2003.9.1
障害物だらけの室内
今日から新学期。でも,我が家は相変わらず。
お昼直前のこと。外で子供の声が聞こえてきたので例によって志帆も”お外で遊びたいの〜”と言ってきた。亮介も寝ていることだしちょっとだけと2人で出た。
しばらくした後(30分ほど),どっからか乳幼児の泣き声が聞こえてきた。”亮介?”と思ったが,確信が持てない。お隣のつっ君に”ひろみ君(つっ君の弟)が泣いてるのかな?”と聞いてみたら”違うよ”と言われ,よくよく聞いてみたらやっぱり亮介の声。
”起きたか〜”とドアを開けてみたら・・・。床に転がって泣いている乳児1名。どうやら玄関から転げ落ちたらしい。いつかそうなるのではとは思っていたが(思う前に何とかしろって!?),ついにやってしまった。
昨日はリビングとダイニングとの間に1つ,階段の入り口に1つとおせんぼをつけたばっかり。でも,玄関は丁度良いサイズがなかったので後回しになっていた。
しかし,今日その問題は早速解決。つっ君宅で使っていたモノを借りることになった。近所に歳の近い子が沢山いて良かったわ〜。
これで当面の間は問題なさそうである。でも,こっち(大人)にとってとおせんぼは実に不便である。いちいち胯がないといけない。
それ以上に面倒なのが志帆を持ち上げないといけないこと。ご飯を食べる時,外に出る時と今まで自分で出来ていたことが出来なくなってしまった。
本人もイヤだろうし,我々もイヤだ。亮介も早くとおせんぼがなくても良いようにならないかな〜。
2003.9.2
五郎兵衛米
亮介の除去食が始まってから,我が家のお米の減り具合が一気に上がった(私が3食ほぼすべてお米だから)。このところ月に10キロペース。ということで,「質より量」。安〜いお米を買っていた(除去食でなくても買っていた!?)。でも,やっぱり安い物は味もそれなり。炊き立てでも若干お米が茶色くなることもあった。
そこで,今回ちょっと贅沢することに!7月に行った軽井沢でお昼ご飯におにぎり専門店でおにぎりを食べたのだが,それがなかなか美味しかった。そのお米は五郎兵衛兵米といい,地元では有名な銘柄らしい。その時は単に”美味しかったね〜”で終わっていたのだが,東京に帰ってきてからテレビでそのお米が紹介されていた。”へぇ〜,有名な銘柄なんだ・・・”などと思ったり。
それが”買ってみよう”に変わったのが,私方の両親の軽井沢旅行だった。最初はこれまた美味しかったヨーグルトを買ってきてもらおうと思っていたのだが,移動時間を考えてやめることになり,”それだったらお米を”となった。
今日,早速炊いてみた。志帆には予め”これ,美味しいご飯だよ!”と言っておいたからか知らないが,”美味しい”と言っていた。更に続けて”さすがママ!(が炊いたご飯だ!)”と言ってきた。
志帆や,このお米を使えばきっとパパでも美味しいご飯が炊けるぞ。
2003.9.3
雨と涙と雷と停電
いや〜,今日はびっくり!雷までは予想できたが,停電までは・・・。
雨が降り出す直前まで,いつものように外で遊んでいた志帆とその仲間たち。雷がゴロゴロ遠くでなっていた時も,我が家の前のスロープに座り,(雷の)様子を伺っていた。
お隣のつっ君兄弟は雷が嫌い。”怖い〜!”と半べそ状態。でも,頼もしいもんで女性陣(志帆とさっちゃん)はそれほどでもない様子。
それでも,雨がぽちっぽちっと来た時には,それぞれ各自の家に避難。その直後から激しい雷。それまで志帆は普通にしていたが,さすがに停電にはかなわなかった。
たまたまその瞬間は私は2階の雨戸を閉めていたのだが,停電になった直後,志帆が”怖い〜!”と泣き出し,亮介も泣いていた。真っ暗やみの中,急いで下に降り,懐中電灯を物色。何とか興奮も納まったところで電気も復活。でも,またしても停電。
参ったね。私はそれほど雷は怖くはないが,今回の雷はちょっとだけびびった。
2003.9.8
志帆,3歳の誕生日
今日で志帆は満3歳。いや〜,早かったような,そうでなかったような。
今回のお誕生日プレゼントは全体的にグレードアップ。我々からは自転車(+ままごと用の野菜など byパパ),パパ方のおじいちゃん・おばあちゃんからは立派なキーボード(鍵盤が光るモノ),ママ方のおじいちゃん・おばあちゃんからは,志帆のリクエストにより,去年買ってもらったキッチン用の食器一式。
