米国、テロ支援の記録:1975年7月5日〜1976年6月19日




1.はじめに

1975年12月7日、インドネシア軍は、東チモールに全面侵攻した。1974
年、ポルトガルでクーデターが起き、ファシスト政権が倒れるのと前後して、数世
紀にわたってポルトガルの植民地支配下に置かれていた東チモールでも、独立の機
運が高まった。インドネシアは既に1974年から、東チモールに対して不安定化
工作を繰り返し、1975年には政治的に東チモール内部の対立をあおった他、特
殊部隊による侵略も繰り返していた。

全面侵略以来1999年に至るまで、東チモールを不法占領していたインドネシア
は、東チモールで膨大な虐殺やテロ行為を続けてきた。インドネシア軍の攻撃や処
刑、そして強制キャンプで引き起こされた飢餓や病気のため、当時の人口60万人
の3分の1にものぼる20万人の東チモール人が命を失った。インドネシア軍によ
る虐殺や拷問、強姦、超法規的処刑、失踪は日常茶飯事であり、数百人規模の犠牲
者を出す虐殺もしばしば行われた。また、インドネシアは、自らが東チモールを「
開発した」と宣伝するために作った学校や病院を東チモール民族抹殺の手段として
用いてきた。インドネシア語が強制され、また、女性に対して知らせないまま発ガ
ン性の高い強制避妊薬を注射したりした。解放運動に関わる人々の子供が出産時に
殺害されたりした。

1999年、国連や国際社会が「インドネシアに治安を」と繰り返す中行われた住
民投票の前後には、インドネシア軍とその手先の民兵が最後のテロ行為を実行した。
特に住民投票後の9月には、インドネシア軍が大規模な破壊と虐殺を繰り返し、全
土の70%にのぼる建物を破壊し、数千人の人々を殺害した。このとき西チモール
に逃れたあるいは強制的に連れ去られた数十万人の人々のうち数万人は、インドネ
シア軍が後押しする民兵の支配下に置かれ、今も帰還できていない。

いかにして、インドネシアによる東チモール侵略と不法占領そして大規模なテロ行
為が24年間も続けられ得たのか?インドネシアとの経済関係を重視する日本や米
国、欧州諸国、オーストラリアなどの経済的・外交的・軍事的支援がインドネシア
に大規模に与えられたからである。日本政府は、侵略直後から国連の場で、インド
ネシア非難決議を穏健なものとするために奔走し、国連決議すべてに反対票を投じ
てきた。また、巨額のODA供与を続けた。米国は、大規模な軍事支援をスハルト
独裁政権に対して行い続けた。オーストラリアは、チモール海の石油と天然ガスを
盗掘するために、インドネシアによる東チモール不法併合を認めた。これらの事実
に目を瞑り続けた各国の大手メディアもまた、残虐行為を暗に支えてきたといえる。
日本の大手メディアは、1999年から現在に至るまで、東チモールの「インドネ
シアからの独立」という嘘を繰り返してきた。朝日新聞に至っては、最近、投書原
稿に、投書者の意志を無視して、勝手に「インドネシアからの独立」という表現を
盛り込んだ。

1975年12月7日、インドネシアが東チモールに全面侵攻する際、当時の米国
大統領ジェラルド・フォードと国務長官ヘンリー・キッシンジャーがスハルトにゴ
ーサインを出したと言われてきた。これに関連する米国政府筋の公式文書の一部は、
数年前に公開されていたが、最近、いくつかの文書の全文が公開された。以下に、
その一部を紹介する。これは、米国が、20世紀後半最悪のテロ行為の一つに対し
て全面的な支援を与えてきたことについての記録である。


2.公開された文書

今回入手したのは、以下の文書である。いずれも、The National Security Archive
のウェブサイトからpdf形式のものが入手できる。また、同サイトには背景情報及
び文書の簡単な説明もある。以下の説明は同サイトの背景説明にも多くを負ってい
る。


(1) 1975年7月5日、メリーランド州キャンプ・デービッドでの、フォード米
大統領、キッシンジャー国務長官、スハルト・インドネシア大統領(いずれも当時)
の会話。全7ページ。

前後の状況:

この会話は、インドネシアが東チモールに全面侵攻する5ヶ月前になされたもので
ある。ポルトガルの「カーネーション革命」を機に独立の機運が高まった東チモー
ルでは、1974年より、東チモール独立革命戦線(フレテリン:1974年9月
にチモール社会民主協会から改名)、チモール民主同盟(UDT)、チモール人民
民主同盟(Apodeti)をはじめとするいくつかの政党が結成されていた。イ
ンドネシアは既に1974年10月から「コモド作戦」を開始し、東チモールへの
介入をねらって情報操作による不安定化工作を行っていた。また、1975年2月
に、インドネシア軍は、南スマトラで、東チモール侵略演習を行っていた。さらに、
1975年5月には、フレテリンと同盟を組んでいたUDTに対して揺さぶりをか
け、内紛を引き起こそうとしていた。本文書で、スハルトは、直前の1975年6
月26日にマカオで行われたポルトガルと東チモール政党間の会議にフレテリンが
出席しなかったことを示唆しているが、これは、当時既に東チモールで不安定化工
作を進めていたインドネシアがこの会議にオブザーバ資格で参加したことによる。

文書:

