●2000年6月26日●

 小旅行を企てる。
 目的地は横浜。ゲームブックに愛を込めての舞台となっているあの街である。
 朝方、起きてから荷物を整える。旅行の目的地を近場にしておくとこういう時に便利である。
 僅かな着替えを詰めた鞄と、愛用のノートパソコンを持つと早速出発。経路は少しひねくれて八王子経由にする。時間にとらわれない旅行なのだから最短距離で行く必要もあるまい。
 最初の目的地である新横浜には昼過ぎに到着。
 早速、新横浜での唯一の目的であるラーメン博物館へと赴く。実際に行ってみるとラーメン博物館は意外に小さい。ビルの中にテナントとして存在しているのである。
 しかし、博物館の大きさには関係なく、地下の昭和30年代を再現した町並みはなかなかのもの。
 夕暮れという設定で暗めの照明になっているため、ありがちな粗が目立たず、じっくり雰囲気に浸る事ができる。壁には「地球防衛軍」「隠し砦の三悪人」といった昔の映画のポスターが貼られており、バーに入れば「トリスを飲んでハワイに行こう」というチラシがある。ラーメン屋の集まった広場には、コリントゲームや射的の屋台が並び、黄金バットの紙芝居がかかっている。「居酒屋雄三、マイト街右」とかいう冗談も笑える。
 肝心のラーメンの方もなかなかのもので、「勝丸」というラーメン屋で特製焼豚ラーメンを食べたのだが、これが味、ボリューム共に一級品。1300円という値段に見合うだけのものであった。
 いずれまた友人と一緒に行ってみたいものだ。
 さて、昼を済ませた後は次の目的地である「桜木町」へと向かう。
 ここで重たいノートパソコンをコインロッカーに預け、身軽になって観光を再開する。最初に行ったのはみなとみらい21地区。日本一の高さを誇るランドマークタワーの展望台へ行こうかと思ったのだが、視界不良との事でそれはあきらめ、スヌーピーグッズ専門店を覗いたり、ドッグ跡を見たりしながら移動する。
 駅舎を出た時から気になっていた大観覧車「クロックタワー」にも当然の如く搭乗。展望の素晴らしさに、高所恐怖症の友人を乗せてみたいと意地悪な感情を持つ。尤も、私自身少し、尻がむずむずするような恐怖感を少し感じていたのだが。
 その後、あなたの恐怖指数を計りますというアミューズメント施設に入ったり(ちなみに指数は76%。でも、私みたいな汗っかきにはこの手のセンサーは分が悪い気がする。なお、一緒に書かれていた占いには「美術系に素養があり云々」とか書かれていた。これも毎度のパターンでいい加減飽きて来た所。占い物をやると大抵このパターンの解答なので。尤も、実際にデザイン系の仕事をしているのだからあながち間違えてはない気もするが)零下30度を体験する施設に入ったりして時間を過ごす。
 楽しい事は楽しかったが、折角横浜まで来たのにただの遊園地で遊ぶのも何だと思い、関内地区まで歩いて博物館めぐりをしようとする。
 しかし、忘れていたが今日は月曜日。公共施設は休みである。
 仕方なく、ガイドブックに書かれていた「梅香亭」という洋食屋で、お薦めのハヤシライスを食べる事にする。
 ガイドブックには「大正時代そのままの〜」と書かれていたが、確かにそれは嘘ではなかった。まさしく大正時代そのものの建物である。要するにぼろい(笑)
 尤も、大正情緒がとか云われると普段ならぼろいとしか思わない店の作りが風情があるように思えるのだから不思議である(笑) なお、ハヤシライスはうまかった。
 腹もくちた所で一度桜木町駅に戻り、ノートパソコンを回収してからバスでマイカル本牧という場所へと向かう。そこにはこの旅行の宿であるル・ファール本牧があるのだ。
 マイカル本牧という所はなかなか洒落た感じの場所で、ホテルもしょうしゃな感じの良い宿であった。部屋風呂は洋式で、日本人なら誰も憧れた泡のお風呂式。勿論、私がそれを楽しんだのはいうまでもない。備品にバブルバスなんていう物があるのだから誰であれやらずにはいられないであろう(笑)