どれも大変気に入った様で,両方とも毎日遊ばれている。亮介もお姉ちゃんが遊んでいると気になるらしく,必ず近寄ってはさりげなく玩具をゲット。でも,当然ながらすぐに見つかり,取り上げられ,大泣きしている可哀想な亮介。
キーボードにマイク(玩具ではなく)が付いているのだが,志帆はそれも気に入った様子。自動演奏を自分で始め,マイクを両手で持ち,訳の分からない歌を歌う(自動演奏の曲目は必ずモー娘の「そうだ!We're alive」である。自動演奏の1番目の曲だからという理由)。
本人は真剣に歌っている様だが,見ているとなかなか笑える。
それにしても,志帆は恵まれてるよな〜。こんなにいっぱい立派なプレゼントをもらえて。私なんかこんなに良いものばっかりもらったことないぞ。
2003.9.9
後追いの亮介
このところの亮介には参ってしまう。このところ夜中に2,3回も起きているのである。
1回目は授乳すれば,そのまま寝てくれる。でも,明け方近くになってくるとダメ・・・。飲み終わった直後に私の膝の上から転げ落ち,アクティブモードになってしまっている。周りをうろうろするだけななら放っておくが,ご丁寧にお姉ちゃん目がけて突進。髪の毛を引っ張ったり,顔の上に手をのせたり・・・。
その度に起こされている可哀想な志帆。というか,志帆がパパと一緒に2階で寝ればいいのに。
志帆の時の日記を読んでみると,彼女は後追いが余りなかった(らしい。日記にもないし,記憶も余りない)。
でも,亮介は違う。いつもという訳ではないが,機嫌が悪い時,特に眠たい時には泣きながらずりばいで寄ってきて私の足首を掴みに来る。用事等でその場を離れようもんなら”びゃ〜!!”と大泣き。再び私が登場すると”どこ行ってたんだよ〜!”と言わんばかりにまたまた大泣き。抱っこしてあげるとあっという間にご機嫌さん。でも,すぐに床に戻すと・・・。
後追いもされないと悲しいものがあったが,されると一瞬は”可愛いヤツだ”って思うが,後は”面倒だ・・・”ってなってしまう。勝手かな?
2003.9.10
右腕は飾りではありません
今日は志帆,亮介共に「初めて」を経験。
亮介は,はいはいスタイルで(少し)前進できるようになってきた。でも,早く移動したい時はやっぱりずりばいの方がいいらしい。おかげでずりばいのスピードもなかなかのもの。あれよあれよと言ううちに進んでいる。
亮介の「お初」は微笑ましいものだが,志帆の「お初」は・・・。
私の実家でのこと。階段から転げ落ち,肘から落下。当然のことながら本人は大泣き。よくよく腕を観察してみると,右肘が若干膨らんでいる。
”!?”と思い,泣いている志帆を落ち着かせて腕,指を動かすように言ってみた。でも,痛いからか動かないからか全く動かそうとしない。そうこうしているうちに膨らみは大きくなっていった。”何だかやばそう・・・”と外科へ連れていくことに。
先生に”ここ痛い?”と聞かれてもうんともすんとも言わない。とりあえずレントゲンを撮ることに。
数分の後,診察室へ行くと先生の第一声が,”残念ながら骨折してます”。ひゃ〜!今日はそこの病院では整形外科の診察をやっていなかったので,とりあえず添え木をし,明日また来るように言われる。
骨折ってしたことないんだけど,一体どういった感じなんだか。
不運にも骨折は右肘。自分ではご飯も食べられないし,トイレにも行けない。しょうがないとはいえ,私の仕事が増えること間違いなし。はぁ〜,骨折って全治どれくらい?
2003.9.16
不機嫌のち熟睡
昨晩遅くからどうも亮介のご機嫌が優れない様子。いつもであればその日最後の授乳は私が無理やり(!?)飲ませ(本人は「飲みたい」という意思表示なし),その次は朝の7,8時までノンストップねんね。
でも,昨日は8時のお風呂上がり後に飲んで,10時半頃にふぎゃふぎゃ言い出す。軽く授乳し,再び寝かせ付けようとしたが,痒いのかごしごし顔を掻いてなかなか寝てくれない。夫婦して亮介の腕を押さえつけ。何とか12時頃に寝かせ付けに成功。
私が1時過ぎに布団に入り,次に亮介が起きたのが3時。”まだ3時間も経ってないのに・・・”と思いつつ授乳しようとしたら,嫌がって飲んでくれない。お腹が一杯だったのか?