米国のベトナム侵略が終わりを告げた直後であり、「共産主義の脅威」について語
られ、東南アジアの今後の情勢一般についてが議題となっている。冒頭で、フォー
ドはインドネシアへの武器提供(戦車やC−47航空機、C−123輸送機など)
を提案している。スハルトは「共産主義の脅威」は軍事的なものよりもむしろ思想
的なものであると強調し、それに対して、インドネシアは国を守るための「パンチ
ャシラ」があると述べている(この文書のスクリプトでは、パンチャシラの綴りが
わからなかったらしく、「Pantchestita (?)」となっている)。同時に、スハルト
はインドネシア軍に対する武器提供の必要性を米国に説いている。

東チモールの話題は6ページ目から出てくる。以下に該当部分を訳す。

スハルト:私が議題に乗せたい第三の点は、ポルトガルの非植民地化である。我々
の基本原則である1945年の新憲法から始めると、インドネシアは他国の領土に
対して攻撃行為を行わない。それゆえ、インドネシアは他国の領土に対して武力行
使をしない。チモールに関しては、自決プロセスを通した非植民地化を支持する。
チモール人の見解を確かめると、3つの可能性がある。独立、ポルトガルのもとに
留まること、インドネシアに加わることである。小さな領土で資源がないので、独
立国となるのはほとんど無理であろう。ポルトガルに留まるとすると、とても離れ
ているのでポルトガルにとって大きな重荷となる。独立国としてインドネシアに統
合しようとしても、インドネシアは単一の統一国家なので不可能である。従って、
唯一の方法はインドネシアに併合することだ。

(フォード)大統領:チモール人が選択を行うための日程をポルトガルは既に確定
したのか?

スハルト:日付はまだ決まっていないが、人々の意志が確認されるという点につい
ては原則として合意された。問題は、独立を望むものたちは、共産主義の影響を受
けたものたちだといことだ。インドネシアへの併合を望むものたちは、ほとんど共
産主義者であるものたちから、大きな圧力を受けている。共産主義者分子は、マカ
オで最近行われた会議を実質的にサボタージュした。私は、インドネシアはチモー
ルの自決権に介入したくはないが、問題は、どうやって、多数がインドネシアとの
統一を望むように自決プロセスをもていけるかである。・・・

コメント:

スハルトは「ポルトガルに留まるとすると、とても離れているのでポルトガルにと
って大きな重荷となる」と述べている。ポルトガルが東チモールを収奪してきたこ
とについては言及されていない。また、フレテリンを「共産主義者」と述べ、冷戦
ドクトリンの枠組みに話を持っていこうとしているようである。フレテリンの性格
については、The National Security Archiveを含む多くの解説に「フレテリンは
共産主義者ではない」という趣旨の断り書きが(正しく)ついているが、本文書の
問題は、フレテリンが共産主義者かどうかではなく、スハルトもフォードも、東チ
モールについては自分たちが何か判断してことを運ぶ権利があるという前提で話が
進んでいる点にある。自決の権利は、共産主義者であるとかないとかいう理由で、
他国が勝手に干渉したり否定したりできる権利ではない。


(2) 1975年8月12日、火曜日朝8時から行われた国務長官キッシンジャーの
スタッフ会議メモ。全5ページ。

前後の状況:

ジャカルタでインドネシアの中心的な将軍達と会合を持った直後の、1975年8
月11日、UDTは、ディリでクーデターを起こす。これは政権を奪取し、フレテ
リンの人気をつぶそうというものであった(その直前の7月29日、地方議会の選
挙ではフレテリンが55パーセントの票を得ていた)。背景には、フレテリンが政
権を取るならばインドネシアは東チモールを侵略するという圧力があった。このと
き起こった短い内戦は9月24日、UDTが西チモールに撤退することにより終了
した。内戦に勝利したフレテリンは、内戦中にディリの対岸にあるアタウロ島に逃
げたポルトガル政庁に復帰を要請するが、ポルトガル政庁はこれを拒否。フレテリ
ンは、政権を実質的に担当せざるを得なくなった。

文書:

このメモは、最後の1ページを除き、ほとんどがチモールに関する議論に宛てられ
ている。以下にチモール関連部分の訳文を掲載する。原資料は5ページ。

朝8時の国務長官スタッフミーティング:1975年8月12日火曜日
出席者:
国務長官−キッシンジャー(Henry A. Kissinger)
 P−シスコ氏(Mr. Sisco)
 M−イーグルバーガー氏(Mr. Eagleburger)
 AF−マルケー大使:代理(Ambassador Mulcahy, Acting)
 ARA−ロジャース氏(Mr. Rogers)
 EA−ハビブ氏(Mr. Habib)
 EUR−アーミテージ氏代理(Mr. Armitage, Acting)
 NEA−アサートン氏(Mr. Atherton)
 INR−ハイランド氏(Mr. Hyland)
 S/P−ロード氏(Mr. Lord)
 EB−エンダース氏(Mr. Enders)
 S/PRS−ファンセス氏(Mr. Funseth)
 PM−ヴェスト氏(Mr. Vest)
 IO−バッファム氏(Mr. Buffum)
 H−ジェンキンズ氏:代理(Mr. Jenkins, Acting)
 L−シュウェベル氏:代理(Mr. Schwebel, Acting)
 S/S−ボルグ氏:代理(Mr. Borg, Acting)
 S−ブレマー氏(Mr. Bremer)

キッシンジャー国務長官:フィル。

ハビブ氏:我々はポルトガル領チモールのクーデターについて不完全な一連の報告
を得ている。このクーデターはインドネシアとオーストラリアでちょっとした非難
を引き起こしている。何が起こったか確実にはわかっていないが、明らかに、東チ
モール独立解放グループの一つが何らかのかたちで政権を掌握したようだ。意図に
ついてはわかっていない。
 インドネシアは怒っており、部隊をとても静かに動員しようとしている。
 状況が明らかになったら、インドネシアが行動を起こすほど深刻なものかどうか
がわかるだろう。インドネシアは敵対するグループ、すなわち共産主義者に支配さ
れたグループが政権を握ることを許しはしないことは非常に明らかだ。

キッシンジャー国務長官:ふん。しかし、そのグループは誰だ?

