サンフランシスコのブック・フェスティバル、そしてビート

アメリカン・ポエトリー・コラム 19
 
 
野坂政司

サンフランシスコでは文学に関係する催しが多彩にしかも年中開かれているが、恒例となっている大きな催しも少なくない。たとえば、サンフランシスコ・ベイ・エリア・ブック・フェスティバルは今年で七回目の歴史の浅いものだが、すでにしっかりと定着した大きなものの一つである。
 今年はコンコース・エグジビション・センターで十一月の第一土曜・日曜の二日間に渡って開催された。二日とも、午前十時から午後六時まで開かれ、入場料は大人が二ドルで、十二歳以下の子供が無料である。さて、その内容であるが、二五〇人の詩人・作家の朗読、三百の書店・出版社の展示、さまざまなデモ、子供のステージなどが提供され、二万五千人ほどの入場者があったようだ。また、このフェスティバルに連携して、別会場で出版関係者のためのセミナーが開催されたり、また他の会場で本を出版してみたい人たちのためのセミナーが開催されたりもしている。
 『ポエトリー・フラッシュ』(九六年、十月・十一月号)では、フェスティバルの紹介欄の最初にこの催しを紹介し、詳細な情報を提供している。それによると、会場は土曜日がメイン・ステージとその他の三つの部屋、日曜日はメイン・ステージと四つの部屋となっていて、それぞれのサブ会場毎に登場予定の詩人・作家たちの名前が列挙されていて、一通り目を通すだけでもたいへんな作業である。すべての詩人・作家を挙げるわけにはいかないので、数人の詩人たちが一つのテーマのもとに登場するセッションの名前を紹介しておきたい。

 土曜日
 オードリ・ロードの部屋、「異なるドラマーーXジェネレーションのために書く」、「ビート・ジェネレーションの女性たちの朗読」。
 ジェシカ・ミットフォードの部屋、「言葉の収穫ーグレート・セントラル・バレーの作家たち」、「アル・マシュリクからサンフランシスコへーベイ・エリアのアラブ作家たち」、「ボーダー・バリヤー・バリケードーアメリカにおける人種、文化そして移民」、「スニーカー・蝿娘・狼人間ーヒロインとドラマ」、「混合ーアメリカの多人種の遺産」。
 ウォレス・スティグナーの部屋、「ピンク・インク1ーそれは事実だ」、「ストリートはどうなってるかー今日の若者集団の文化」、「ビート・ジェネレーションの女性たちーパネル」、「荒れ狂えースコットランドから書く」。

 日曜日
 オードリ・ロードの部屋、「発生と生成ー作家はアイデアをどこから得るか」、「なぜ君は自分がやってきたところへ帰らないのかー多文化の作家の反応」。
 ジェシカ・ミットフォードの部屋、「場所の感覚ー旅の作家が路上の生活を語る」、「愛はそれをどうしなければならないかー黒人小説のエロチシズム」、「湯気の多い野性の米ーアジア系アメリカ人の性」、「狂った世界で正気のままでいることーサイコセラピーと創造過程」。
 トム・メイヤー・マルチメディアの洞窟、「サイバー権ーデジタル時代の表現の自由」、「インターネット上の知的生活ーオンライン・マガジンで出版し書くこと」。
 ウォレス・スティグナーの部屋、「書くことの神秘ー共有」、「野性の植民地住民ー乗り込んでいる書くアイルランド人」、「ピンクインク2ー私たちが自分に語る物語」 、「虚構のスクリーンを下げてー伝記を書くこと」。

 幅広く興味深いテーマのセッションが各部屋で同時進行している。また、各部屋でのセッションの途中とメイン・ステージで、一人あるいは二人の朗読が行われている。土曜日のメイン・ステージでは、アリス・ウォーカーが朗読しているし、日曜日のメイン・ステージでは、日本でも土曜美術社の世界現代詩文庫の一巻として『北島(ペイ・タオ)詩集』(一九八八)が出版されている北島(北米では「ベイ・ダオ」と発音されている) とゲーリー・シュナイダーが揃って出ているし、その後に続けて日系のエイミ・タンが登壇している。このように豊かな内容なので、どの部屋の企画に足を運ぶかを決めるのにひと苦労することだろう。