でも,本人はすっかり目が覚めてしまった様子。私は眠いので勝手に遊ばせることに。でも,どうもお姉ちゃんが気になるのか,ずりばいで向かっていく。
骨折している腕の上に乗っかったりしたら面倒なことになると,さすがにそれは阻止。私が間に入り,二人を接触させないようにしたが,そんなことはお構いなし。私の上を乗り越えていこうとする。
お願いだから勘弁してくれ〜。それから私は気を失い,ふと気がついたら亮介は私のすぐ横で寝ていた。
晩の寝不足が祟ったのか,午前中から良く昼寝をした亮介。でも,それだけでは足りないのか,ご機嫌がすこぶる悪い。ちょっとでも床に置こうものなら”ぎゃ〜!!”と物凄い抗議の声。抱っこしていればご機嫌さん。
でもさすがにご飯の準備の時は我慢してもらわないと困る。ということで,ぎゃーぎゃー泣いている乳児を無視してご飯の準備。
しばらく泣き続けていたが,諦めたのか大泣きしつつ和室へ移動。自分の布団にひれ伏して寝に入る様子。亮介は偉いな〜。眠いからと自分で布団まで移動して寝るなんて。
2003.9.18
やっぱり布団が好き
いつもよりはまだましであったが,今日も亮介は置くと”ぎゃ〜!”。私を見つけた時の駆け寄って来るスピードも凄いものがあった。後追いで大変だ。
それにしても,亮介はちゃっかりしている。このところの睡眠不足が祟って日中良く泣く(眠くて)。
でも,常に相手をしている訳に行かない。と言うことで,放置することも。しばらく火がついたように激しく泣くが,気がつくとちゃっかり和室へずりばいで移動し,自分の布団(敷きっぱなしにしている)でひれ伏している。
更に放置していると静かになり,寝てしまう。和室へ移動しない時は,リビングにあるクッションまで移動し,そこでひれ伏す。
乳児でもやっぱり柔らかいところで寝たいよね。
2003.9.20
入院で手術!
今日は志帆の骨折の回復具合を確認するために病院へ。外は雨,イヤな感じ。結果もイヤな感じだった。
まずレントゲン撮影し,それをもとに先生に話を伺うことに。診察室に入ると写真をにらみつけて何も言わない先生。ようやく発された言葉は”前よりずれがひどくなっています”と顔も深刻そう。”検査しますのでちょっと待っててください”とも言われる。
検査とはX線を照射しながら先生が腕を動かしてずれた骨を戻せるかをみるもの。横にされた志帆は痛いのか怖いのかで泣き出す。
その検査が終わった後,先生の説明。”(骨片が)戻るかどうかやってみたんですが,戻らないので,手術が出来る病院に行って手術が必要か診てもらってください”と言われてしまう。
”手術!?”聞いた時,思わず震えてしまった。手術ともなると入院!?同じ家でも(私とは)別の部屋で寝れない志帆。入院なんて出来るのか!?
2003.9.22
入院・手術日程決定…
今日は志帆を紹介してもらった病院へ連れていく日。朝早くから行けば,早くに診てもらえるだろうと,おばあちゃんとパパ,亮介を引き連れ,志帆とともに家を7時過ぎに出発(初診受付開始は8時半から)。
現地に8時過ぎに到着したが,すでに何人か並んでいた。みんな考えることは一緒だね。
紹介状も持っていたので,”早めに診れると思います”の言葉を信じ,ひたすら待ち続けること・・・う〜ん。診察開始が9時半(始まるまでにすでに1時間半の待ち)だが,なかなか名前が呼ばれない。
ようやく呼ばれたのが11時過ぎ。紹介状を持っていなかった人なんかは診察開始はお昼過ぎ。何で病院ってこんなにも待ち時間が長いんだ?!
待ち時間が長く,疲れてしまった上に先生のご意見も更に疲れる原因に。やっぱり”手術をやった方が・・・”だそうな。将来的に考えてもその方が当然良いのであろうが,今の時期は非常に痛い。志帆も当然1人でいられないし,亮介も私から離れられない。でも,病室には5歳以下の子供は歓迎されない。
26日の手術日の前日から入院し,退院は今のところ29日の予定。3泊4日。パパの仕事も忙しそうである。我々家族にはなかなか厳しい入院となりそうだ。どうしたもんだか・・・
2003.9.25
そして入院初日
今日から志帆の入院生活が始まる。入院手続き時間が14時からなので,ちょっと時間があった。
それにしても,なぜだか志帆は病院へ行く気満々。ずっと”早く病院に行こうよ〜”だの”早く病院に行ってお泊まりしようよ〜”と言っていた。なぜそんなにも行きたい!?
