ディジェリドゥー

シーコー・サンディアータ

野坂政司 訳



正気の心で
君は言う、そんなことは
できない、「ワイヤーなしの
高吊りワイヤー歩き」なんて。
君は、息を吐き、息を吸う、
休止なしで、
継ぎ目のない流れが
感じられるくらい長く。
音楽は決して中断しない
君が止めるとそれは止む。
その言葉はディジェリドゥー、
循環呼吸だ、
聞こえるものと
信じる気に
させられるものとの間の
変換点、風が
木のなかを通り抜ける
静脈の内壁に逆らう
血圧
卵子と精子の引力
眠気を誘ううなりに変わる
州間高速自動車道の
夢のようなマントラ
いったんこんなに遠くまで来ると
道に迷ってもいいくらいだ
君が夢に見ることは
君が知っていることよりも深い。
心が根元で
たてる音のように
思考の習慣よりも
低いところで、
シナプスと突起の
見えない動きの下で、
溜息の、視線の、
見えない動きの下で。
それはどんな話をするのだろうか?
私たちが知っているような
呼吸の終わりの
木と肺と空気
私たちには説明できないこと
私たちがかけられたいと思う呪文





* タイトルの「ディジェリドゥー 」というのは、サンディアータの朗読と共演して演奏しているバンドのリーダー、クレイグ・ハリスがオーストラリアを旅していたときに出会ったアボリジニーの人々からその儀式的使用法と演奏法を教えてもらった木管楽器で、尺八を巨大にしたような形状で、直径が十センチ近くで、長さは一メートル数十センチくらいだろう。サンディアータは、この楽器の深い響きだけではなく、その演奏に必要な循環呼吸の技術に魅了されたという。実際、作品の内容は循環呼吸を切り口として、理性的な心と常識、呼吸と循環呼吸、肉体と性、高速道路とマントラ、アボリジニーの夢の時間、思考の習慣と無意識、などの観念が折り重ねられていく。この楽器で演奏される切れ目のないサウンドに導かれるように、観念の連想が循環しながら夢の起源に降り立つ過程を辿っていくようである。



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