文化としての資本主義・資本主義の文化

(宮島喬・藤田英典編『文化と社会』有信堂 1991年 所収)

橋本健二(静岡大学教養部助教授)

一、文化の概念
二、資本主義社会の成立と発展過程における文化
三、資本主義社会の文化的再生産
四、文化と資本主義のダイナミクス

 資本主義社会とは、資本主義的生産関係を中心として構成される社会諸関係の総体であり、今日の世界の大部分をおおう、あるいは支配する、人間社会の支配的な形態である。ここで、次のような問いを立ててみよう。今日あるような資本主義社会はいつ、いかにして成立しえたのだろうか。そして、それはいかにして維持されているのだろうか。本章はこの問いのすべてを扱おうとするものではない。この問いに対するさまざまな回答のなかで、これまで比較的軽視されてきたと思われる側面、この二つの過程の文化的側面を検討するのが、本章の課題である。一では、議論の前提として文化の概念の理論的検討を行なう。二では、資本主義社会の成立過程、さらに今日みられるような先進資本主義社会への発展過程を文化的側面から検討する。三では、先進資本主義社会が維持される過程、すなわち、その再生産過程を文化的側面から検討する。最後に、四では資本主義社会の今後ありうる変動過程、あるいは変革過程における文化の意義について検討する。


一、文化の概念

 「文化」という概念ほどありふれていて、しかも多様な使われかたをしてきた概念も珍しい。しかし、あえて整理すれば、文化という概念には次のような四つの用法が区別できると言えるだろう1)。
 第一の、もっとも広義の用法は、一部の文化人類学者にみられるものであり、他と区別されるそれぞれの社会の、社会生活の総体を文化と呼ぶものである。この中には近代社会に住むわれわれが経済・政治・宗教・芸術・教育などと呼ぶすべての諸制度や組織的活動、これに関与する社会集団が含まれる。したがって、この用法では文化は「社会」とほぼ等しいことになる。
 第二の用法では、文化と社会が区別される。この用法では、文化とは人間が後天的に習得し、共有する行動様式である。人々は通常、社会的に共有され、後天的に習得される一定のパターンにしたがった行動をする。こうした行動のパターンは、制度や社会集団そのものとは区別することができる。そして、すでに存在する社会集団や制度のなかで人々がとる、こうした行動のパターンが文化なのである。これに対して、さまざまな社会集団や制度の総体は社会と呼ばれる。文化と社会は相互依存的な関係にある。社会は文化の基盤であり、そのなかで人々は特定の文化を形成し、習得する。一方、文化として様式化された人々の行動は、社会、すなわち既存の制度や社会集団を不断に維持するのである。
 一方、このように人々が一定のパターンにしたがった行動をとるのは、かれらがある種の「精神」を共有しているからである。ここから、第三の用法が生まれてくる。つまり、人々の社会生活の背後にあり、人々の行動を規制し構成する精神を文化と呼ぶのである。この意味では、ハビトゥスは文化の中心的な要素である。ハビトゥスとは人々の諸実践の構成原理に他ならないからである。さらに客観化され体系化された規範や、意味体系・イデオロギーなども文化に含まれる。これらは人々の行動を内部から規制するとともに、かれらが自己の置かれた状況を理解し、受け入れる方法を与えるものだからである。
 さらに、人々の行動を規制しているこうした精神は、しばしば芸術作品や著作物、建造物などのなかに記述され、表現され、客体化される。ここから、知的・芸術的な活動の生産物を文化と呼ぶ用法も生まれてくる。これが文化という概念の第四の用法である。これは、日常用語としては最も一般的な用法であるといってよいだろう。
 第一の用法、つまり社会そのものを文化と呼ぶ用法は、多くの混乱を招くことになると思われるし、実際、社会学では現在、ほとんど使われていない。これに対して、あとの三つの用法は場合によって使い分けられている。こうして、われわれは文化とは行動様式、精神、知的・芸術的活動の生産物という三つからなる複合体であると理解することができる。この三つの要素は、密接に関連している。精神(イデオロギーやハビトゥス)は様式化された諸実践を生みだす源泉となる一方で、作品・建造物などに物質化される。そして、これらの作品や建造物は様式化された諸実践が生みだされる環境を提供するとともに、あたらしい世代がイデオロギーやハビトゥスを獲得するのを助けるのである。
 このように考えるとき文化は、社会構造が維持され、再生産されるための重要なメカニズムとなりうるということがわかる。文化が社会構造を維持し再生産するような行動を不断に生みだすように編成されているとき、両者の間には図のような相互関係が成立し、社会構造の再生産が保障されることになるだろう。それでは、資本主義社会ではこのような再生産的な文化はいかにして確立し、また今日いかにして機能しているのだろうか。