 多彩な民族的拡がりと、詩の世界の多様性を内に含んだこのような構成の企画が恒例の行事として実行されていることは注目に値する。しかも、入場料は子供が無料で大人が二ドル(二百円ぐらい)である。そのことを考えると、一般の文学愛好家にとってこのフェスティバルの文学空間への垣根は非常に低いと言わなければならないだろう。一方、朗読する詩人・作家たちの一部は東海岸からも招かれているので、入場料だけではこの企画の経費をまかないきれないと思われる。このフェスティバルの主催者は、文化と教育のプログラムを通じた読み書き能力の奨励を目的とするサンフランシスコ・ベイ・エリア・ブック・カウンシルという非営利組織である。それにスポンサーとして、サンフランシスコ・クロニクル、KRONテレビ、 KFOG・FM、サンフランシスコ財団、西部出版社グループ、ブックピープル、ハーパーコリンズ、ランダムハウス、カリフォルニア大学出版その他が協力している。また、フェスティバルの企画の一部にはサンフランシスコ州立大のポエトリー・センターとアメリカン・ポエトリー・アーカイブが共催として参加している。会場で出展するするためのブース(十フィート×十フィート)の使用料が五百ドル(六月二八日までに予約・支払いを済ませると四七五ドル)である。ブースを二つに分割して使用することも受け入れられており、その場合の料金は半額となる。
 このような方法は同様の企画において他のさまざまな都市でも部分的には採り入れられているものだろう。しかしサンフランシスコの場合は、市内及び近郊に住む詩人・作家たちの人数が多く、日常的にポエトリー・リーディングを提供する書店やスペースなどが豊富であり、そして何よりも文学的イベントを享受する層が厚い、という環境があるために、その内容の密度が濃いのである。
 ちなみに、ニューヨークでは、十一月二二、二三日に第十回ニューヨーク・ブック・フェアが開催されている。このフェアは、スポンサーとなる出版産業が、ゴダール・リバーサイド・コミュニティー・センターの協力を得て、開催するもので、二万冊の書籍、CD、ビデオ、カレンダー、カード、その他のギフト類が、小売価格の半額で提供される。このフェアの目玉の一つとして、十一月十一日から十四日まで、「作家に会える」夕食会が市内各所の私邸で開かれ、二百人ほどの作家が参加するという。また、初日には、プレビュー・パーティーとオークションが開かれる。九六年は 、このようなプログラムから三〇万ドルの収益金を目標としているが、それは、ホームレスの人々や、住居、食事、教育、その他のケアをコミュニティー・センターに頼っている子供たちのために役立てられると言う。
 ニューヨークでは、また、十二月の一日から三一日まで、文学の仕事を通じてコミュニティーの生活を向上させる目的を持つ非営利組織のポエト・トゥー・ポエト(詩人から詩人へ)が主催する朗読会+オープンマイクが次に挙げるような市内・近郊の各所で連続して開催される。場所は、クィーンズのベイテラスではバーンズ&ノーブル書店、ナソーのフローラル・パークではクレッセント・シティー・コーヒーハウス、マンハッタンのビレッジではバック・フェンスとル・ポエームとインターナショナル・ブックス&カフェ、ダウンタウンではオレンジ・ベア、イーストサイドではプラネット・ワン・カフェ、リンブルックのナソーではブロードウェー・ビーナリー、などである。それぞれ入場に際して、二ドルの寄付と、木戸銭として最低三ドルを払わなければならない。またこうした朗読会の様子はケーブルテレビで紹介されることになる。
ニューヨークのこのような二つの例も独特のものだと言えるだろう。しかし、私にとっては、サンフランシスコのブック・フェスティバルの方が興味深い。その、私が興味深く感じると点について、ここでもう少し具体的に述べてみたい。