病院に着き,手続きを済ませ,病棟へ移り,そこで看護師さんから説明を受け,後はもう寝るだけ。本人は落ち着いたもんだ。
18時頃,会社を早退したパパが病院に到着。私とバトンタッチし,私は帰ることに。その時もエレベーターのところまで送ってもらい,全く問題なしに”ばいば〜い!”ちょっと拍子抜け。でも,泣かれるよりは良いけど。
明日は手術。朝一番の予定で行われる。でも,私の体調はいや〜な感じ。大丈夫か!?
2003.9.26
決戦!上腕骨外顆骨折
今日はいよいよ手術日。本人も不安だろうと病院へ行くつもりが・・・。
昨日からの体調のいや〜な感じは「最悪」な状態に変化していた。昨日家に帰ってきてから熱を計ってみたところ38度2分。疲れてたのかな〜
今日になっても熱は変化なし。こんな状態で病院になんか行ったら病棟中に菌をばらまきそうだし,逆に変な病気をもらってきそうである。ということで,志帆には悪いが私は行かないことにした。
幸い志帆も良い子にしてたし・・・と思っていたのに,朝パパから電話があり,やっぱり大変だったらしい。”志帆,お家に帰って寝るの〜!!”などと騒いでいたとか。
やはり口だけだったか・・・。
肝心の手術の方は,予定時間の1時間では終わらなかったが,12時頃に無事終了。志帆がどんな感じだったかは詳しくは分からないが,まず一安心。
パパ補足:術後,麻酔が覚めるまで待っていたり,点滴中もベッドサイドで待っていたりと,とにかく待ち時間ばっかり。その上,志帆がべったりで一服どころかトイレにも行けない。おばあちゃんがいる間はどうにかなったが,その後は本当に大変だった。
さらに手の湿疹がひどいため,足から点滴のラインをとっていたので,志帆は歩けない。そのため志帆をトイレにつれいくたびに腰痛が悪化し,地獄を見ました。
明日,病院に行く為にも熱を下げねば。ただでさえ志帆の入院で両家のじじ,ばばを巻き込んでいるのに,私の方でも手がかかるようではどうしようもないしね(私一人だったら問題はなかったけど,熱がある時に亮介の面倒をみるのは辛いっす)。
2003.9.29
退院
いよいよ今日は志帆の退院。みんなにとって長ーい5日間でありました。
最後に執刀医から傷の消毒をやってもらう。それにしても志帆はすっかり白衣を着た人たちが嫌いになってしまった様子。回診の際,先生や看護師さんに”おはよう”だの”バイバイ”だの言われても絶対に返事をしない。でもこれは手術以前からの問題!?
入院期間中,すっかり甘えん坊になってしまった志帆。退院したからには家ではそんなワガママ言わさせません!
今回の入院ではパパが大活躍。4泊5日のうち3泊はパパの付添。簡易ベッドが与えられたが,当然背の高いパパには長さが足りないし,おまけに硬くて寝れたもんじゃなかったとか。仕事も暇じゃなかっただろうに,ホント,お疲れさまでした。
2003.9.30
やる気レス運動会
今日はキッズクラブの運動会。今年は行事という行事がことごとく雨だったり,寒かったりで中止になっていたが,今日は(珍しく)いい天気。
でも,せっかくの運動会も骨折では参加できる競技(というほどのものはなかったが)は少ないかないんだろうな。
おまけに,志帆はやる気なしの様子。ビニールシートに座り込み,みんなの競技している姿も見る気なし。
この日は日差しが強く,暑いくらいだったのに風が強かったので志帆は”寒い!”と聞かず,Gジャンを着ると聞かない。こっちが”暑いからいいよ”と言っているのに”寒い!着るの!!”と大泣きし,こっちの言うことを全く聞かない。
本来の私であればここは知らない人も多いし,取り乱してはいかんと冷静に対処していたのであろうが・・・。疲れてるのかな〜,志帆のワガママに負けるな!と言わんばかりに”いい加減にしなさい!!”とマジギレ。私としたことが・・・人の前でぶち切れてしまうとは。志帆が大泣きしていても放置しちゃったし。
今になって考えてみるとかなり凹んでしまう。
ということで,今回の運動会は「疲れた」「(砂ぼこりで)汚れた」「恥ずかしいかった」と全く良いところなし。はぁ〜