二、資本主義社会の成立と発展過程における文化

資本主義的生産関係の特質

 人間の生産活動は、基本的には二つの要素から成立している。それは生産諸手段と、生産諸手段を用いて生産活動に関与する諸主体である。この両者が結びつくことによって、生産活動が可能になる。こうした、生産諸手段と諸主体の関係、両者の結合形態のことを生産関係という。生産関係は時代により、社会により異なる形態をとる。
 資本主義的生産関係の特徴は、一部の人々のみが生産諸手段を所有し、他の多くの人々は生産諸手段をまったく所有していないところにある。ここで所有とは、ある物の使用と、そこから得られる収益から他者を排除する権利を認められている状態のことであり、厳密には私的所有と呼ばれるものである(マクファーソン・一九七八・二〇三頁)。生産諸手段を所有する人々を資本家、所有しない人々を労働者と呼び、それぞれを集合的に資本家階級、労働者階級と呼ぶ。労働者は生産諸手段を所有していないので、そのままでいては労働すること、したがって生存することができない。一方、資本家階級は自分の所有する大量の生産諸手段を活用するのに十分な労働力を持っていない。こうして、両者の間には次のような関係が取り結ばれることになる。労働者は自分の労働力を資本家に提供し、賃金を得る。資本家は労働者を雇い入れ、その労働過程を組織・統制するとともに、生産された価値から賃金を引いた残りを利潤(剰余価値)として手にいれる。この利潤こそが、資本主義社会における生産活動の目的であり、原動力である。

資本主義の文化的前提

 資本主義社会で生活するわれわれにはあたりまえのもののように思われるこの生産関係は、実は特定の文化を前提としている。資本主義的生産の原動力は、利潤への欲望である。われわれはこの欲望を、ごく自然で、誰でも持っているものと考えている。しかし、資本主義以前の社会ではほとんどの場合、利潤追求のための行動は不健全なものであり、利潤とは罪深く汚れたものであるとされていた。資本主義社会は、利潤追求が正統な行動原理として社会的に承認されたはじめての社会だった(ポラニー・一九七五・三九頁)。また、資本主義的生産関係は生産諸手段に対する私的所有権の承認を前提としている。しかし、これが社会的に承認されたのはそれほど古いことではない。一二世紀までは、私有財産は罪深いものであり、すべての財産は共有であるべきだというのが一般的な聖書の解釈であった(リーヴ・一九八九・六五頁)。私的所有権としての所有権概念が確立するのは、一七世紀のことである(マクファーソン・一九七八・二〇七ー一〇頁)。しかし、それは直ちにすべての社会に受け入れられるわけではない。たとえば、北アメリカの植民者たちとインディアンたちの対立の根源は、所有の概念の違いにあった。インディアンたちにとっては、土地とは偉大な神の精神によって「ここに置かれた」ものであって、人間が支配することなどできないものだったのである(リーブ・一九八九・六三頁)。
 さらに、われわれは生産諸手段の所有者が剰余を自分のものにするのを当然と考えているが、実のところ、これは生産された価値を配分する規則としては自明のものではない。「資本が収益を手に入れることができるのは、それが生産性や富を必然的に増加させるからではなく、たんに収益への要求を社会的に強く言い張ることが可能であり、文化的に認められているからにすぎない」のである(グールドナー・一九八八・五二頁)。また、こうして資本が獲得する剰余の範囲自体が、文化的に決定されている。労働者に賃金として配分される価値の量は労働力を再生産するために必要な費用によって決定されるが、この費用の大きさは「それ自身歴史的な産物であって、したがって、大部分は一国の文化段階に」、「労働者階級が・・・・・ いかなる習慣と生活要求をもって構成されてきているかということに」依存しているからである(マルクス・一九六七・二二二頁)。
 要約しておこう。第一に、資本主義的生産関係は資本家たちのもとに生産諸手段が集中してはじめて成立する。そのためには、近代的な所有観念が確立し、人々がすべての生産諸手段には所有者が存在することを認め、他者の所有権の尊重を行動規範としていなければならない。第二に、資本主義的生産は、資本家たちの利潤動機を原動力としている。したがって、利潤追求を目的として生産活動を行うことが社会的・文化的に承認されならなければ、資本主義は成立しない。第三に、資本主義は、生産された価値についての特定の配分規則を人々が受け入れることによって成立する。このように、資本主義は本来、利潤追求という行動動機、所有権概念、さらには生産された価値の配分に関する合意などによって整序された人々の行動様式を前提としている。こうした行動様式は、それをささえるような精神が、つまりハビトゥスやイデオロギーが人々のなかに深く埋め込まれることによって保障される。資本主義はそもそも特定の文化的前提をもっているのである。

