地軸との闘い


野坂政司


  


 『触ることから始めよう』という本の中で、彫刻家が「人間は地軸と闘いながら立ったり座ったり、歩いたりしているのだ、ということをきちんと教えなければいけない」と書いている。この言葉はある詩人の言葉を思い出させる。北海道の木古内に生まれ古平で少年期を過ごした詩人は、「地軸が傾いても真っ直ぐに立っていようとする」のが詩人というものだと書いた。

 日々の振る舞いが地軸との闘いであれば、からだの状態はその闘いの実況中継であるが、からだは色々な事件に出会うから、座ったり歩いたりする姿がすべて地軸との闘いのありさまを示しているわけではない。視線を下に向け背中を丸くして地面に引き込まれるようにゆっくりと歩く小学生は、決して地軸との闘いに苦戦しているのではない。彼の心は、もらえなかったチョコレートで真っ暗闇であったり、彼女の心には百分率の問題が突き刺さっているのかもしれない。そんな時、重力場にさらされているからだのことなど考えもしない。

 地軸との闘いに力を傾けることができないということには、どれだけの錯覚が積み重なっているか。

 詩人が「地軸が傾いても真っ直ぐに立っていようとする」のは、重力場の彼方を透視する意志の力でからだが支えられている状態の消息を伝えている。「人間が地軸と闘いながら立ったり座ったり、歩いたりしている」姿に彫刻家が目を向けさせようとするのは、生き物としての行動形態の内容がからだに表れることを触覚で見ているからである。

 前後があり、左右があり、上下がある。地軸がある。私たちは、地軸と闘いながら、感情の急流を下り、思想の山登りをし、意志を地平の果てまで放つ。その時間の流れの途中で時々地軸を忘れる。元気なときには舞い上がることによって地軸を忘れる。消耗したときには崩れ落ちながら地軸を忘れる。

 自分の立つ重力場を自分の目で外から鳥瞰できると良い。それが地軸と闘う想像力であり、真っ直ぐに立つ意志である。
 


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