記憶の泡つぶ

野坂政司



白鳥が目指す極北の意志を読み
野良犬が潜む路地裏の感情を暖めながら
わたしは ただ座っている

知の軽業師は
象徴の海に逆巻く大波を サーフボードでくぐり抜ける瞬間に
失語症になる
几帳面な役人は
契約の 格子を 掃除 しながら
ことばを呑み込む
雑誌編集者は
映像と 記号を 消費 するうちに
ことばを 忘れる

精神世界の 技術者は
ことばを止めて 「世界を止める」 夢を見る
身体技術の 熟練者は
ことばを止めて 世界を生きる 夢を見る

座る わたしの 気息が 静まり 
ことばが 減速 し始める

静寂の 中心から
音の 種子が こぼれ落ち
意識の 界面で
記憶の 泡つぶが 立ち騒ぐ
泡の ひとつが
静かに 破裂する

           深夜の札幌駅 
           凍りついたホームに列車が到着する
           降りるものが途切れ
           冷気に身を縮めていた乗客の列が
           暖かい列車のなかに吸い込まれていく
           満員の車内で
           四人分の座席を
           ひとり占めして
           寝ていた男が起こされる
           ぼんやりと座り直す耳に
             あんた ひとりの れっしゃじゃない と
           向かいの席からことばが刺さる
           わたしの視線に気がついて
           ことばの主の顔は
           仮面の付け替えに失敗する

走り出た感情は
忘れられた感情のように惨めなもの
惨めさは 破片となって 飛び散り
薄まることなく 周りに 感染する
時間も 苦手の ことばの 飛沫の 後始末

座る わたしの 気息を 揺らし
静寂の 周りで 立ち騒ぐ
記憶の 泡つぶに 反射した 感情の 破片

意識の 古層から
記憶の 泡つぶが よみがえる
泡の ひとつを
他の 泡が 呑み込み
そして また 静かに 破裂する
ことばは 加速と 減速を 繰り返し
座る わたしから 遠退いていく

座る わたしは 
立ち上がる わたしである

大地を踏みしめ 宙を舞う わたしは
座る わたしである

記憶の 泡つぶの 生成と 消滅を 読み
走り回る こどもたちの 叫びに 包まれて
疾走する わたしは ただ座っている

精神世界の 技術者は
ことばを止めて 「世界を止める」 
身体技術の 熟練者は
ことばを止めて 世界を生きる



詩の空間 目次のページに戻る