資本主義の労働規律と文化

 以上の前提が満たされてはじめて、資本主義的生産関係が成立する。しかし、資本主義的生産が円滑に進行するためには、これに加えて特殊な労働規律の確立が必要であった。 これは、歴史的には本源的蓄積過程と呼ばれる一連の過程のなかで確立されてきた。本源的蓄積過程とは、第一に農民からの土地収奪によるプロレタリアートの創出過程であり、第二にこれらのプロレタリアートの近代的賃労働者への陶冶の過程であった。マルクスは、『資本論』第一巻の第二四章、「いわゆる本源的蓄積」において、イギリスにおけるこうした過程を詳細にあとづけている。資本主義の初期、一六世紀のイギリスでは、第一次土地囲い込みによって多くの農民たちが土地を失って賃労働者化し、工場制手工業に吸収されていった。しかし、かれらは工場制手工業における労働にすぐに適応できたわけではない。決められた時間、決められた場所で、命じられるままに決められた作業だけを行なうという労働様式は、かれらにとっては異様なものだった。「にわかにそれまでの生活軌道から投げ出された人々は、同様ににわかに新しい状態の規律に馴れることはできなかった」(マルクス・一九六七・九一九頁)。かれらはしばしば労働を放棄し、「乞食や浮浪人」となった。そこで、かれらを賃労働者へと追いたてたのは、「血の立法」と呼ばれる強制の体系であった。「乞食や浮浪人」は鞭打ちの上、体に烙印を押され、強制労働へと送られる。そして逃亡を繰り返せば死刑に処せられる。「暴力的に土地を収奪され、放逐され、浮浪人にされた農村民は、奇怪兇暴な法律に鞭打たれ、烙印され、拷問されて、賃金労働の制度に必要な訓練を施されたのである」(同・九二二頁)。
 一八世紀半ばには産業革命が開始され、工場制機械工業が発展をはじめる。工場制機械工業は、工場制手工業にくらべてもはるかに厳格な労働規律の遵守を必要とする。「すべて機械による労働は、労働者の若い頃からの習得を必要とするが、その習得は、自動装置の斎一な連続的運動に、かれ自身の運動を適合させるためである」(同・五三四頁)。しかし、当然ながら労働者たちは容易にはこうした規律に従わなかった。そして、かれらの抵抗は、しばしばラッダイト運動と呼ばれる機械打ち壊しへと発展した。さらに多くの資本家たちや経済学者たちを悩ませたのは、労働者たちがかれらが求めるほどに長時間、働こうとしなかったことだった。労働者たちは、前近代的な「家族経済」の世界に生きていた。家族経済とは、家族の生活に必要なだけの収入を確保することを目標とし、剰余の確保や蓄積を求めない家計の行動パターンである。ここでは労働者たちは、家族の標準的な生活にとりあえず必要なだけの収入さえ得てしまえばもう働こうとはしなかった。そして、残りの時間は娯楽や休息に費やした(高木・一九八九・第五章)。ウェーバーは、このような労働者たちの生活様式を「伝統主義」と呼んだ。そして、「『倫理』の衣服をまとい、規範の拘束に服する特定の生活スタイル、そうした意味での資本主義の『精神』が、何はさておき遭遇しなければならなかった闘争の敵は、ほかならぬ伝統主義とも名づくべき感覚と行動の様式であった」(ウェーバー・一九八九・六三頁)。このような労働者が大多数である以上、資本主義的生産の発展は望めない。
 そこで、資本家や中流階級の人々は、労働者の陶冶と教化のための活動を組織しはじめた。職工学校、労働者大学、労働者クラブなどの、労働者を対象とした教育や余暇活動のための組織がつくられ、多くの労働者を集めた(中山・一九八八・第三章)。そして、かれらをパブ(酒場)を基盤とした「不健全」な娯楽から引きはなし、ティー・パーティーや園芸、読書といった中流階級の人々の「健全」と考える娯楽に親しませるための、「合理的娯楽」の運動が展開された(村岡・川北・一九八六・一八五ー八八頁)。これは、労働者の生活から浪費や放埒を排除し、労働力の安定的な再生産を保障しようとするものだった。さらに、労働者の子弟の教育組織として発展したのは、ロバート・ライクスの創始した日曜学校であった。これは、キリスト教的な訓育をつうじて、子どもたちに社会的規律を身につけさせ、将来の労働力として陶冶することを目的としたものであった(永田・一九八五・二一九ー四七頁)。こうして、労働者たちの中に、資本主義的生産関係に適合的な生活様式が徐々に確立していく。「資本主義的生産の進行するにしたがって、教育、伝統、習慣によって、この生産様式の諸要求を、自明的な自然法則として認める労働者階級が発達してくる。・・・・・ 経済外的、直接的暴力もなお用いられはするが、それは例外的であるに過ぎない」(マルクス・一九六七・九二二ー二三頁)。ここで、「生産様式の諸要求を、自明的な自然法則として認める」というところに注目しよう。これは、人々が、生産様式の要求をごく自然に受け入れ、あたかも自分の意志であるかのようにそれに応えている状態を意味する。生産様式はハビトゥスとして諸個人のなかに埋め込まれる。このとき、人々は天候や季節の変化に適応するのと同じように自然に、生産様式の要求に適合的に行動するだろう。こうして、資本主義的生産様式はその安定を保障される。しかし、ここにたどり着くまでには長い道のりがあった。そして、今日見られるような労働規律と生活様式が最終的に完成するには、さらに二〇世紀を待たねばならなかった。