 一つは、このフェスティバルの内容が、セッションのテーマの幅において、民族性の広がりにおいて、世代にも関わる文学の様式の差異において、多彩なことである。たとえば、土曜日の昼、メイン・ステージでは『カラー・パープル』の著者アリス・ウォーカーの朗読が始まる。その時、オードリ・ロードの部屋では「異なるドラマーーXジェネレーションのために書く」のセッションがそろそろ終わりに近づいていて、ジェシカ・ミットフォードの部屋では「アル・マシュリクからサンフランシスコへーベイ・エリアのアラブ作家たち」のセッションが始まって十五分ほど経過した頃であり、ウォレス・スティグナーの部屋では「ストリートはどうなってるかー今日の若者集団の文化」のセッションが始まる時間である。
 また、日曜日の同時刻を見れば、メイン・ステージでは 北島 とゲーリー・スナイダーのセッションが開始する。北島は、日本語で読めるものとしては、『北島詩集』(土曜美術社)や是永駿編訳『中国現代詩三十人集』(凱風社、一九九二)が便利なところだろうか。それらを読むと、北島が十六才の時に文化大革命が勃発し、一九七八年には地下文学刊行物『今天』を主宰者として創刊した重要な活動的詩人であり、一九八九年の「六・四」天安門事件以後海外に「流亡」した詩人の一人であることなどがわかる。『北島詩集』の「エッセイ・発言」の冒頭に、一九八二年の「長城」から引いた言葉として、次のような発言が見える。

 詩には国境はなく、詩は時間、空間、それに自我を越境するが、詩は自我より発しなければならない。
 詩人は戦士でなければならず彼はいっさいの価値あるもののために敢然と自己の名を旗に記すのだ。と同時に、詩人は歴史の鏡によって自らの位置を測らねばならない。(一一八頁)

 中国に帰ることが許されず、ヨーロッパ、アメリカ合衆国の各地で講演や朗読を行いながら「流亡」の状態を続けている彼が登壇することは、このフェスティバルの詩の世界の奥行きを深めることに大いに貢献していると思われる。北島は、現在は、カリフォルニア大学デイヴィス校で教えているという。ジョイント・リーディングの相手であるスナイダーもまた同校で教えているから、このような組合せが可能になったのかもしれないが、日本、中国の文化に通じ、エコ・ポエトとして合衆国の体制にもう一つの視点を一貫して示し続けてきたスナイダーが一緒に登場するのであるから、とても興味深い組合せである。スナイダーは、日本語訳が『スナイダー詩集 ノー・ネイチャー』(思潮社、一九九六)として出版された『ノー・ネイチャー』(パンセオン、一九九二)の後も、散文選集の『空間の中の場所』(カウンターポイント、一九九五)、詩選集『終わりなき山河』(カウンターポイント、一九九六)が続けて出版されており、ますます充実ぶりを発揮している。この二人の出会いからどのような文学空間が生み出されたのか、その場にいて目撃したいものだった。
 さて、日曜日の昼のこのセッションが始まる時間には、オードリ・ロードの部屋では詩人トマス・セントレーリャの朗読が続いており、ジェシカ・ミットフォードの部屋では「愛はそれをどうしなければならないかー黒人小説のエロチシズム」のセッションが同時刻に始まるところであり、トム・メイヤー・マルチメディアの洞窟では「サイバー権ーデジタル時代の表現の自由」のセッションが始まってから三〇分ほど経過しているところであり、ウォレス・スティグナーの部屋では「野性の植民地住民ー乗り込んでいる書くアイルランド人」のセッションがこれもまた同時刻に始まるところである。
 土・日の昼の十二時半の構成を見たわけだが、フェスティバルの内容が多彩であると先に述べたことを認めていただけるのではないだろうか。この内容の多彩さは、詩のさまざまな側面の無秩序なごたまぜのように思われるが、その民族的混交という点をとらえてこれをクレオール的空間であると言い切ることもできないように思われる。むしろ、私にはその多彩さが世界の現実の多元的構造の縮図のように考えられる。それはサンフランシスコ・ベイ・エリアという地域性に見られる特異な民族的経験に結びつくものかもしれない。