《散歩へ》


野坂政司

変化は気づかぬうちにやってくる
朝の光が忍び込む
昨夜の雨に濡れた路上をバイクが走り去る
夢うつつ
目覚め
伸びていた腕を引寄せる
曲げていた膝を伸ばす
いつのまにか
躰が動き始める
目覚め
閉じられた瞼をくすぐるように響くのは
階段の下
あれが床を歩く時に爪がかすかに触れる音
家の中に獣の気配が染みついている
家の
中の
獣の
気配
この気分は前にも味わっている
それは
ことばに潮がにおう
港町
小高い丘の上にたつアパートの二階
遠くに輝いていた漁り火
海峡から丘を飛越えてきた汽笛
そして
一人暮らしの
私のところに棲みついた迷い猫
  ヨモギ猫パンニャが目覚めの無限階段を走り上る
15年前のヨモギの背中はすでに霞んでいるが
無意識の薄闇に鳴き声が潜んでいる
しかし
ここは海の見えない街
私は
どこに向かって行くのだろうか
耳を
そばだてる
わたしの背後から
誤解と倒錯の
足音が聞こえてくる
娘と
柴犬と
ひとけのない朝の街を歩く
  マナーを守りましょう
の立て看板
目を
見張る
わたしの前で
がっしりと強そうなカラスが
ポリ袋を破り
生ゴミに嘴をさし込む
これは
取材と編集の
電子の映像ではない
これは
今ここに
見えるもの
聞こえるもの
猫を
犬を
カラスを
待ち受け
私を
待ち受ける
今日は始まったばかりだ


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