現代資本主義社会の確立

 二〇世紀にはいって、資本主義の下での労働はさらに大きな変化を迎えることになった。「科学的管理法」の確立によってその先駆者となったのは、フレデリック・テイラーである。彼は、労働者の作業の過程を単純な動作の集合として分析し、そこからもっとも合理的と思われる作業のやり方を特定化し、これを労働者たちに強制するという一連の工程管理の方法を考案した。さらに、工程の機械化をすすめることによって合理化を完成させ、今日にいたるまでの生産システムの基礎を作ったのは、自動車王と呼ばれたヘンリー・フォードである。フォードは科学的管理法の教えるような合理的な作業のやり方を、機械装置のなかに組込んだ。こうして出来上がったのが、ベルト・コンベア・システムにもとづく組立ラインである。これによって、生産効率は飛躍的に上昇することになった。
 しかし、こうした「労働の新しい諸方法は、特定の生きかた、考え方、生活感覚の仕方からきりはなすことはできない」(グラムシ・一九六二・四三頁)。このシステムの下では、労働者たちは労働のリズムやテンポ、作業内容のすべてを機械によって指定される。かれらは文字通り機械の一部と化して、正確かつ迅速に作業しなければならない。そのためには、労働者のほとんど全面的な人間改造が必要だった。新しい生産システムは、労働者の精神の奥深くにまで浸透し、労働者の自発的な、ほとんど無意識的な行動に支えられてはじめて十分に機能するのである。ブルデューは言う。「ハビトゥスをもってこそ、制度は十全な現実化をみる」(ブルデュー・一九八八・九一頁)。 労働者の改造は、強制だけでは達成されなかった。そこでフォードが採用したのは、ファイブ・ダラーズ・デイと呼ばれる高賃金政策と、労働者の生活規制のシステムであった。一九一四年、フォードはそれまで二・三ドルだった平均日給を一挙に五ドルに引き上げる。その一方で、彼は労働者に対して厳格な生活規律の遵守を求める。「労働者およびその家族は慎ましさと公民精神の一定の規則に従わねばならない」(フォード)。労働者は煙草を吸うこと、酒を飲むこと、バーに出入りすることなどを禁止されるとともに、安定した性関係と秩序ある家族を維持することを要求された。生活は監視員によって監視されており、基準に反する暮らしをしている者は六ヶ月の減給処分を受け、それでも生活に改善がみられないと、解雇された(水島・一九八三・一〇九頁)。高賃金によって同調への誘因を作りだし、一方で強力に管理する。説得と強制の併用によって、個人の道徳と習慣が変化させられ、規格化された労働を可能にする安定した生活様式が確保された(グラムシ・一九六二・五六ー五七)。もはや、性的な放蕩やアルコールによって機械への同一化がさまたげられることはない。
 高賃金政策にはもうひとつの意義があった。生産性が上昇しても、それに見合った需要の増大がなければ、いずれ経済危機が訪れるだろう。高賃金政策は、生産性の上昇に応じて労働者の購買力を高めることによって、大量生産を需要面でささえた。しかも厳格な生活規律のなかで、購買力は耐久消費財に向けられることになった。耐久消費財はいわば生活のための機械装置であり、必然的に独特の生活様式を確立させることになる。道徳的で健全な、耐久消費財中心の生活様式をつうじて、良質の労働力が安定的に再生産される。こうして組立ラインを中心とした大量生産システムは順調にはたらき、しかも、生産物はその需要を見出す。大量生産と大量消費の循環が完成し、経済成長が保証される。それを可能にしたのは、さまざまな制度や規律、慣習であった。こうした制度や規律、慣習の総体を、フランスの一部の経済学者たちは、レギュラシオン様式と呼んでいる2)。かれらによれば、経済的な再生産は諸個人の実践に媒介されてはじめて可能になるが、これをささえるのがレギュラシオン様式である。レギュラシオン様式とは、「社会的なものを個人の行動において体現する、内面化された規範や社会的手続きの総体、すなわちハビトゥス」なのである(リピエッツ・一九八七・二六頁)。
 フォードの作りだしたシステムは、戦後多くの先進資本主義諸国に定着する。戦後資本主義とはまさに、こうした生産システムと生活様式の結合した社会システムであった。そして、それはフォードを始めとする先駆者たちの努力によって、長い期間をかけて完成されたものだったのである。


三、資本主義社会の文化的再生産

 このように長い期間を経て、今日の先進資本主義社会の基本的な構造が完成した。次の問題は、この構造がいかにして再生産されるか、つまり、この構造が基本的な変化を被らずに維持されるのはなぜかという問題である。
 元来、資本主義的生産様式は自己再生産的な性格を持っている。資本主義社会にはつねに、相対的過剰人口と呼ばれる失業者や半失業者のプールが存在する。そのため、労働者の賃金は全体として低いほうへと引っ張られ、最終的には労働力の再生産に必要な費用に近い水準に落ち着くようになる。この賃金水準では労働者は、生活はできるが自分で生産活動を組織するほどの蓄積はできないから、労働者であり続ける以外に道はない。こうして、かれらはその個人的消費によって資本の付属物としての自分の労働力を再生産し、労働を通じてかれらを支配する資本を生産するという循環過程の中に置かれることになる。マルクスは言う。「労働者階級の不断の維持と再生産は、依然として資本の再生産のための恒常的条件である。資本家はこの条件の充足を、安んじて労働者の自己保存本能と生殖本能にまかせておくことができる」(マルクス・一九六七・七一五ー一七頁)。
 しかし、このような資本主義的生産様式の自己再生産には重要な条件がある。それは、一度確立された資本主義的生産様式のさまざまな文化的前提、労働規律や生活規律などが維持されるという条件である。自己再生産的だというのは、これらがあたりまえのように維持され、人々の行動を暗黙のうちに規定しているからに過ぎない。それでは、この条件はどのようにして満たされるのだろうか。