ハビブ氏:現在言えるのは、それはUDT、チモール民主同盟というグループで、
共産主義者が支配しているグループではない。チモール島にはもう一つ何らかの兵
力を持つグループがあり、これは共産主義に支配されている。
 UDTだとすると、インドネシアが背後にいて、誰にもまだ知らせていないとい
う可能性が高い。傍受した通信からは、インドネシアがそこまで知っているかどう
か明らかではない。そして我々は様子を見なくてはならない。今日、もう少し情報
が手に入るはずである。
 いずれれにせよ、どのように展開しようと、それがインドネシアの動きであれば、
あるいはそれに反対するインドネシアの動きがあれば、この状況に対して我々は何
もしないべきだと私は思う。インドネシア群島のど真ん中の島の政権を敵対的な分
子が握ることをインドネシアがそのままにしておきはしないことは極めて明白であ
る。

キッシンジャー国務長官:早かれ遅かれ、インドネシアがチモール島を取得するこ
とはとても明らかだ。

ハビブ氏:そのうち。それは常に予期されている。何かそれに対して発言しそうな
のは、オーストラリア人だけだ。オーストラリア人は何か言うべきと感じるだろう。

キッシンジャー国務長官:何故、ウィットラム(当時の豪首相)が、植民地主義の
遺物が消え去ることを気にするのか?

ハビブ氏:ウィットラムは繰り返し繰り返し、ポルトガル領チモールがどうなって
も、それが人々の合意を伴うのであればオーストラリアは気にしないと述べてきた。
そして彼はそれを強調する態度をとってきたので、彼の党はそのことを記録されて
いる。
 事実として、彼は、ここに来たときあなたにそのようなことを述べた。そしてオ
ーストラリア人達は、東チモールがそのうち自由になるとしても、2、3年はポル
トガルのもとに留まって問題を整理するのが望ましいと考えていた。

キッシンジャー国務長官:チモールで「整理する」というのは何を意味するのか?

ハビブ氏:インドネシアがチモール人を、何らかの親インドネシア統一(enosis)
グループに十分組織するまでというのがその答えだ。

キッシンジャー国務長官:あなたは少し興奮しているのか?

ハビブ氏:これ(enosis)は、トム・エンダースから習ったギリシャ語だ。彼はギ
リシャ語を流暢に話す。あなたはラテン語を話すというのか?
 いずれにせよ、重要なのは、この問題には、あなたが反対でないならば、意見を
もってこれに引き込まれないようにしなくてはならないことだ。つまり、公には。
 (笑い)
 私は、これはちょうど・・・

キッシンジャー国務長官:最後の言葉はあなたの意図していることではないだろう。

ハビブ氏:あなたの確認を条件に、昨日、我々はコメントを出してはならないとい
う指示を与えておいた。

コメント:

いずれにせよ、この文書でも、米国にとって東チモールの人々の権利は全く考慮外
におかれていることが見て取れる。

豪のウィットラム政権は、1975年侵略直後の国連におけるインドネシア非難決
議では賛成票と投じたものの、その後2年間は棄権し、それ以降は一貫して反対票
を投じている。冒頭で述べたように、オーストラリアはその後、チモール海の資源
を盗掘するためにインドネシアによる東チモール併合を認めた。侵略当時1975
年の駐ジャカルタのオーストラリア大使リチャード・ウルコットは「オーストラリ
ア政府は、インドネシアの東チモール侵略を非難し、自決権という、東チモールの
人々にとって不可欠な権利を確認するという道徳的な立場と、長期的に見た場合、
(インドネシアによる東チモール併合という)状況は必然であることを功利的・現
実的に認める立場との間の選択に直面している。・・・前者はより妥当で原則的で
あるが、長期的な国益は後者によって得られるであろう」とし、オーストラリア政
府はインドネシアを支持すべしと提唱している。ウルコットは2000年8月、イ
ンドネシア政府から勲章を授与されている。


(3) 1975年11月21日、フォード大統領のインドネシア訪問をひかえて、国
務長官キッシンジャーがフォード大統領に宛てた覚え書き「あなたのインドネシア
訪問」。全17ページ。

前後の状況:

UDTによるクーデターの後、フレテリンが実質的な政権を担当していた状況で、
インドネシア軍は西チモールから東チモール侵入を繰り返す。1975年10月6
日には、国境近くの町バトゥガデを攻撃。10月16日には、やはり国境近くのバ
リボで、侵略してきたインドネシア軍が、オーストラリアのTVクルー5名を殺害
した。オーストラリアは、インドネシア軍がこれに関与していることを知りながら、
沈黙を守った。

文書:

この覚え書きは17ページからなり、フォード大統領のスハルト訪問時の目的、議
題にのぼるであろう事柄と対応策が整理されている。総論としては、一貫してイン
ドネシアの米国にとっての重要性が強調されている。以下、章節構成及び東チモー
ル関連部分の訳を掲載する。

