diary log

2003年10月の日記です。

2003.10.7

マッサージで乳腺炎

志帆の入院騒ぎ以来,すっかりバタバタが日常茶飯ごととなってしまった我が家。志帆が退院した次の日はキッズクラブの運動会。その次の日はおっぱいの調子がいまいちだったので,マッサージをしてもらいに東中野まで。この後から最悪な状態に。

マッサージから帰ってくると,なんとなくだるい。志帆もだるそうだったので,2人して寝ることに。幸い亮介もお昼寝の時間だったので3人で寝た。でも,いくら寝ても具合が良くならない。良くなるどころか悪化している。熱を計ってみると38度8分!おまけにおっぱいも痛い〜
這うようにして実家とパパに電話。”早く誰かきてくれ〜!”状態。志帆も”志帆,お腹空いちゃったみたい〜”とピーピー言い出すし。参った。

結局のところ,今回の熱は「乳腺炎」だったっぽい。おかげで乳房はかちこちだし,亮介に吸い付かれると目が点になってしまうほどの激痛。でも,飲んでもらわないと治らないし。
志帆の時も思ったが,おっぱいの管理ってばホント,大変だわ。

2003.10.9

志帆,お姉ちゃんらしく

志帆もだいぶお姉ちゃんになってきた様子。私が家事で忙しい朝など,”ちょっと亮介と遊んでて”と言うと(機嫌が良ければ)一緒になって遊んでくれる。
今日も洗濯物を干そうと上に行こうとすると,亮介はいつものように”どこ行っちゃうの〜!”と泣き出す。しょうがないので上に一緒に連れて行くことに。でも,洗濯物を干すベランダに接している部屋に入れると,このところベランダへ出ようとしてしまう。そこで志帆の登場。
志帆に亮介の面倒を2階の別室で見ててもらうことに。”一緒に遊んであげて”と志帆に言うと”良いよ”と今日は機嫌が良いらしい。”亮介こっちで遊ぼ!”と誘ってもらうと,ほいほい着いていく亮介。
最後までは無理だったが,そこそこ遊んでもらえたおかげで私も亮介も満足。

それにしても,このところ「男女差」についてその違いを痛感している。
志帆は女の子ということで,良く動くとは言え今の亮介と比べると”大人しい”もんだったことを感じている。亮介は家中をべったんべった動きまくり,抱っこしてても大人しく抱っこされていることはない(私の腰骨の上に立ったり)。その動きも豪快で,バランスを崩して倒れても泣かなかったり。

でも「甘えん坊」に関しては亮介の方が上かも。志帆も抱っこは頻繁に要求してきたが,後追いはそれほどでもなかったように思う。亮介は抱っこはもちろん,後追いも結構激しい。私の姿を見つけたのにまた行ってしまうことが分かると”ふぎゃ〜”と泣く泣く。でも,志帆よりも一人遊びが上手なのでしばらくすれば諦めて一人で遊び出してくれる。
これからますます行動が激しくなることを考えると,ちょっとブルー。やっぱり2人目も女の子の方が良かった!?

2003.10.20

亮介,調子悪化中

先週は”ようやく赤ちゃんらしいすべすべ肌になってきたね〜”とみんなに言われていた亮介。確かに誰が見てもかなりキレイであった。・・・なのに。

このところ(先週半ばから)またお肌の調子が急降下中。口の周りが赤くなりだしたのがきっかけで,そこから坂を転げ落ちるようにあっという間に昔のようにぐちゅぐちゅしだしてしまった。
特に私は食べてはいけないモノを口にした記憶はない。なのにどうして?食べ物だけが(悪化する)すべてではないことは分かっているが,どうしたもんだか。私も除去をしてて,ここまで悪化されると可哀想でもあるが,非常に虚しくなってしまう。

今日は亮介のポリオの日。管轄の保健所まで行ってきたのだが,そこにはいるわいるわ沢山の幼児たち。でも,誰一人として亮介のようにお肌がぐちゅぐちゅの子がいない。みんなキレイなお肌をしている。
比べてもしょうがないことは分かっているが,どうしても”亮介もみんなみたいにキレイだったら・・・”なんて考えてしまう。
今はまだ亮介も良く分かっていないので良いが,分かるようになってきたらどうだろう?”・・・そんなことを考えてもしょうがないのに。