●2000年6月27日●

 さて、今日はいよいよ観光本番である。
 本牧から元町までは直線距離でおよそ2Kmほど、道の曲がりを考えても3Kmほどであるため、散歩がてら歩く事にする。しかし、途中でフェリス女学院を見てみようと欲を出したのがまずかった。路地に入り込み、山手公園を横切ったりしてうろついた挙げ句、途中通った地点に戻ってしまう始末。
 結局、本牧通りに出てバスを使う事にする。
 折角だから朝食は横浜独自の店でと考えて元町、中華街と歩くが、時間が早かったためか開いている店がまるで存在せず、結局、横浜開港資料館の近くのジョナサンにて朝食を取る事にする。メニューはパンケーキ。別に前日「まじかるアンティーク」をプレイしたからではなく、単に好物だからである。……多分。
 朝食後、横浜開港資料館へと赴く。ゲームブックに愛を込めての資料探しという意味もあっての事であったが、結果としては上々。明治28年の横浜の古地図と当時の街並を写した絵葉書を手に入れる。本当は有隣堂という書店から今年発売になった、大正時代の横浜の地図がおまけについた当時の横浜近辺の風景葉書を集めた専門書が欲しかったのだが、値段が7800円もする上にやたらと重たかったのであきらめる。
 閲覧室で大正時代の新聞を閲覧したかったのだが、丁度整理中との事でこれは果たせなかった。横浜市開港記念会館も工事中で中が見れなかったりと今回の旅は少々間が悪い様である。
 ともあれ、いくつかの資料を入手して旅の目的の一つを果たした私は、その足で山下公園へと向かった。
 ぶらぶらと山下公園を見て歩く内に氷川丸が目に留まったため、ついでならと内部の見学をしてみる。その後、人形の家で時間をつぶした後、観光船にて港内一周もしてみる。感想はどれもまあこんなものかという所。氷川丸の船首で手を広げているような人間もいなかったし。
 昼食は中華街にてガイドブックに載っていたトンソクそばなるものを取る事にする。味の方は少々期待外れ。やはりラーメンは日本のものという事か。  ともあれ腹を満たしたので、中華街をぐるりと見て回る。関帝廟を手始めにあちこち見て回る内、とある店で気まぐれに手相を見てもらう事にする。
 年齢と職業を聞かれた後に鑑定開始。
 職業は適職。30歳前後から35歳くらいまでが最盛期で、その後もそれなりに隆盛だとか。生命線が長いので百歳くらいまでは生きる。家庭的には若干独占欲が強いものの良い家庭を築ける。女性運はある方なので出会いの機会は多い。結婚は27歳くらい……もう過ぎていますけど、というと、その当時付き合っていた女性がいなかったのならばまだ機会はありますとか。
 良い事ばかり言われるので多少白ける部分もあったが、占いなんて心の持ち方なのでこれは素直に信じて置こう、うん。
 その後、伊勢佐木町へ向かい、1920年代の珈琲を飲ませるという「伊勢ぶら」という店に行き一服。喫茶ジャバウォックに心を寄せる。
 さすがにあちこち歩き回って疲れたので、ここでタクシーを拾って三渓園という本牧にある日本庭園へと向かう。ここ自体は良くも悪くも普通の日本庭園。外国人の子供たちが英語で騒ぎながら見物しているのが横浜らしいといえばらしいであろうか。後は休憩所に猫が十匹あまりたむろしていたのが印象に残る。
 三渓園から徒歩でホテルへと戻った後は、疲れもあってひたすらのんびり。  ホテルのバーに飲みに行き、夜のベイブリッジを眺めたり、風呂でのへ〜としたり、鑑定団を見ながらまじかるアンティークをプレイしたり。

●2000年6月28日●

 楽しかった小旅行も今日で最後。
 外はあいにくの雨。最終日に焦って観光する事もあるまいと思い、のんびりとホテルで過ごした後にチェックアウト。
 この日が雨だった事により、結局ランドマークタワーの展望台には行かずじまい。ランドマーク地下の食堂で開化丼を食べて引き上げる事にする。
 慣れぬ寝床で数日を過ごしたせいか、帰りの電車の中ではこくりこくりと舟をこぐ。それでも無事に家に辿り着いたのは、以前の仕事で徹夜慣れしていたためであろう。

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