I.訪問の目的
II.背景と戦略
III.米国−インドネシア共同委員会
IV.問題と話のポイント
 1.インドネシアと中華人民共和国
 2.米国−ソ連の緊張緩和
 3.インドネシアの地域政策
 4.マレーシアの反体制活動
 5.米国のインドネシアに対する治安支援
 6.北−南の経済問題
 7.エネルギー問題
 8.インドネシアに対する米国の経済援助
 9.インドネシアと国連
 10.インドネシアと海洋法
 11.インドネシアと人権
 12.インドネシアとポルトガル領チモール

12.インドネシアとポルトガル領チモール

インドネシアはチモール島をインドネシアと共有する小さな植民地(人口60万人)
をポルトガルの手に任せておくことに満足していた。けれども、ポルトガル帝国の
解体により、インドネシア政府は、この後進の資源に乏しい植民地が、インドネシ
アが予測するところの弱体で生き延びることも難しい独立国となり、外部、特に中
国の支配を受けやすい状況になることを憂慮している。

約1年にわたり、ジャカルタは、大きな自制を示し、この植民地を、リスボンとの
交渉と、この植民地に対する秘密軍事作戦を通して吸収しようと策動してきた。チ
モールの対立する党の間で起きた小規模な内戦により、インドネシアはより強力に、
親インドネシア派を支援して介入することができるようになった。一方、ポルトガ
ルは、ほとんど完全に支配権を失った。

住民が同意するならば、インドネシアとの合併が恐らく最良の解決であろう。けれ
ども、インドネシアが明示的な領土占領のために米国に支給された武器を使うこと
は、米国の法律に違反する。我々は、静かにこの点をインドネシア政府に指摘した。
これがインドネシア政府の自制要因になったようである。

あなたの発言のポイント(インドネシア側からこの問題が提起された場合)

−我々は、チモールがインドネシアに呈する問題を理解し、そして、これまでイン
ドネシアが示してきた自制を理解する。

−我々は、インドネシアが、東チモールのインドネシアとの合併を、チモール住民
の同意において実現する意志があることを表明したことを聞いた。これは、妥当な
解決のように思われる。

コメント:

米国は、オーストラリアを通して、また直接の情報収集により、インドネシアが東
チモール不安定化工作を繰り返し、西チモールからの侵入を繰り返してきたことを
知っていたと言われてきた。本文書から、キッシンジャーが、インドネシアの行為
を把握していたことがわかる。なお、本覚え書きの約1週間後、11月28日には、
インドネシアによる度重なる侵略に危機感を増したフレテリンが東チモール民主共
和国の独立を宣言する。一方、インドネシアのアダム・マリク外相は翌29日、不
安定化に利用したUDTと親インドネシア派のApodetiの指導者を使って、
西チモールのクパンで東チモール併合宣言を発表した。

「約1年にわたり、ジャカルタは、大きな自制を示し、この植民地を、リスボンと
の交渉と、この植民地に対する秘密軍事作戦を通して吸収しようと策動してきた」
というのは、つまり、全面侵略をしなかったことを「大きな自制」と述べているこ
とになる。インドネシアが行っていたことは、このとき既に不法侵略でしたが、米
国にとっては、肯定的なことのようだ。


(3a) 1975年11月21日、上記「あなたのインドネシア訪問」に添付された
国務省のブリーフィングペーパー「インドネシアとポルトガル領チモール」。全3
ページ。

前後の状況:

文書(3)と同じ。

文書:

インドネシアとポルトガル領チモール

ポルトガル領チモールは、小さな(人口60万人)これまで無視されてきたポルト
ガルの植民地で、チモール島の半分を占める。もう半分はインドネシア領である。
双方の住民は民族的には区別できないが、何世紀にも異なる支配を受けてきたため、
社会的・文化的な相違が創り出された。インドネシアはこの植民地の領有を主張せ
ず、また、スハルト政府は、それをポルトガル人の手に無期限に任せておくことに
満足していた。けれども、インドネシア政府は、独立ポルトガル領チモールという
考えを心配してみている。その後進性と経済的自立性の欠如とが、外部、特に中国
の影響の浸透に対してポルトガル領チモールを開くこととなり、それはインドネシ
アにも広がる可能性があることを恐れている。

背景

今年の8月、ポルトガル領チモールで、対立する政党間の小規模な内戦が起こった。
ポルトガルは秩序を回復できず、残った市民を撤退させ、行政府を小さな島に移し
た。早期の独立を望むなんとなくの左派である政党フレテリンは、解散したポルト
ガル駐屯隊のチモール人兵士約2000名の支持(と武器)を得て、すみやかにそ
の後を継いだ。しかしながら、インドネシアは、フレテリンに対立する2つの主要
な政党の部隊を訓練して武器を与え、偽装したインドネシア軍特殊部隊によって強
化し、ポルトガル領チモールに送り込んだ。インドネシア軍特殊部隊はフレテリン
を首都ディリに押し戻していた。最新の報告では、親インドネシア派の部隊が立場
を固める一方、敵対行為は減少した。

この間、インドネシア外相は、最近、ポルトガル外相とローマで会談し、ポルトガ
ル領チモールがポルトガルの責任であることを再確認し、また、戦闘を止め8月に
中断された非植民地化の「秩序だった」プロセスを再開するためにチモール諸政党
とポルトガルとの間で会議を開催することを提唱する声明に対して、ポルトガル外
相の同意を取り付けた。この声明はインドネシアに有利なものであった。というの
も、これはフレテリンが領土を制圧しているという主張を認めず、また、会議にお
いて、今や実質的にインドネシアの支配下にある2つの政党の出席者数がフレテリ
ンよりも多いこととなったからである。