すなわち、ニューヨークのように精神の緊張度を極度に高めている必要はないが、日常的に常に他者に向き合わされる社会 であり、相互の民族文化の境界を越境し合いながら、決して融合してはいない状態。そのような現実感覚が、「アーツィー(芸術っぽい)」といわれるこの地域の都市空間を成立させている一要因(と私は考えている)としての、詩人・作家たち、書店・出版業界、文学愛好家たちの絶妙なバランスに、結びついているのである。この地域では、他の都市と同様に芸術様式の新しい試みに果敢に取り組んでいる作家も多いが、芸術家たちも住民も、新しいものでなければ見捨てられるというような偏狭さから解放されているように思われる。この都市では、固有の背景を持つ色々なタイプの詩人が、それぞれに経歴の長短や詩的洞察の浅い深いがあっても、その詩に拠る生の選択によって詩人として敬意を払われているように窺えるが、詩人たちが、出版関係者たち、文学愛好家たちと一体となって、本を中心とする文学的祝祭空間の広場に集合しているのである。フェスティバルの内容の多彩さは、このようなサンフランシスコ・ベイ・エリア独特の空気にそのまま対応しているように考えてよいのではないだろうか。
 さて、ニューヨークのブック・フェアよりも サンフランシスコのブック・フェスティバルの方が内容において興味深いと私が感じたもう一つの理由について触れてみたい。それは土曜日の出し物にあるビート・ジェネレーション関係のセッションである。つまり、オードリ・ロードの部屋の「ビート・ジェネレーションの女性たちの朗読」と、ウォレス・スティグナーの部屋の「ビート・ジェネレーションの女性たちーパネル」のことである。これは時間が「朗読」の方が三時半から、「パネル」の方が二時から(こちらの方は、次のセッションが四時に始まる予定なので、その少し前には終了することになるだろう)となっており、一部重なってしまうので、ビート・ジェネレーションに関心を持つものにとって両方全部を聞くことができないのは残念なことだ。せいぜい、「パネル」を先に聞いていて、途中から「朗読」に移動するぐらいのところだろう。
 私にとってこれが興味深いのはビート・ジェネレーションの女性を取り上げているからである。一般的にビート・ムーヴメントというのは男のものだったという理解が通用しているようだが、このコラムの第十五回「それは誰も明らかにしていない」(四四号)で指摘しておいたように、私はその通念が一面的すぎると考えている。つまり、ビートの精神に貫かれた 生き方の選択とそれの文学上の実践とが決して男たちだけのものだったのではなく、女たちのものでもあったということであり、そのことは、ダイアン・ディ・プリマやアン・ウォルドマンのことを振り返るだけでもすぐにわかる。
 今回のフェスティバルでビート・ジェネレーションの女性たちに焦点を合わせたセッションが二つ用意されたのは、五〇年代から六〇年代にかけての初期ビートの詩人・作家たちで現在生きている者たちの今なお旺盛な創造力の発現が状況として存在し、ビート・ジェネレーションの文学的達成や、その影響の範囲の確定作業が進められつつあるからという一般的な理由からばかりではない。実は、この度出版された、ブレンダ・ナイト(編)『ビート・ジェネレーションの女性たち』(コナリ・プレス、一九九六)が引き金になっているのである。この本は、まだ入手していないので、『ポエトリー・フラッシュ』で紹介されているわずかな情報をここに拾い上げておきたい。それによると、この選集はビートに関連する女性を、詩人たち、UCバークレーのジョゼフィン・マイルズ のような教師たち、ケルアックやニール・キャサディと旅を共にしたルアン・ヘンダソンのような仲間たちまで広く四十人を取り上げている。また、この本には アン・ウォルドマンの前書きとアン・チャーターズの後書きが付せられているという。綴りに小さな違いがあるが、二人とも 同じく「アン」と発音される。この二人のアンは、ウォルドマンの方は詩人、チャーターズの方は研究者として、両者ともビート・ジェネレーションに深い結びつきがある。特に、チャーターズは、現在ビート関係の伝記・書簡・歴史的資料などに関して質量ともに最も重要な仕事をしている人であり、私もずいぶん恩恵を被っている。
