと変化しただけで泣き出す生まれながらに臆病な子供は別ですよ。この瞳から他者の内面的性質の情報が得られるという知恵は、言語機能の有無に関係なく、およそ動物全般に特に哺乳類において、生来的に遺伝レベルで持っている自己防衛のための能力といえるでしょう(過保護に育てられた人格は、この大切な能力を高めるどころか失っている)。変温動物によく見られる“擬態=カモフラージュ”は、本来の姿(弱い内面的性質)を隠すために、強い内面的性質をもつ動物の外面的情報を似せてみせることですが、これを人間社会に置き換えるなら“肩書=ブランド”がそれでしょう。
 本来の実力や能力もないのに権威的肩書きや高級な衣類をまとっている人間は、非常に多く存在します。人格が脆弱であればあるほど、それを守る鎧は厚く強固なものを求めます。そんな外面的張ったり[人格の造影を曖昧にし、性格の一部を誇張させる影響効果=
後光効果 (hallo effect) ]に惑わされて、その人間の本当の人格形容(心の形)を見誤ってはいけません。「瞳に服を着せることはできない」 このことをよく憶えておいてください。嘘や欺瞞が多い人間は、必要以上に瞬(まばた)きが多かったり、不自然に目を見開いているものです。特に後者は、確信犯として悪質ですから、気をつけてくださいね。

 

その四、「言葉の重みを知ること(言霊)」

 言葉は生きものです。書面に表わした言葉ならば、相手が了知する前なら、この紙(物)を破棄してその言葉を取消すことができます。しかし、即座に伝わる電話や対面の会話において、一度発せられた言葉は、相手の内面に生きづいてしまい、もはや取消すことはできません。この言葉に内包する“畏れ”を理解できれば、言葉が口から出る前に、頭の中でその意味を廻らし、相手の理解を予測することができるような心の余裕が生まれるでしょう。
 だからと言って畏れるあまりに、常に“行儀正しい言葉”を使えば良いというものではありません。他人が信頼するのは貴方の人格であって、貴方が発する記号音による意味の羅列(言葉)ではありません。つまり、自分の素直な人格を表現するにふさわしい自分の「自然な言葉」を使うのが一番であるということです。どんなに高貴な言葉であっても、それを自分のものとして咀嚼し、自己の人格発言の一部として馴染ませていなければ、他人の言葉をたまたま借用したに過ぎない「不自然な言葉」となり、相手の警戒や猜疑心を生む契機になってしまいます。ただし、他人と一定の距離を置きたいときは、格調ある謙譲語などの硬い言葉を身に纏うことで、人間関係の脇を閉めることもできます。
 注意すべきは、発言者が理解するその言葉の“重み”や“硬さ”を、受け手がそのままの“重み”や“硬さ”をもって理解し感じ取るとは限らないということです。同じ言葉でも、人や状況によっては様々な意味内容に変化します。手で触ることのできないものだけど、会話の当事者間には確かに実在する観念的なもの。それが言葉です。そんな不確かで時代と共に流動化する道具ではありますが、誤解されやすい人間関係(コミュニケーション)においては、言葉・会話による意思疎通[言語コミュニケーション]が、もっとも普及的でかつ確実な自己の人格表現に適した手段であります。また、同じ発音の言葉でも、トーンや音の高さや抑揚・リズム(韻)によって、その意味の伝わり方や人格影響の浸透度が異なってきます。
 近年のテクノミュージックやDJに見られる単調な言葉の反復や、ラップ音楽に見られる死んだリズムだけのノリの言葉は、心を躍らすことはできても動かすことはできません。心を動かすことなく、ただ揺らして理性を麻痺させるこれらの音楽手法は、まさに洗脳の技巧と同じであります。自分が自分らしく居られる人格(アイデンティティ)の外皮である“理性”を失ってしまっては、人は最早人間ではなく、獣になってしまいます。そして其処にあるのは、強い者に服従し、弱い者を蹂躪する醜い世界だけです。

 