現状

ポルトガルは、国内の問題に煩わされ、また、植民地の問題はアンゴラを巡る苦闘
に集中しているため、ポルトガル領チモールについての主要な関心は、面目を保っ
て撤退し、派閥が合意できるような秩序の外観を残していくことにある。ポルトガ
ルは3つのチモール人主要政党の会議を提唱し、ダーウィンを開催地候補とした。
3政党ともにこの提案を却下はしなかったが、開催地については意見の相違と論争
があった。

この間、インドネシアの国連代表部は政策声明を配布し、チモールを「秩序だって
非植民地化」する責任は依然としてポルトガルにあると強調し、「全ての人々」に
よる自決行為を提唱し、結果を尊重することを誓い、そして、チモールの人々が望
むならば「インドネシアとの併合を通して独立すること」を歓迎すると述べた。フ
レテリンに向けた下りでは、声明は、「インドネシアは武力を通して強制された解
決はどの政党によるものでも受け入れることができない」と宣言した。

見通し

ポルトガル主導によるチモール主要3政党の会議は(それがそのうち開催されると
して)、停戦の提唱と、恐らくは、ポルトガル政庁のかたちばかりのディリ復帰を
帰結するかもしれないが、ポルトガルが実権を回復することはほとんどありそうに
ない。インドネシアは、恐らく停戦を公には祝福するだろうが、フレテリンが敗退
するか解体するまでインドネシアが秘密活動を続けることが良そうされる。けれど
も、インドネシア政府は今日まで忍耐を示し現在までその試みをさりげなく行おう
としてきた。そして、最小の外部への影響で、その目的を達成しようとするだろう。

米国の利害

我々は、米国はチモールの状況に関与することを避け、その解決をインドネシア、
ポルトガル、オーストラリアそしてチモール自身にまかせるべきであるという立場
を取ってきた。我々の関与を求める要請は現在なく、関係者は相互に直接接触して
おり、誰も我々の助けを求めていない。

我々にとって特別な関心は、インドネシアによる東チモールへの公然軍事介入であ
る。このとき、不可避的に、米国が供給した武器を使うことになる。けれども、我
々は、この問題について、静かにインドネシア指導陣の注意を促し、それが、これ
までジャカルタの主要な自制要因となっていた。

執筆:EA/IMS:ECIngraham:lgr 1975年11月21日(内線)21236
証明:EA - Mr. Miller; EUR/WE Mr. Fourier

コメント:

本文書は、読んでいて気分が悪くなるほどあからさまに、インドネシアの謀略と、
それに対する米国の対応とが書かれている。ここで、チモール3政党による停戦合
意が、紛争の当事者インドネシアを抜きに語られている。また、インドネシアが「
停戦を公には祝福する」一方で攻撃を続けるだろうという点も、はっきりと認識さ
れている。これを認識しながら、米国は、インドネシアを暗黙に支持したのである。
これは、1999年住民投票時、インドネシア軍のテロ行為を無視して、「併合派
と独立派の対立」と「停戦」のための調停等々と述べ、テロ実行者インドネシアの
「治安」維持の宣伝を経済利害のために嬉々として受け入れていた「国際社会」そ
っくりそのままである。24年間、同じ嘘のもとで犯罪が続いてきたことがはっき
りわかる。

冒頭の、「その後進性と経済的自立性の欠如とが、外部、特に中国の影響の浸透に
対してポルトガル領チモールを開くこととなり、それはインドネシアにも広がる可
能性があることを恐れている」という説明は、少し奇妙な点を含んでいる。チモー
ルがその後進性故に中国の影響を受けるのであれば(従って先進的かつ経済的に自
立できれば中国の影響を受けないのであれば)、それが侵入する可能性のあると恐
れられるインドネシア自身も後進的かつ経済的に難しいことになる。一方、インド
ネシアはそうではないというのであれば、ポルトガル領チモールが、その後進性と
経済的困難のゆえに中国の影響を受けたとしても、インドネシアには影響がないは
ずである。むろん、中国の影響を受けるかどうかは別にして、後進的かつ経済的困
難を抱えるポルトガル領チモールが仮にそれなりの国になったとすると、莫大な天
然資源と豊かな環境を持ちながらスハルト独裁のもとで人権侵害と困難にあえぐイ
ンドネシアの人々に、チモールの情報は入ってゆくことになろう。インドネシアそ
して米国が恐れていたのは、こうした「良い例の脅威」である。


(4) 1975年12月6日、ジャカルタの米国大使館テレグラム1579、国務省
宛。フォード、キッシンジャー、スハルトの会話。全12ページ。

前後の状況:

前述したように、インドネシアによる西チモールからの侵略が続く中、危機感を高
めたフレテリンは11月28日、独立宣言を出す。一方、インドネシアは翌29日、
不安定化に利用したUDTとApodetiの指導者を使って、西チモールで東チ
モール併合宣言を発表した。このときの併合宣言が、インドネシアの一方的策動に
よるものであったことは、同宣言に信頼性を与えるために参加していた東チモール
人が後に明らかにしている。

文書:

インドネシアによる東チモール全面侵略の前日、中国訪問の帰途、ジャカルタにた
ちよったフォード米大統領とキッシンジャー米国国務長官と、スハルト大統領との
会話。前半は、ヴェトナム侵略から撤退した後も、米国はアジア問題に関与し続け
ること、非同盟諸国に対する共産主義者の影響、タイやマレーシアでの反対運動、
東南アジア諸国の政府を「助ける」ため、インドネシアにM−16ライフル製造工
場を作る計画などが語られている。チモールの話題は、その後で、持ち出されてい
る。以下、該当部分を訳出。番号は、原文書の段落番号。

39.(スハルト−)大統領、私はあなたに、もう一つの問題、チモールについて
話したい。チモールにおけるポルトガル支配が終了するように見えたとき、我々は、
ポルトガルに、秩序だった非植民地化プロセスを要請した。我々はそのプロセスに
関してポルトガルと合意し、非植民地化の実行及び人々にその望みを表現する権利
を与えることに関しては、ポルトガルの権威を認めた。インドネシアには領土的野
心はない。我々は、アジアと南半球の治安と静穏、平和に関心があるだけだ。最近
のローマ合意で、ポルトガル政府は交渉のために全ての政党を招待したがった。同
様の試みは以前にもなされたが、フレテリンは参加しなかった。フレテリン勢力が
一定部分を占領し他の勢力が対抗できなかった後、フレテリンは一方的に独立を宣
言した。その結果、他の政党は、インドネシアと併合する意図を宣言した。ポルト
ガルは事態を国連に報告したが、フレテリンの承認はしなかった。けれども、ポル
トガルには事態掌握ができない。この事態が続くと、難民の苦難が長引き、また、
地域の不安定性が増すことになるだろう。

40.フォード−他の4つの政党は併合を求めたのか?

41.スハルト−そう。UDTの後、インドネシアは既成事実に向かい合っている
ことに気がついた。今、東チモール地域とインドネシアの治安の関心に基づき、現
在及び将来における平和と秩序を確立するために何ができるか決断することが重要
である。我々は、現在そうした点について考えている。我々が迅速なあるいは思い
切った行動をとる必要があると考えた場合に、あなたの理解を望む。

42.フォード−我々は理解する。そしてこの問題について圧力をかけたりはしな
い。我々はあなたが抱える問題と持っている意図とを理解する。

43.キッシンジャー−米国製武器の利用は問題となりうることは理解していると
思う。

44.フォード−我々は、技術的及び法的問題に直面するかもしれない。大統領、
あなたがよく知っているように、今回の状況は異なるが、キプロスで抱えたような
問題だ。

45.キッシンジャー−それをどう解釈するかによる。自衛なのか外国での作戦な
のか。いずれにせよ、あなたが行うことが迅速に成功することが重要だ。もし起こ
るべきことが、我々の帰国後起こるのならば、我々はアメリカの反応に影響を与え
ることができるだろう。そうすれば、人々がこれについて認められないような話を
する可能性は少なくなる。大統領はジャカルタ時間の午後2時に帰国しているだろ
う。我々はあなたの問題と迅速に行動を起こす必要性を理解する。私が言っている
のは、それが我々の帰国後に行われた方が良いだろうということだけである。

46.フォード−我々が個人的にそれをできるのであれば、より権威がある。

47.キッシンジャー−あなたが何をしたとしても、我々は、出来うる限り最上の
手だてを取る。

48.フォード−あなたには時間的要因があることを我々は理解する。我々は、我
々自身の立場からの見解を述べているだけだ。

49.キッシンジャー−もし計画があるのなら、我々は、大統領が帰国するまで皆
を静かにさせておくために最善を尽くす。

50.チモールで長期にわたるゲリラ戦を予想しているか?

51.スハルト−小規模なゲリラ戦は恐らく起こるだろう。現地の王たちは重要で、
彼らは我々の側についている。UDTは元政庁職員を、フレテリンは元兵士たちを
代表している。フレテリンはポルトガル軍と同様、共産主義に感染している。

52.私は、貿易関係について一言言いたい...

コメント:

「同様の試みは以前にもなされた」というのは、1975年6月26日にマカオで
行われたポルトガルと東チモール政党間の会議にフレテリンが出席しなかったこと
を示しているのだろう。これについては前述したとおり。

フォードとキッシンジャーは、ここで、インドネシアによる東チモール全面侵略に
ついて自ら米国での対応を支持すると示唆し、スハルトが何をするにせよ、出来る
だけそれに協力するよう手だてを取ると明言している。その後24年間、東チモー
ルでインドネシア軍が続けた大規模な国家テロ、犯した戦争犯罪と人道に対する罪
の引き金を、フォードとキッシンジャーは引いたのであった。

豪の元外交官ジェームズ・ダン氏によると、インドネシアの米国大使館は、スハル
トが東チモールに全面侵攻する計画を、この会談が行われた一週間ほど前には、イ
ンドネシア諜報部から受け取っていたという。そして、キッシンジャーは、既に1
2月4日か5日に、国務省から、スハルトによる全面侵略計画のケーブルを受け取
っていた。もともとスハルトは12月6日に東チモールに全面攻撃をかける予定で
あったが、この会談からもわかるように、フォード、キッシンジャーが米国世論・
議会に対する対策をとってインドネシアの侵略を隠すためには侵略は帰国後に行わ
れるべきであるとしたため、延期され7日に開始されることとなった。


(5) 1975年12月5日、6日の、キッシンジャー国務長官の日程表。2ページ。

前後の状況:

文書(4)と同じ。

文書:

5/6日の日程。特に訳出しない。


(6) 1976年6月17日、火曜日に行われた国務長官キッシンジャーのスタッフ
会議メモ。全23ページで、該当部分は19ページから23ページまで。

前後の状況:

ワシントンは、インドネシアの東チモール侵略直後、インドネシアが米国との2国
間合意に反しているかどうかを調べるという名目で、新たな武器売却を遅らせた。
既に予定されていた軍事設備の売却は続けられ、6ヶ月間の検討期間駐にも、米国
はインドネシアに対して新たな軍事関係品売却を4度行った。それには、東チモー
ルで抵抗勢力を一層するために使われたロックウェル社のOV−10ブロンコ爆撃
機の部品も含まれる。政府の武器売却延期とその後の新たな武器売却提案が、19
75年12月18日のキッシンジャーと補佐官たちとの間の会議の議題であった。
その中で、キッシンジャーは、スタッフが、インドネシアが武器使用に関する合意
に反したので、インドネシアに対する武器売却を止めるべきであると勧告したメモ
を書いたとして、スタッフを叱った。このメモは広く回覧されたわけではなかった
が、キッシンジャーは、官僚の頭越しに法を破ったことがばれるのではないかと怒
った。

一方、東チモールでは、1976年2月14日、元UDT指導者のロペス・ダ・ク
ルスが、インドネシアの侵略以降、6万人が殺されたと述べた。国連は75年12
月22日に安保理がインドネシア軍撤退を求め、また、76年4月22日にも再び
撤退を要求した。この際、国連安保理特別使節Winspeare Guicciardiが2月にイン
ドネシア制圧地域を訪問した報告が提出されているが、使節は、フレテリン支配地
域へ入ることをインドネシア軍が禁じたため、十分な報告を作れなかったと述べて
いる。

本文書は、スハルトが、東チモールにインドネシア議会の使節団を送るにあたり、
「併合」の信憑性を高めようと、国際社会に同行使節派遣を求めたことに関するも
のである。

この文書に記録された会議が行われたちょうど1ヶ月後、スハルト大統領は、東チ
モールをインドネシアに併合する文書に署名した。9月末、オーストラリア政府は、
国内で、東チモールからの通信を受け取っていた通信機器を没収した。これにより、
完全な密室状態でインドネシア軍による虐殺が進められ、11月19日に東チモー
ルを訪れたインドネシアの援助職員一団は、侵略後、10万人が殺されたと発表し
た。同日、国連総会は、インドネシアによる東チモール併合を認めない決議を採択
している。日本政府も米国も、この決議に対して反対の票を投じた。

文書:

文書(2)と同様、最初のページに参加者の名前がリストされているが、ここでは省
略。東チモールに関係する部分は、19ページから23ページまで。以下、該当部
分を訳出。

キッシンジャー国務長官:OK。他には?ハリー?

シュラウドマン氏:なし。

ミラー氏:国務長官、我々は煩わしいちょっとした問題についてあなたの決断をも
とめる。政治オフィサ(Political Officer)レベルでの外交代表を、外交視察団
とともに、インドネシア議員使節団の東チモール訪問に同行させるよう招待がきて
いることに関することだ。

キッシンジャー国務長官:誰が行くのか?

ミラー氏:我々だ。

キッシンジャー国務長官:私が言っているのは、どの国が招待を受け入れたのかと
いうことだ。

ミラー氏:現状では、実質的にどこも受け入れていない。EC9カ国はすべて辞退
したし、国連安保理議長も辞退するだろう。国連事務総長も辞退する。
 恐らく、ASEANの何カ国かが受け入れるかも知れない。日本は、我々が受け
入れたら恐らく受け入れるだろう。オーストラリアの立場はまだわからない。前回、
東チモール暫定政府の招待があったとき、オーストラリアは最後の最後に行かない
と決めた。
 我々のここでの大体の気分は、−−EUR(ハートマン氏:スタッフ会議の参加
者)、IO(ルイス氏)、EA(ミラー氏)は、あなたに、H(マックロスキー大
使)とL(ライ氏)と続けるようメモを送った−−

キッシンジャー国務長官:あなたは反対なのだ(笑)

ミラー氏:もっとも有力な勧告は、我々は、つまり我々が参加すると全く単独とな
り、我々の参加はいささか目立つだろうから、受け入れないよう勧告する。インド
ネシアに対しては、我々が目立たなくしていたほうが、この国で、インドネシアに
関する我々のより広範な目的、チモール問題に対する全般の支援を含め、に関して
より広い支持基盤を得ることができると説明するのがよい。

キッシンジャー国務長官:目立たない参加はどうか?

ミラー氏:せいぜい、政治領事だけをおくることになるだろう。大使を送りはしな
い。一方、参加する国はとても少ないように思える。だから、どのレベルのオフィ
サが送られても、かなり目立つことになろう。

キッシンジャー国務長官:誰も送らないとすると、チモールに関しての国連の行動
に賛成しないことを示しているという話がそこから出てくるかも知れないと思うの
は誤りか?

ハビブ氏:いくつかの国は行かない。

キッシンジャー国務長官:例えば?

ハビブ氏:シンガポールは参加しない、おそらくタイも。

キッシンジャー国務長官:これについてどんな利害があるのか。理由を知りたいと
思う。

ミラー氏:私は、インドネシアのチモールにおける立場を弱めるという点について
ではなく、議会のインドネシアに対する関心が再び高まるのを避けるようしておき
たい。今の状況は満足のいくものであるから。

ハビブ氏:これに参加する必要はない。インドネシアは、国際的な、特に米国とほ
かの了解を、やってしまう前に得ようとしている。インドネシアにこのまま続けさ
せ、これまでしてきたことをさせよう。我々は反対しない。我々は、国連安保理の
議論でも反対しなかった。インドネシアは我々が取ってきた立場に満足している。
あなたも知るように、我々は、インドネシアとすべての正常な関係を再開した。そ
して、何の問題もない。

キッシンジャー国務長官:あまり意欲的にでなく。。。

ハビブ氏:何を?

