(う〜ん、たまりません。丸帆亭) 私が小学生の頃には、子供や孫と一緒に釣りに興じる大人や老人の姿を (とても重要な事ですね。 丸帆亭) 脈々と子孫を残し、現在まで魚が住んでいる運河をわざわざ埋めて、そこに (まったく同感です、あれは酷い、東京人の感性では許容できないです。丸帆亭) 十六万坪を今の環境のまま残すことができれば、山の手と呼ばれる高級住宅地など
本誌P144から船宿”晴海屋”の四代目、安田進さんの、文章が4ページにわたって
掲載されております。石原都知事への手紙というかたちで、とても分かりやすく、
この問題に対する熱い思いがひしひしと伝わる素晴らしい文章です。
丸帆亭の言いたい事とあまりにも一致する部分が多く、よくぞ書いてくれましたと、
思わず熱いものが込み上げてきて打ち震えました。皆様、必読であります。
船宿と聞くと、どうしても直接の損益闘争と考えがちな、浅慮な自分を、
恥かしく思った次第です。
文頭からは、流石に四代目らしく、江戸期からの湾奥の釣りと埋立の歴史が書かれて
いて、かつていかに我々庶民と臨海の水辺が、生活の一部のように付合ってきたのかが、
リアルな映像として読み取れる思いです。以下、文面より抜粋させて頂きます。
遠浅の海を少しでも遠くに行こうと鉄の下駄を履いて、その途中、下駄でヒラメを
踏み刺してしまう事も多かったそうだが、足で振り払う程度で気にもしなかった。
当時は大きな魚よりむしろ小さな魚の、竹竿に伝わる何とも言えないアタリこそが
釣趣と考えられていた。
どこの川岸でもあたり前のように見かけた。誰もが野球を習うより先に釣りを
覚えた。目に見えない水の中を、一本のサオでその価値を判断する事が出来た。
渓谷風の親水公園を造っている。せっかくの浅い干潟を埋めてコンクリートの
垂直護岸にしている。たとえそこで子供たちが水遊びができたとしても、ジョギングができたとしても、それが東京の町にふさわしいものなのだろうか?
晴海屋
安田 進さん 江戸前ブランドと言われる東京湾の魚が美味いのは紛れもない事実で
値が高いのも見栄の問題ではない、それゆえなかなか庶民の口へは
入らない。有名な料亭へ運ばれ、センセイと呼ばれる人たちが口に
すると聞いている。「やっぱり江戸前はうまいな」とご満悦であると。
にもかかわらず、今度は東京湾を食い物にしようというのだから
価値が分かっているのかいないのか、理解に苦しむところである。
は、1円の補償も考えていない。この水域は都民、ひいては国民の貴重な財産なので
ある。一部の人の補償で済む問題ではないはずだ。
比較にならない価値があると評価されるだろう、東京で海に面した区はそう多くない
しかもちゃんと魚が棲息している場所は少ない。
開発が遅れたおかげで十六万坪は残った。その世界中が多額の金を払ってでも得たい
という自然環境を、日本の首都は21世紀を目前にして、多額の金を払って潰そうと
している。過去最低とまでいわれる財政難にあえいでいる都がだ。
400億円以上といわれる莫大な税金で、庶民の価値ある財産を破壊し、そこに
価値なき土地を造ろうとしている。
大衆は埋立中止を望んでいる。埋め立てを望んでいるのは、都知事の嫌いなお役人
と、一部のゼネコンだけだ。都知事の美意識を信じたいし失望させてほしくない。
(以上、ほぼ原文のままの抜粋ですが、順序等、多少は編集しました。ご勘弁を)
まったくの正論で、家業の損益補償など感じさせない文章に、両手を上げて賛同
いたします。引用個所にはありませんが、安田さんの一番の論拠は、
臨海の水の中にあります。都庁のテッペンから物事を考え、押し付ける政治は
まっぴら御免!です。そして、一般の方々が、もはや普通には知る事の難しくなった
水の中にこそ、真実が隠されている訳で、それを何とか伝えたいという情熱が、
私には痛いほど分かります。雑誌”つり人”一誌に留まるにはもったいないほどの
文章力に、思わず今後の活字メディアでの活躍をまで、期待しております。
2000.2/25 校了
石原都知事の似顔絵アイコン、等、募集します。手が回りません。
デザインに自信の方はお願いします。
当然無報酬、版権なし、軽くて小さい事が条件です。すみません。
いよいよテキストばかりになって、辛いです。お願いね〜〜。