 では、ここで朗読とパネルに登場するビート・ジェネレーションの女性たちを挙げておきたい。朗読に登壇したのは、ダイアン・ディ・プリマ、アン・ウォルドマン、ジョーン・カイガー、ジャナイン・ポミー・ヴェガ、ルス・ワイスたちで、パネルには、アン・チャーターズ(司会)、キャロリン・キャサディー、ジョイス・ジョンソン、ヘティー・ジョーンズ、レノア・カンデル、アイリーン・カウフマン、ジョアンナ・マクルーアが出席した。なお、パネルでは、初期ビートの時期からの詩人、マイケル・マクルーアが出席者の紹介者として協力したようである。パネル出席者とビートの男性詩人・作家たちとの関係について若干 補足しておくと、キャロリン・キャサディーの夫はニール・キャサディー、ヘティー・ジョーンズ の前の夫はリロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)、アイリーン・カウフマンの夫はボブ・カウフマン、ジョアンナ・マクルーアの夫はマイケル・マクルーアである。彼女たちは、知名度に関しては夫たちよりも低いかもしれないが、それぞれ長く執筆活動を続けてきており、キャロリン・キャサディーの『ハートビート』(一九七六)は、日本語訳(新宿書房、一九九〇)もある。
 ビートに関係する女性たちが、本の出版とともに朗読やパネルを通じて、ビートの文脈の中で自分の存在を明示することは会場に足を運んだ聴衆にとって少なくない影響力があるだろう。サンフランシスコ州立大のポエトリー・センターがこのセッションを共催していることや、この本を出版したコネリ・プレスが『ポエトリー・フラッシュ』に四分の一頁の大きさの広告を掲載して宣伝につとめていることからも、周囲の力の入り具合が想像できる。それはまた、その広告に、フェスティバル会場でセッションがあった土曜日の夜七時から再び市内にある本と音楽の店「ボーダーズ」で、さらに次の週の木曜日の七日にバークレーの「ガイア」で、彼女たちによる朗読の会が開催されることが予告されていることにも窺うことができる。
すでに述べたようにこのフェスティバルはその内容の多彩さが特徴でもあり、またサンフランシスコ・ベイ・エリア一帯でフェスティバルとは別にさまざまなポエトリー・リーディングがいつものように連日開催されているから、ここでビートばかりに過剰に注目するわけにはいかない。しかし、周辺の状況がビートにかなり焦点を合わせているという事実を見逃すわけにはいかない。フェスティバル以外のイベントでビートに関係しているものを拾い上げてみよう。
 まず、大きなものとしては、九六年の十月五日から十二月二九日までゴールデンゲート・パークの中のデ・ヤング美術館で開催されていた「ビート・カルチャーとニュー・アメリカ 一九五〇ー一九六五」がある。これは、ニューヨークのホイットニー美術館が組織した全国的な規模の巡回展で、サンフランシスコの前は、ミネアポリスのウォーカー・アート・センターで六月二日から九月十五日まで開催されていたものである。その狙いは、ビートの文化が発生して栄えた三都市、サンフランシスコ・ロサンゼルス・ニューヨークに焦点を合わせて、ビートのエトス(精神)が芸術的表現の多くの形式に浸透し、アメリカの生活を変えてしまったことを明示することであった。したがって、文学、美術、音楽、映画などの領域で生じた交流や共同作業などが展示を通して検証されるように構成されていたようである。『ポエトリー・フラッシュ』には、この巡回展の担当学芸員ティモシー・アングリン・バーガードの次のような言葉が引用されていた。

 ビート文化はおそらく二十世紀のアメリカ文化に対してサンフランシスコが貢献したもので最大のものです。……この展覧会の迫力に依りながら、他の側面、たとえば、地理的かつ知的境界がなかったことや、その運動の考え方のたいへんな柔軟性なども強調して展示しています。(三八頁)