機械装置による行動様式の維持

 フォード・システムによって完成された生産のための機械装置は、それ自体、特定の労働規律を強制する効果をもっている。労働者たちは、作業の内容やスピードをすべて機械装置によって指示されており、ただそれに従う以外に労働する道はない。一度こうした労働規律に適応した労働者たちは、日常の労働を通じてたえずこの労働規律を再確認し、強化していく。機械装置は、いわば強力な監督者であり、訓練者なのである。
 生活規律のほうはどうか。耐久消費財は、消費生活のあり方を指示する機械装置である。その使用方法は一義的に決まっており、消費者はそれに従うしかない。さらに、さまざまな耐久消費財は機能的に関連しているので、消費者は次々と購入を続けていく。こうするうちに、衣食住のための伝統的な知識は失われていく。もはや、人々は耐久消費財に従属することによってしか生活できない。こうして、大量消費的な生活様式が維持されていく。大量生産と大量消費の循環が維持される(水島・一九八三・一〇九ー一〇頁)。

諸主体の再生産

 資本主義社会が維持されるためには、資本主義社会を担う諸主体の再生産が必要である。新しい世代の人々は、資本主義をささえる労働規律や生活様式へと不断に教化されるなければならない。諸主体の再生産とは、こうした諸能力を備えた人々、資本主義社会に適合的な特定の文化をまとった人々を育てあげることなのである。これが、資本主義社会が再生産されるための必須の条件である。いわば、個体発生は系統発生を繰り返す。資本主義の確立にいたる歴史的過程は、資本主義に適合的な行動様式の習得というかたちで、個人史のなかでも繰り返されなければならないのである。
 ここでは家族と学校が大きな役割を果たす。子どもたちは、まず家族のなかで「社会化」される。親たちは自分がすでに身につけ、労働や消費生活のなかでそれが「賢明」なやりかただと自明視している行動様式を、子どもたちに習得させていく。しかし、それらは実は、資本主義社会に適合的であるという意味で「賢明」なのである。こうして子どもたちは結果的に、資本主義社会に適合的なハビトゥスを身につけていくことになる。
 教育制度がこれに続く。教育制度は、労働に必要なさまざまな能力を子どもたちに身につけさせる。この中には、労働に直接必要な知識や技術・技能のほか、労働の場にもとめられる規律や行動様式が含まれる。これらは、教材や授業のような明示的なメカニズムによって伝達されるとは限らない。たとえば、教師と生徒の社会関係のあり方自体が、子どもたちを「社会化」する一つのメカニズムである。学校での教師と生徒の関係は、職場での監督者と労働者の関係に似ている。このような中での教育・学習は、労働者に求められるさまざまな行動様式を子どもたちに習得させることになるだろう。「学校における社会関係は労働の場でのそれの複製であり、そうであることによって、若い世代の社会的分業への適応を助ける」のである(ボールズ・一九八〇・一六五頁)。

新中間層と労働者階級の分化の再生産

 これに次の事情が加わる。資本主義社会の発展は、経営規模の巨大化や生産技術の高度化をもたらした。その結果、資本家階級と労働者階級の中間ともいうべき位置をしめる人々が大量に生みだされてくることになった。管理職や専門職に従事し、新中間層または新中間階級と呼ばれる人びとである。かれらは資本家から賃金を受け取って生活する被雇用者でありながら、資本家から一部の権限を委ねられて、労働者の労働過程の組織・統制にたずさわったり、機械装置全体の管理や研究開発に従事したりする。かれらは、労働者階級のようにただ規則や命令、機械装置の運動に従うだけではなく、与えられた範囲内で適切な判断や命令を下すこと、創造性を発揮することなどを求められる。かれらは労働者階級とは異なる行動様式を習得していなければならない。こうして諸主体の再生産は、労働者階級と新中間層に分化した諸主体の再生産でなければならないことになる。
 ここでも、家族と学校が大きな役割を果たす。親たちは子どもに、自分が「賢明な」やり方だと考えている行動様式を習得させる。ところが、かれらの社会生活や職場での経験は階級によって異なっている。結局、かれらは、自分の階級に適合的な行動様式を子どもに伝達する可能性が高い。こうして、それぞれの階級に特有で、適合的な行動様式、すなわちハビトゥスが、親から子へと継承されていく。
 さらに、学校システムが新中間層と労働者階級の分化を作りだす。今日、労働市場は高学歴者を新中間層へ、低学歴者を労働者階級へと配分するように組織されている。これに対応して、高等教育は新中間層に必要な知識や行動様式を、初等・中等教育は労働者階級に適切な労働規律を子どもたちに身につけさせる傾向がある。このことは、この二つの学校段階にみられる社会関係のあり方に表れている。初等・中等教育では、教師の指示に忠実であること、権威や規律に従順であることを要求される。これに対して、高等教育では、ある程度の主体性・創造性の発揮を要求される。この違いは、労働者階級と新中間層の労働のあり方の違いを反映しているのである(Bowles & Gintis,1976,130-132)。いわば、学校は階級的な下位文化を伝達し、確認する装置である。こうして、資本主義経済に適合的な行動様式を備え、労働者階級と新中間層に分化した諸主体が生みだされていく。

