31「本名の朝鮮語読み」考

「本名の朝鮮語読み」考

在日朝鮮人が自分の本名をどう名乗るか、つまり日本語読みするか朝鮮語読みするかは、本人のそれぞれの考えがあってのことである。周りの人にとってはどっちでも構わないことで、本人の選択を尊重するしかない。このごろは朝鮮語読みすることが多い。

 ミニコミ誌『同和こわい考通信17』で崔文子さんという女性は「チュェ・ムンジャ」と名乗り、「私が自分の名を告げると必ず相手の日本人は問い直す」と書いている。朝鮮語に心得のあるのが圧倒的少数の日本人には朝鮮語読みの名前は馴染みにくく、「チュェ」だと名乗られると、何べんも聞き返すのは当然だろう。

 また毎日新聞に次のような在日朝鮮人の発言が載っていた。(1992年8月20日付け)

 

 私たちが日本人らしくしている限りいいのです。日本人は親切だし、差別するような人はもういません。しかし、私が本名を名乗り始めた時、ギョッとするような相手の視線を感じさせられたことがある。それは個人としての目ではない。社会的な作られたまなざしなのです。

 

 それまで日本名を使っていた在日朝鮮人が朝鮮語読みの本名を名乗る時には、周りの日本人はどう思うのだろう、と思い悩んでの上でのことだろう。名前を名乗る時に、相手の日本人の反応を探ろうとするのだから、そんな目で見られる当の日本人は、いきなり朝鮮語読みの名前を聞かされれば、ギョッとして身構えてしまうものだ。「社会的に作られたまなざし」とは大袈裟である。

名前の朝鮮語読みといっても、日本語と朝鮮語とでは音韻体系が違うので、カタカナ表記しても、それは正確な朝鮮語ではない。例えば「鄭」「全」「千」「鍾」はカタカナ表記ではすべて「チョン」となるが、朝鮮語ではそれぞれ違う。その発音の違いを日本人はもちろんほとんどの在日朝鮮人が区別できない。

 在日一世の牧師さんに「ソンさんはもうすぐ来られますよ。」と言ったら、「ソンさんか、ソンさんか。」と聞き返されて面食らったことがある。「いや、ソンですよ。」「だからソンさんなのか、ソンさんなのか、どっちなんだ。」と朝鮮訛りの日本語で聞いてくる。「孫」「宋」はともに「ソン」であるが、朝鮮語では発音が違うのである。

 在日で自分の名前の朝鮮語読みをしている人は、このような微妙な発音の違いを全くと言っていいほど気にしていない。なぜなら彼らは自分の国の言葉であるべき朝鮮語がほとんどできないからである。

また崔文子さんは「崔」を「チュェ」としているが、新聞等では「チェ」と振り仮名されていることがほとんどであり、また崔昌華さんという有名な在日の牧師さんは「チョェ」だとして、裁判まで起こしたことがあった。「チュェ」「チェ」「チョェ」、両言語の発音の違いのために、カタカナ表記に混乱が生じているのである。カタカナ表記はどんなに工夫しても、日本訛りの朝鮮語であることに注意する必要がある。

名前の朝鮮語読みというのは、日本語とかけ離れる程に日本人には馴染みにくい。普通の日本人は、「崔」という漢字をみれば「チュェ」と振り仮名されていても「さい」と呼んでしまうだろう。そのほうが日本人の言語感覚に合うからである。それでもやはり「チュェ」だとするのなら、そう呼ぶことに周りを馴染ませるのには時間がかかるだろう。億劫だろうと思うが、短気おこさずに親切にしつこく朝鮮語読みを通すしかない。

私の考えでは「崔」という漢字を呈示するのなら、「チュェ」だけでなく「さい」という呼び方も受け入れるのがよいと思っている。「崔」をワープロで出そうとしたら、「さい」と読みながら打つしかないのである。そしてまた、ほとんどの在日は自分の名前の正確な朝鮮語読み(本国の人に通用する読み方)ができず、カタカナの振り仮名通りの発音になるので、日本訛りの朝鮮語となってしまうからである。

 

本名の朝鮮語読みの疑問な例

 『朝鮮侵略と強制連行』(解放出版社 1992)という本のなかに、従軍慰安婦問題を考える会の「金 伊佐子」さんという方の論考があるが、彼女は自分の名前を「キム・イサジャ」と一見朝鮮語風に読ませている。ところが「金」「伊」「子」は「キム」「イ」「ジャ」と朝鮮語の読み方でいいのだが、「佐」は朝鮮語では「チョァ」と読み、「サ」とは読まない。二・三の朝鮮語辞書を調べてみたが、やはり「サ」とは読まない。つまり「キム・イサジャ」は朝鮮語と日本語のチャンポン読みなのである。

 こんな読み方が本国で受け入れられるのかどうかは知らないが、それよりもまず「伊佐子」というあまりにも日本風の名前自体が本国ではあり得ないものである。こんな名前を朝鮮語風のチャンポン読みにする意図が私には分からない。もし民族的自覚と自己の民族性のアピールのためにそういった読み方をしているのであれば、それは自民族の文化に対する侮辱であり、朝鮮語を知らない日本人に対する愚弄になろう。そうではないと信じたいものだ。

 在日の女性で「早智」という名前の人がいた。ある朝鮮語に詳しい人によると、「早智」は朝鮮語では「チョジ」と読み、これは韓国のある地方の隠語で、男性のペニスを表す言葉だそうだ。だから本国では絶対につけることのない名前だということであった。本当かなと思って何冊かの辞書を調べてみたが、確かめることはできなかった。考えてみれば、地方の隠語はスラング辞典でもない限り載っているわけがなかろう。

 しかし、自分の国の文化や言葉を知らない在日がこういう名前をつけてしまう可能性は、十分に考えられることだ。親が名前をつける時に朝鮮語読みすることは念頭になかったことだろうし、また本国では受け入れられないものとは知らなかったことであろうから、そういう場合は素直に日本語読みした方がよいのではないかと思う。

 本国の人や民族の言葉や文化に詳しい人に聞いて、自分の本名やその朝鮮語読みが民族文化に馴染まないのなら、無理して本名の朝鮮語読みをすることはないと思う。

 もしどうしても民族性の証としての民族名がほしいのなら、本国でも通用する名前を新たにつけて、それを通名とするしかない。事実そうしている在日がいた。その人の外国人登録証には、日本風の本名と、通名として朝鮮風の名前が記載されていた。

 本名宣言・朝鮮語読みは、自民族の文化と言葉を知らない在日にとってはなかなか難しいものがある。

 

ホームページに戻る