 この巡回展の開催期間中にフェスティバルが重なったわけであるから相乗効果は相当なものであったと考えられる。ちなみに同美術館が提供した「ビート・セミナーと美術館ツアー」というものがあり、キャロル・ベネット講師によるケルアックの『ダーマ・バム』とギンズバーグの『吠える』に関するクラスと美術館ツアーの二部構成で親切なことこのうえない。
次に、この巡回展を補完する目的で企画された「ビート・アート」展がある。会場はマーケット通り南側の文化センターのSOMARで、大勢の作家たちによる、絵画、彫刻、写真の作品が展示されていたようである。
  また、十一月一日 から十七日まで、港のそばのフォート・メイソン・センターのイタロ・アメリカーノ美術館で、「ローレンス・ファーリンゲティ 版画制作者および画家としてのビート詩人」展 が開かれている。
 十一月七日から三十日まで、ロバート・コッチ・ギャラリーで、「アレン・ギンズバーグ 写真」展が開催されている。
 十一月三十日まで、UCバークレー校のバンクロフト図書館で、「ファーリンゲティ、シティ・ライツ、そしてサンフランシスコのビートたち」展が開催されている。ここでは、ファーリンゲティが始めたシティ・ライツ版「ポケット詩人」シリーズを中心に、ギンズバーグの『吠える』の猥褻裁判関連の公式法廷記録文書や、報道の切抜、写真など、そしてケネス・レクスロス、ウィリアム・エヴァーソン、ロバート・ダンカン、ジャック・スパイサーなどのビートの先駆者たちの作品などが展示されている。
 十一月十四日から九七年一月十五日まで、サンフランシスコ・センター・フォー・ザ・ブックで、『罪の頁 ビート時代の書物芸術』展が開催されている。ここでは、ビート芸術家たちが七つの大罪に反発しあるいは親近感を持ちながら書物という形式で出した成果が展示されている。書物芸術のためのこのセンターでは、比較的知られていないヴェニス・ビーチの詩人・芸術家たちを中心に構成し、この運動がケルアックとギンズバーグだけで花開いたものではないという立場を支持している。具体的には、バーン・ポーター、ウイリアム・エヴァーソン、ボブ・アレキサンダーなどの書物芸術家たちが紹介されている。
 十一月十七日まで、ギャラリー十六で、「ビートに向き合って」が開催されている。これは、六十年代初期からビート作家とともに仕事をしてきている映像作家のラルフ・アッカーマンの三十年に及ぶ足跡を紹介するものである。十一月八日、九日には上映会と、ゲストに詩人たちを招いてポエトリー・リーディングも催される。
 十一月十五日に、バークレーの「ラ・ペーニャ」で、アミリ・バラカが「黒人芸術と政治」という演題のトークを行い、翌日はバンド「ミンガス・ボー・ビンガス」の演奏と共に朗読をオークランドの「コンセプツ」で行う。
 ラジオ放送では、バークレーのKPFAで、詩人のジャック・フォーレイがホストをつとめる本と作家の番組「カヴァー・トゥ・カヴァー」に、十月三〇日は「ビート・ジェネレーションの女性たち」としてアイリーン・カウフマンが、十一月二十日にはギンズバーグの『イラストレイテッド・ポエムズ』のイラスト担当者エリック・ドゥルーカーが、十二月十一日にはギンズバーグが登場する。また、サンフランシスコ大学の放送局、KUSFでは、十一月24日にギンズバーグ、パティ・スミス、バローズ、ジム・キャロルその他の詩人たちの録音によるスポークン・ワードの二時間の特別番組が放送される。
 映画も上映される。サンフランシスコ市内のメイン・ライブラリ(中央図書館)では、十一月の木曜日に三週連続でビート関係の映画が上映される。七日はミンガスやエリントンの音楽によるドキュメンタリー映画「ケルアック」(一九八五、七三分)、十四日はジェリー・アロンソンによるドキュメンタリー映画で、ノーマン・メイラー、バローズ、ケン・キージー、ジョーン・バエズなどのインタビューを含む「アレン・ギンズバーグの生涯と時代」(一九九三、八二分)、二一日はバローズについてのドキュメンタリー映画「ウィリアム・バローズ 下水道の長官」(一九八三、六〇分)、となっている。