キッシンジャー国務長官:あまり意欲的にでなく。非合法だけれどエレガントに。

ミラー氏:インドネシアが参加することは明らかだ。これについてあなたとマリク
との会談で言及されることは疑いない。

ハビブ氏:我々が、誰も他にいないのにあわてて参加したら、インドネシアが許容
できるかどうかについての議論が再燃することになろうと思う。

ハビブ氏:日本は前回いかなかったし、今回も、誰が行くかについて言葉を濁して
いる。オーストラリアが行かないことは、私たちが知っていることから、かなり確
かである。

キッシンジャー国務長官:オーストラリアになぜ聞かないのか?

ハビブ氏:検討中だと答えるだろう。

ミラー氏:オーストラリアは、安保理かワルトハイムが代表を送るよう求めたが、
成功しなかった。だから、私は、フィルと同じく、オーストラリアの参加はありそ
うにないと思う。前回も最後の最後に辞退した。今回も辞退する可能性が高い。

ハビブ氏:これは政治問題だ。

ミラー氏:直接聞いてみることができる。

キッシンジャー国務長官:では、何で聞かないのか?

ハビブ氏:これから聞く。

コメント:

このメモでは、国務省が、議会の対応を気にしていることがわかる。既に、インド
ネシアによる東チモールでの残虐行為は、米国諜報筋から伝わっていたが、人道問
題には、何一つ関心を示していないことがはっきりとわかる。1975年の侵略後、
米国政府は議会をなだめ、インドネシアに対する武器支援等を「正常化」すること
に成功した。この状況で、できるだけ目立つことをせずに、けれども、インドネシ
アに対する支援・支持は継続するという米国の立場がはっきりと現れている。


3.おわりに

東チモールは現在、2002年5月20日の独立に向けて、憲法制定を進め、また、
国連暫定統治機構(UNTAET)からの引継を進めている。国内の政治的・社会
的・文化的整備の他に、大きな問題が残されている。一つは、1999年、そして
ここで紹介した1975年からの24年間、インドネシアが不法占領下で行ってき
たテロ行為、戦争犯罪と人道に対する罪の実行者・責任者が全く裁かれていないこ
とである。もう一つは、西チモールに残された数万人の難民である。「難民の苦難」
は「長引」いている。

東チモール侵略とその後のテロ、大規模な戦争犯罪と人道に対する罪に、そもそも
の最初から米国が手を貸してきたことは、ここで紹介した資料からはっきりわかる。
他にも、武器売却を含め多数の証拠がある(当時の国連大使モイニハンは、インド
ネシア非難決議を無効なものにするためキッシンジャーの命を受けて奔走し、成功
を収めたと述べている)。1975年から一貫して国連総会におけるインドネシア
非難決議に反対票を投じ続け巨額のODAを提供し続けた日本、非難決議に棄権を
続け援助と武器売却を行ってきた欧州諸国、石油とガスを盗掘するためにインドネ
シアの東チモール不法占領を「併合」と認めたオーストラリアなども同罪である。

インドネシアに対する武器輸出を急増させた英国サッチャー政権のブレーンだった
アラン・クラークは、「私が責任を持つのは自分の国の人々に対してであって、ど
こかの外国人が別の外国人に何をしているかについて心を奪われることはない」と
述べ、インドネシアへの武器輸出を正当化しようとした。そうであるならば、何故、
2001年9月11日の「米国同時多発テロ」の際、英国はすぐに米国に忠誠を誓
い、自国が攻撃されていないのに「テロは許されない」ということに心を奪われた
のであろう。また、日豪米欧諸国は、何故、テロもその支援国も許さないという決
意のもと、インドネシア(現在でもアチェや西パプアで大規模なテロを続けている)
そして自国に対して、アフガニスタンに対して行ったような「処罰」を行わないの
だろう。

証拠は揃っている。けれども、これらの国は、自らを処罰するどころか、東チモー
ル人が望む、インドネシア軍司令官たちの国際的基準に従った処罰すら、黙殺して
いるのである。米国大統領のブッシュに至っては、「同時多発テロ」直後、インド
ネシアに対する軍事援助と武器提供再開のために策動している。

これらの「大国」は、25年前も今も、人間性と正義を踏みにじって、恥じること
を知らない。



4.参考文献

高橋奈緒子、益岡賢、文珠幹夫 (1999)
 『東ティモール 奪われた独立/自由への闘い』(明石ブックレット7)
高橋奈緒子、益岡賢、文珠幹夫 (2000)
 『東ティモール2 住民投票後の状況と正義の行方』(明石ブックレット11)
古沢希代子、松野明久 (1993)
 『ナクロマ 東ティモール民族独立小史』(日本評論社)
ノーム・チョムスキー著 益岡賢訳 (1994)
 『アメリカが本当に望んでいること』(現代企画室)
Taylor, J. G. (1991)
 Indonesia's Forgotten War: The Hidden History of East Timor.
 London: Zed Books.
The National Security Archive Website
  http://www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB62/


※解説・訳 益岡 賢(東京東チモール協会)