資本主義社会の構造の正統化

 しかし、諸主体が再生産されるだけでは、資本主義社会の長期的な再生産は保障されない。資本主義社会の階級構造は、収入、労働条件、社会的評価などについてのさまざまな不平等と階級間の利害対立をともなっている。こうした階級間の不平等と構造的な利害対立が、従属的な階級の反抗を生みだすことによって資本主義社会の危機へと発展するという可能性は、潜在的にはつねに存在する。したがって、資本主義社会の長期的な安定のためには、従属的な階級の反抗を防止したり抑圧したりすることが必要である。
 こうしたメカニズムとして古くから注目されてきたのは、国家の抑圧装置であった。国家は警察・軍隊・司法機関といった強制力を独占的に組織しており、反体制勢力の反抗を予防したり、抑圧したりすることができる。しかし、これだけでは資本主義社会の長期的な再生産は保障されない。脅迫や抑圧は階級間の利害対立そのものを解決するわけではないから、反抗は繰り返されるだろう。これは不安定な状態であるし、いつまでも抑圧が成功するという保障はない。
 より効率的なメカニズムとしては、階級間の利害調整と、給付による支持の調達が挙げられる。たとえば、経営者団体と統一的な労働組合との団体交渉によって賃金や労働条件などが決定されるようになると、階級間の関係は安定化することになる。さらに、国家が所得再配分や福祉政策などによって貧困な人々に金銭やサービスの給付を行ない、階級間の不平等を緩和するとともに、従属的な階級の支持を調達することも可能である。この二つのメカニズムは、戦後の先進資本主義諸国の安定と成長を支えた主要なメカニズムでもあった。しかし、これらはいずれも一定の限界を持っている。階級間の利害調整は、資本主義に内在する階級対立そのものを解決するわけではない。また、低成長期に入った今日、先進諸国の多くは深刻な財政危機に陥り、無制限の給付を続けることが困難な状況にある。最終的に資本主義社会の長期的な安定を保障するためには、なんらかの心理的・イデオロギー的メカニズムによって、労働者階級を資本主義社会の不平等な構造に同意させることが必要だろう。つまり、かれらが自発的にこの構造を支持すること、少なくとも容認するようになることである。このような状態が実現されることを、正統化と呼ぶ。この過程には、アルチュセールが国家のイデオロギー装置と呼んだ、学校、マスコミ、その他のさまざまな制度が関与している(アルチュセール・一九七五)
 学校で教えられる内容には、さまざまなイデオロギー的メッセージが含まれている。たとえばアップルによると、学校で教えられる社会科の基本的な前提は、社会のすべての要素は機能的に結びついており、それぞれが社会に貢献しているという社会観である。ここでは、社会内部の不一致や対立は社会秩序を妨害するものであり、社会の本質的な特徴ではないされている(アップル・一九八六・一七五ー七六頁)。日本でも、社会科の教科書には、現実の職場や労働のかかえる問題点を不問に付しながら、職業を通じての社会的使命の遂行や、献身・自己犠牲を強調する傾向があることが指摘されている(関戸・一九八二・九〇ー九一頁)。もちろん、こうしたイデオロギー的メッセージは、学校のみならず、マスコミや政党などさまざまな制度によって伝達されている。しかし、それらのなかでも学校は特別の重要性を持っている。なぜなら、「これほど長い年月にわたる義務的な聴講を課し、週に五、六日、それも毎日八時間の割合で、資本主義的社会構成体に属する子どもたちの全部を自由に扱う」ような制度はほかにないからである(アルチュセール・一九七五・四九ー五〇頁)。学校制度は現代資本主義社会における支配的なイデオロギー装置なのである。
 さらに重要なのは、業績主義のイデオロギーである。これは、人々の間に存在する不平等を、かれらの「能力」によって説明し、正当化するものである。学校体系は子どもたちに学歴という差別的な指標を付与している。そして、かれらは学歴によって新中間層と労働者階級という不平等な位置のいずれかに配分される。ところが、学歴は人々の能力や業績、努力の表現という中立的な外観を持っているから、これにもとづく不平等は人々に受け入れられやすい。学歴のある人々は能力のある人・努力した人であり、優遇されて当然とみなされるのである。実際に工場で労働者としての生活を体験したある著者によると、労働者たちは、学歴・イコール・知識、と考える傾向がある。かれらの考えでは、大卒のホワイトカラーたちは「自分たちの知らないことや世界を知ることのできた人」である。そして、大卒者と自分たちの間には人種の違いといってもいいほどの距離があると感じている。そのため、かれらは大卒者に対してかれらに対して閉鎖的・自嘲的になり、かれらが特権を持っていることを容認する。逆に、大卒のホワイトカラーたちは、自分の特権を当然のことと考え、労働者たちを道具視している(中村・一九八二・二〇六ー二一頁)。明らかに、学歴は新中間層と労働者階級の不平等な関係を正統化しているのである。