 さて、フェスティバル以外のイベントを長々と紹介したが、このような状況を総体として考えると、初期ビートを育んだ都市で、後期ビートのその後の現在形が今もなおこの地域の文学的空気の一角を占めていると感じられるのではないだろうか。個々の詩人・作家たちの現在の活動の差異を考慮に入れながらその全体を広く考えるためにはビートという呼称を使用せずにこのような状況を考えることも必要かもしれないが、『ポエトリー・フラッシュ』などを読んでいてビートという言葉がこのようによく目に入ることに示されるように、この地域ではその呼称が実体を伴って使用されていると考えるのが自然だろう。あるいは、詩人・作家たちの生身のパフォーマンスにさまざまな資料の蓄積が加わって、その全体像がより正確に把握される状況のなかでビートという言葉が使用されていると言ってもよい。
 繰り返し述べるけれども、サンフランシスコの文学状況は多彩であり、決してビートだけが取り沙汰されているわけではない。実際、視角を変えるとビート以外の興味深い文学的現実の活況が目に入るのである。それを認めた上で、ビートに向けられた強い注目の現状を事実として受けとめているわけである。振り返ってみれば、本以外のメディアでも、ジャネット・フォーマン監督のドキュメンタリー映画『ビート・ジェネレーション』(一九八七)は多くの貴重なインタビューや映像を含む良い資料であるし、この数年では、CD三枚組の『ビート・ジェネレーション』(ライノ、一九九二)や、「サンフランシスコ・ポエトリー・ルネッサンスからの録音」という副題が付けらているCD四枚組の『吠える、わめく、叫ぶ』(ファンタジー、一九九三)というように、ビートに関するさまざまな記録が連続して発表されてきた。近いところでは、マルチメディア時代を物語るように、ケルアックの多彩な資料をアン・チャーターズの監修のもとにオムニバスにまとめたCD−ROM『ジャック・ケルアック ロムニバス』(ペンギン、一九九五)が出版されている。これには、文字による詳しい注が付けられているだけでなく音声・視覚データも組み込まれた『ダーマ・バム』の全文、ケルアックによる絵画や、彼や仲間たちの写真、伝記、作品の抜粋の朗読、詳細な年譜、ビートの仲間たちの関係図、友人たちへのインタビューの動画、監修者のチャーターズによるビート・ジェネレーションにかんする評論などが収録されている。
 このように見てくると、ブック・フェスティバルで「ビート・ジェネレーションの女性たち」に関する朗読とパネルが企画に組まれた必然性がよくわかるし、同様に他のセッションにもそれぞれの深い背景があることが容易に想像できる。また、このようなフェスティバルを恒例の行事として開催してきたこの都市の力、つまりベイ・エリアに生きる本を愛する人々の個々の愛の深さと、そのような人々を結び合わせるネットワークの力が、いかに広く深いものであるかということがよく感じられる。
 ヘイデン・カルースの『雪と岩から、混沌から』(書肆山田、一九九六)がD・W・ライトさんと沢崎順之助さんの共訳によって出版されたが、この大部な素晴らしい訳詩集の結びに付けられたライトさんの「ヘンデン・カルースー未来への贈り物」の中に次のような文章がある。

 かれは時代のタブーを打破して、わたしたちを永遠の真実に送り返してくれる。かれは進歩という感傷感覚で過去から学ぶことができなくなった人と、うしろ向きユートピア思想でいまいる場所が見えなくなっている人と、その両者に対する抵抗者である。わたしには、こうして、カルースはモダニストでもポストモダニストでもなく、わたしたちをより大きな共同体に送り返してくれるまれな作家のひとりであると思える。(四一三頁)

 私には、サンフランシスコという都市が、この引用でライトさんが言っている意味でのカルースのような存在に感じられる。