Story Vol.1
Oksana Baiul (Part I)


熱き金メダリスト、氷上のプリマドンナ

ケリガンが何者かに殴打され、それにハーディングが関わっているという疑惑で揺れたこの大会。しかし、この大会の金メダリストは、貧しく両親さえもなくしたウクライナの16歳の少女だった。
そして彼女の演技を見たことから、このページへとつながる長い道のりが始まった。


1994年リレハンメル五輪、フィギュアスケート女子シングル金メダリスト、オクサナ・バイウル。彼女は「スキャンダルの陰に隠れた本当の女王様」であった。今でも陰に隠れているかもしれない。スキャンダルの主役トニヤ・ハーディング、被害者であるナンシー・ケリガン、あるいは、もっと前の大会の女王であるカタリナ・ビットやクリスティ・ヤマグチの名前は知っていても、オクサナ・バイウルのことを記憶している人は、どれくらいいるだろうか。

しかし、オクサナは実はまれにみる「熱い」金メダリストである。

彼女は、オリンピックで優勝した後、ある記者に「16歳で金メダルをとるとは、人生イージーすぎないか」と尋ねられた。それに対し、彼女は気色ばんで、「私が今までどれだけ苦労してきたかわかりますか」と答えたという。

改めて思う、熱い金メダリストだなぁ。ここまで熱い人もそう滅多にいないだろう。何度読み返してみても、書きたいという意欲をかき立てられる。

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ナンシー・ケリガンのほうも、すばらしい、しかしあまりにも惜しい銀メダルだった。これは4年後にリレハンメル五輪総集編のビデオを見返してわかったことだが、フリーの演技の最初で3回転ジャンプを失敗しているのだ(2回転しかしていない)。演技全体としても5種類ある3回転ジャンプのうち1種類だけ一度も跳んでいないことになった。それで金メダルに限りなく近い銀メダルだったのだ(この差がいかに微妙だったかは、これまで述べたとおり。)。これが成功していれば、あるいは失敗した3回転ジャンプにもう一度挑戦し決める余力があったなら、文句なく金メダルである。そうなれば、私が今のような道を踏み外した女子スポーツマニア(?)になることはなかったかもしれない。そのきっかけとなったのが、オクサナ・バイウルの金メダルだからだ。ナンシーがジャンプを失敗したことと、私が道を踏み外したことが、考えてみれば密接な関わりがあるのだ。いったい何が人の一生を狂わすのか、見当もつかないものがある。

ナンシー・ケリガンは、何者かに殴打されシーズンの半分を棒に振り、その後もマスコミの嵐のような報道が続いた。本人は、監獄に入れられていたようだったと語っている。集中砲火のような報道の害は、殴打そのものの害よりもおそらくひどい。加害者と被害者を一緒くたにするような記事は、現在でも少なくない。そのような姿勢は厳しく非難されるべきである。
そしてそれを乗り越えての見事な演技。どちらに転んでもおかしくない判定・・・。彼女はときに23歳、遅咲きの大輪の花が、最高の舞台で満開となった。
正直なところ、この大会の前まで、私はナンシーにはあまりいい印象を持っていなかった。アルベールビル五輪で、完璧な演技でなかったにもかかわらず銅メダルを獲得した印象が残っていたからである。しかしそれも完全に吹き飛んだ。

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さて、オクサナのスケーターとしての魅力は何だったのだろうか。私としては、スケーターとしてきわめて高度な技術(ジャンプ、スピン、etc.)を持っていながら、その上にバレエの美しさを鮮烈にもっていた、ということだと思う。バレエの美しさを感じることのできる演技は、リレハンメル五輪のオクサナ以降、今まで一度もお目にかかったことがない。しかし、これに関しては、バレエもスケートも全く経験のない私には語ることのできない領域に入るし、それ以上に、オクサナの演技そのものを私はもはやほとんど思い出すことができない。オクサナの演技自体は、私にとってそれほど遠い過去のことになってしまっている。

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とにかくオクサナは、わずか16歳、当時としては1928年のソニア・ヘニーに次ぐ若さでオリンピックのこの種目の金メダルを獲得した。
しかし、オクサナの物語は、これでハッピーエンドとはならなかった。

念願のフルカラーのリソースは入手したものの、画質も悪くよいシーンも少なかったため、グレイスケールのものもそのまま保存されている(1024×768, 52KBytes)
熱き金メダリスト、氷上のプリマドンナ(640×480, 20KBytes)

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