四、文化と資本主義のダイナミクス

 文化は、資本主義社会が維持され、再生産される重要なメカニズムである。しかし、両者の関係はそれにつきるものではない。文化は、資本主義社会の再生産のための要求に受動的に対応する自動機械ではない。文化は独自の伝統や形式を持つ、社会から相対的に自律した空間でもある。また、その重要な機能のゆえに文化は、しばしば諸階級や社会諸勢力の闘争の場となり、争点となる。人々は、文化における主導権をめぐって闘争するのである。文化と資本主義の関係は、このようにダイナミックなものでもある。

帝国主義支配と解放闘争における文化

 このことを典型的に示しているのが、帝国主義支配とそれに抵抗する解放運動において文化の果たす機能である。帝国主義支配は土着文化の抑圧・破壊と、文化支配とをともなっていた。そして、帝国主義者たちは現地人たちの文化を野蛮なものとして否定し、現地人たちに自分たちの文化----近代西欧文化の優越性を承認させようとした。そして、自分たちが植民地の現地人たちを野蛮・無知・悲惨から救い出す使者であるかのようにふるまった。こうして、フランツ・ファノンが「文化的疎外」と呼んだ状況が作り出された。「植民地支配は・・・・・ たちまちものの見事に従属民族の文化的生命を解体した。」(ファノン・一九六九・一三五頁)。現地人たちは自己の文化を劣ったものとみなし、競って西欧文化を習得し、植民地支配に協力しようと努めるようになった。「外国支配はその人民の文化的現実を恒久的、組織的に抑圧しない限り維持できない」(カブラル・一九八〇・二一〇頁)。帝国主義の支配は、現地人たちの文化を解体し、かれらを文化的に支配することによって完成された。文化的従属は経済的従属を正統化する。先進資本主義国の支配と第三世界諸国の従属を基本とする今日の世界システムはこうして成立し、また今日、やはりこうした文化支配によってささえられているのである3)。
 しかし、このことは逆に、文化が帝国主義支配に対する抵抗の砦に、解放闘争の拠点になりうるということをも意味する。「帝国主義支配が、必然的に文化的抑圧を実践するのであるなら、民族解放は必然的に文化の行為となることが理解できよう」(同上・二一六頁)。文化はしばしば、帝国主義支配や社会構造の変化に耐えて、長期にわたって生き延びる傾向がある。現実社会においては抑圧され、その実現をはばまれるとしても、民族の文化は人々の日常生活や精神の中に保存されて、抵抗の胚芽となる。「文化は明らかに解放運動の基礎そのものなのである。自らの文化を保持する社会のみが人民を動員し、組織化し、外国の支配に対して闘うことができるのだ」(同上・二五七ページ)。だからこそ、多くの侵略者たちは土着の文化の完全な破壊につとめてきたし、これに対する抵抗や土着文化を保存する営みは、解放運動の重要な一部となる。たとえば、イスラエルは一貫してパレスチナ人の固有の文化の破壊をくわだててきた。多くの知識人・芸術家が投獄・拘束、あるいは暗殺され、作品が破壊された。これに対してパレスチナ人たちは、国連や全世界の人びとの支援を受けながらパレスチナ文化の保存のための活動を進めている。「文化の保存は、パレスチナ人が自分の土地と歴史的生地にとどまろうとする闘争の本質的な部分」なのである(日本アジア・アフリカ作家会議・一九八五・七八ページ)。