亮介や,一緒に頑張ろうね。

2003.10.21

ギブスは外れるも大騒ぎ

今日は志帆を武蔵野赤十字へ連れていく日。私の予想では今日,ギプスが外れるはずである。
行ってみるとまずレントゲン撮影。志帆もだいぶ慣れたようで撮影はスムーズに。その写真をもって整形外科の前で順番待ち。
関係ないが,どうも志帆がトイレ等で席を外すと順番が回ってくる傾向がある。今回も時間的に回ってきそうだな〜と思っていたら志帆の”ママ,おしっこ〜”。”もう順番が来るからちょっと我慢してよ〜”と言ってみたがダメそう。
トイレに連れて行き,出てくると,やっぱり名前を呼ばれていたらしい。これがこの日だけで2回。帰る時間が遅くなる〜

写真の結果は”問題なし”。アトピーのこともあるので,早くギプスを外しましょうということに。外すのは良いのだが・・・
私の不安は見事的中!外すのにそりゃもう大変なことに。大人3人がかりでようやく志帆を押さえつけて外した。確かにのこぎりのようなものでウィンウィンされたら不安になるのも分からない訳ではないが。
外れたのは良いが,まだ添え木は付けていないといけないらしい。まだ「完治」と言う訳にはいかないか。でも,あともう一頑張り。  

2003.10.25

やっと包帯もとれた

21日にギプスが外れてから今日は初めて地元の整形外科での診察。傷(ワイヤーが突き出ていた跡)が乾いていれば添え木も外して良いはず。
パパに整形外科に連れて行ってもらったところ,お陰様で傷も乾き,添え木も外れていた。でも,心配性からか包帯をとることに非常に抵抗していた志帆は,余り嬉しそうではない。腕を使おうともしないし。1ヶ月以上使ってこなかったからしょうがないのかもしれないけど,徐々に使っていってもらわないと治らないぞ。

2003.10.26

亮介フローリングに立つ

今日は亮介が自力で立ち上がった記念日。残念なことに私は見逃してしまいました(パパが見たそうだ)。
立ち上がっただけでなく,しきりに声も出すようになってきた。四六時中”あたっ!”だの意味不明な音を発しています。

成長する時は一気に色々とするようになるのね。

2003.10.31

褒められた志帆,怒るママを反省させる

今日はちょっと考えさせられる事があった。

パパとお風呂に入った志帆。出てきてから日中志帆が折り紙で作ったお化け(しまじろうの付録で,折り紙をちぎり,顔を書いて絵本に貼り付けたもの)をみてもらった。
私は日中それを見て,意外と上手くできていたのにちょっと感心していた。ということで,パパにも見てもらえば?と志帆を促してみた。

それを見たパパも”お〜,志帆,上手いね〜”とお褒めの言葉。ここまでは私と一緒。でもその後,”良くできたからぎゅ〜してあげる!”と言って抱っこしていた。抱っこされている志帆も嬉しそう。それを見た私は”はっ”としてしまった。
考えてみたらこのところ志帆に対しては怒ってばっかり。褒められるようなことをしても”偉かったね”等とさらっと一言で流していたように思う。「育児で余裕がないから」で片づけていた。
でも,パパだってこのところ仕事が忙しく,私とそれほど状況が違っている訳ではない。それでもちゃんと叱るところは叱り,褒めるところは褒めちぎっている。何だかその姿を見てがく然としてしまった。

志帆はそんなパパが大好き。先日お友達のお母さんにも”志帆ちゃん,パパのこと好きでしょ”と聞かれた。志帆が話す際,何かにつけて”志帆のパパは〜””志帆のパパは〜”と言った感じで話していたらしい。
「私が叱り役でパパは慰める役だから」なんてのん気に考えていたが,そうではなかった。以前,パパ自身にも”育児にもメリハリを”なんて言われたことがある。分かってはいるが,どうもそれが苦手な私。

やっぱり怒ってばっかりはダメだよね〜。反省。

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