その五、「身体の言葉を知ること(ボディーランゲージと沈黙の力)」

 言葉は短いほど美しいものです。その意味するところは、言葉のひとつひとつに“重み”が必然的に加味され、そして、言葉の受けて側において自己の価値基準にもとづき自由な“深み”のある意味づけがされるから、言葉の受け手は、この言葉を原因として、心を動かされやすくなります。つまり、人は自尊心を保全した状態で裁量決定権を委ねられると、自己実現の欲求を満たされ、より一層の説得誘因や維持力の増進がはかられることになります。
 この思考や行動の自己決定裁量が広いことを起因とする説得効力の早期固結化という心理現象から、意味づけが画一化された言語よりも、意味づけが自由な非言語、つまり、身体の動作による意味の伝達手段[
非言語コミュミケーション]の方が、相手の心には“早く、強く”伝わるということがおわかりになるかと思います。
 しかし、あまり普及性のない主観的なコミュニケーション手段だけあって、その発信された真意や意図を離れて“不正確に”伝わり、誤解を生じさせる危険性を常に内包することも然りです。従って、説得効果の予測は、言語による場合よりも更に懐疑的となります。そうではあっても、この身体言語(ボディーランゲージ)の重要性は、発信者の伝達手段としてだけでなく、被説得者の心理分析においても同様に大切です。
 この点、言葉と態度が異なる言動をとる人間、特に女性特有の行動様式にみられる「言語と非言語の矛盾」については、男性諸君は日々悩まされ、その認知能力の向上に切磋琢磨していることかと思います。人は自分の内面(性格・能力)を見透かされると自己防衛の手段として、天の邪鬼になります。それは、相手の持つ自己情報を否定することにより、距離間のある対等ないし優位な関係性(情報的地位の優位性)を回復しようとする本能的ないし一般的な行動特性(天の邪鬼効果=
ブーメラン効果理論)といえるものです。その感情的動機としては、男性の場合は、精神的誇りを守るための「なめられたくない的動機」により、女性の場合は、肉体的苦痛を回避するための「なぐられたくない的動機」により、意識的ないし無意識的に取ってしまう行動様式のひとつです。このような本能的特性を日本人も有しているのに、発祥文化地域による危機能力の欠如から、日本人には無防備的説得行動をとる特性があることを、少しお話したいと思います。
 それは、手の甲を“上”にして指を振るのと、甲を“下”にして指を振るのとで、“GO(行け)”や“COME(来い)”の合図の意味が正反対になってしまうことに見られるような自己情報の管理意識の低さにあります。つまり、他人に接触する(呼び込む)際に、日本人は、無意識的に手のひら(=自分の手のうち)を相手に晒している。積極的な自己開示として評価できなくもないが、西洋文化圏の外国人からみれば、コントロールしやすい(扱いやすい)「(都合の)いい人」と見られるでしょう。初めから情報の優位性を自ら放棄していたのでは、対等な交渉環境も作れず、説得できる事もできなくなってしまいます。
 また、日本人は、自己防衛のための闘争的権利意識が極めて低いために、たいへん説得されやすい性格ともいえるでしょう。“信じること”と“疑わないこと”は、全く同じ意味概念ではない。このことを現代日本人は、しっかり理解することが必要です。

 

その六、「自分を知り、相手を理解できなければ、説得は成功しない」

 役割行動理論(Role Behavior)による自己説得。「目は口ほどに事物(もの)を言う」。相手にダンスを踊らせる沈黙の力を持つこと。それには、対立と添寝できる忍耐強さが必要である。(Dance theory)。これは安定的満足に幸福を感じる女性には難しいのですが、自己実現による充実感に幸せを感じる男性には容易なことです。なぜなら、対立にともなう困難な状況(トラブル時)こそ、現在の自分自身の本当の能力や性質(人格的根幹)を知ることのできる最高の環境だからです。余裕のある平常時なら、誰でも演出や演技ができますからね。フロイトいわく「人生とは自分自身を発見するための時間の限りある旅である」。そうであるなら、このような環境に身を置く機会をできるだけ多くもつことの重要性、有益性がお分かりになるでしょう。同じ交渉領域・土俵にいるだけで共同体験による価値の共有化、親和化(We Feeling)が醸成されていく(Field theory)。即断の軽さ・愚かさを知れ=対内的交渉(Leadership)との相違。

 

その七、「交渉の完勝は、明日の完敗の布石」

 成功しないことよりも、失敗しない(信頼を失わない)ことの方が大切です。それは、次の説得活動の機会を作りやすくするためです。また、再度の交渉機会を失うことは、相互に最大の不利益となるため、この交渉決裂を避けるためにも最良の代案 = [ BATNA(Best Alternative To a Negotiated Agreement) ]を常に用意し説得活動に臨むことが肝要です。
 したがって、交渉における一人勝ちともいえる完勝[
分配的交渉 (Win-Lose) ]よりも、再交渉の機会を与える痛み分けともいえる二人勝ち[統合的交渉(Win-Win) ]を考えることが、長期の協調的信頼醸成や相互共助のために大切です。 「競争」より「協創」を。

ブーメラン効果理論と一貫性の理論における自尊心との関係


 ところで、一般の交渉学では、Win-Loseの相互依存関係における一方の否定的協力を結果とする交渉目的を分配的交渉 [零和]といい、相互依存関係における一方の積極的協力を結果とする交渉目的を統合的交渉 [非零和]と称します。それは、第一次的な交渉目的で、利益の独占的支配を内容とするものを利益の分配的依存関係の実現とイメージして、互譲された利益の結合を統合的依存関係の実現とするアングロサクソン系西洋文化圏のコミュニケーション思考によるものです。
 しかし、翻訳語の問題だけでなく、交渉の初期接触 (ファーストコンタクト)では分配(One Win)目的であったが、終局段階では統合(WinWin)結果となった場合と、当初から互譲する統合(WinWin)目的で、結果を得た場合とを同一に扱うのは、唯物的思考に偏りすぎており、和を格とするモンゴロイド系東洋文化圏のコミュニケーション思考には、馴染まない正反対の交渉思考ベクトルがあることに注意が必要です。

 さて、交渉に関する童話として「イソップの北風と太陽」の話があります。旅人の上着を脱がすのに、北風は強風により否応なしに直ぐに脱がせようとし、太陽は温風により自ら脱ぐのを待つという手法で、それぞれの得意なものにより競うという話です。私自身の実践技能は、北風の技術を得意としていますが、私の説得理論は、太陽の手法を好みます。したがって、ここでの交渉代行においては、犯罪被害者などの既に不利益を受けてしまっている人以外からの分配的交渉 (One Win)を目的とした依頼はお断りする場合がありますので予め御了承ください。

 





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