先進資本主義社会の文化闘争

 資本主義は、文化という形をとって人々の内面深くにまで浸透する。人々が自発的に資本主義に適合的に行動し、資本主義的な秩序を受け入れるのは、文化によってである。文化は、資本主義の必須の構成部分でさえある。このとき、資本主義社会に対する抵抗は必然的に文化的抵抗でもなければならないことになる。資本主義の変革のための運動は、資本主義とは別の生き方を提示し、それを実践すること、したがって文化の変革を構成的な要素として含んでいなければならない。社会変革とは、経済的・政治的な諸制度の変革を含みながらも、それをはるかに超えるものである。
 文化領域における抵抗は、経済的・政治的な抵抗とは異なる、独自の論理を持っている。それは、文化という空間の固有の性格によるものである。第一に、文化は相対的に不変である。社会構造の変化にもかかわらず、古い文化はかなりの程度に保存されつづける。人間の能力が商品ではないような社会、労働のすべてが管理されることのない社会、商品関係が人々の共同的な関係に優越するようなことのない社会、こうした社会の記憶が、文化の中に保存される。それらは、さまざまな作品の中に、家族や地域社会、職場のインフォーマルな集団の中に、人々の精神の中に生きつづけ、抵抗の契機や基盤となる。第二に、文化は自律的な領域である。とくに芸術の世界は、理想的なもの、非現実的なものが許容される特殊な空間を構成する。「・・・・・ ブルジョワ社会はこの社会に固有の理想の実現を、文化においてだけ容認し、それを一般的な要求としてうちだしたのである。現実の世界では、ユートピア・幻想・倒錯とみなされるものが、ここでは許される」(マルクーゼ・一九七二・一二一頁)。これは両義的な状況である。文化は、このような空間であることによって、人々に現実社会では満たされないさまざまな欲望の代償的な充足を与え、現存秩序の安全弁となる。しかし、一方、文化は忘れられた真実を、より良い社会の、人々の生き方の像を保存し、発展させもするのである。
 ここから、多くの芸術家たち、活動家たちは、文化の変革を社会の変革のための戦略的な課題として位置づけてきた。古くは一九三〇年代、シュール・リアリズムの代表人物であるアンドレ・ブルトンは、「世界を変革すること」と「人生を変えること」は一つになると主張し、そのための芸術家の役割を強調していた(ブルトン・一九七〇・四〇五頁)。「文化革命」がひときわ現実感をもったのは、一九六〇年代後半である。多くの先進資本主義諸国で学生運動をはじめとする反体制運動が高揚し、無数の大学が封鎖され、デモ隊が街頭をうずめた。かれらの運動は、政治運動であるとともに文化運動でもあった。かれらは、効率と競争の支配する現存社会に対抗する文化----「対抗文化」の形成者だった。GパンとTシャツは、自由で、自然と調和し、地位や権威とは無関係な服装だった。ロックン・ロール、ブルース、フォーク・ミュージックは、トータルな参加にもとづき、内面的なフィーリングを伝達し、深い社会批判と新しい世界への熱望を表現する音楽だった。そしてかれらは、さまざまな小さなコミュニティをつくりあげ、他者との共生様式を生みだしていった。かれらの試みを、チャールズ・ライクは「緑色革命(greening)」と呼んだ(ライク・一九七一・二四六ー七七ページ)。ライフ・スタイルによる革命----「革命を成就せよ。それを実際に生きることによって」(ゲラッシ・一九七四・三一八頁)。
 かれらの試みはしばらくの空白を経て、今日の多様な草の根社会運動へと受けつがれる。それが、反核運動、環境保護運動、女性解放運動、生活協同組合運動などの一九八〇年代の草の根運動である。これらは、一九六〇年代の対抗文化運動のなかで生まれた、産業社会に典型的な業績主義や功利主義の否定、すべての生命との共生といったオルターナティヴな価値や社会のビジョンを受け継ぐとともに、ヒエラルキーや中央集権的組織の否定、全員の参加とコンセンサスの重視といった組織論を備え、身近な課題を取りあげながら着実にわれわれの社会に定着しつつある(高田・一九八五)。
もっとも、こうした文化的な抵抗は、商品化されることによって現存秩序に吸収されてしまう可能性もある。事実、一九七〇年代はじめに対抗文化の波が日本にも押しよせ、「緑色世代」が注目を集めたころ、マーケティングの世界は一斉に「緑色市場」に注目をはじめた。そして、かれらの文化が大量生産のラインに乗せられていった。こうして反体制のシンボルだったGパンやロックンロールは対抗的性格を失い、ただの商品と化していくことになった。同じように、反体制思想も商品として流通する。たとえば現在、反原発やフェミニズムはマスコミで好んで取りあげられるテーマとなっている。もちろん、商品化によって反体制思想が広められ、影響力を強めていく可能性はある。しかし、逆にただの消費対象としてその本来の意味を喪失していく危険性も大きい。
 だが、他方ではこうした文化の商品化が、資本主義を支える労働規律や生活規律をおびやかしているともいえる。そもそも、資本主義の文化は固有の矛盾をかかえている。利潤追及を原動力とする資本主義社会では、売れさえすれば資本主義的な労働規律や生活規律を脅かす性愛への没入や暴力の表現までが商品化され、流布されることになる。反体制思想が商品化されるのも同じ理由からである。ここでは、利潤追求という資本主義の基本的な動機と、資本主義の文化的存立とが矛盾に陥るのである。資本主義的生産様式の要求と文化とが調和していた幸福な時代は終わりを告げる。ダニエル・ベルは、こうした危機が一九三〇年代からはじまり、一九六〇年代の対抗文化によって決定的になったと考える。これまで資本主義を支えていたのは、労働、節制、倹約、性的な自制を強調するプロテスタンティズムの倫理とピューリタン的な生活規範であった。ところが、資本主義の発展はさまざまな製品の販売と広告活動によって物質的快楽主義を生みだし、みずからを支える倫理と生活規範を掘り崩していった。「伝統的なブルジョア的価値体系は、・・・・・ ブルジョア経済そのものによって崩壊させられたのである。正確にいえば、自由な市場の発展によって崩壊させられたのである」(ベル・一九七六・一二六ページ)。
 近代資本主義を支えてきた文化は弱体化しつつある。これにかわって、資本主義に対する抵抗はますます文化的な色彩を強めている。今日、文化は、うたがいもなく資本主義社会のダイナミクスの最大の焦点のひとつなのである。

[注]
(1)「文化」のさまざまな概念を検討した代表的な例としては、宮島(一九八三)、ウィリアムス(一九八〇、一九八五)、吉田(一九八八)などがあげられる。
(2)レギュラシオン学派と呼ばれるこれらの人々の業績については、ボワイエ(一九八九)
がもっとも信頼できる解説書である。
(3)この点については、日本アジア・アフリカ作家会議(一九八五)、奥村 隆(一九八八
)を参照。                                   


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