手首

                              野坂政司

手首について
考えた
なぜ手の首なのだろう
  首には官能的なうなじがはりついているのに
  手首には後れ毛すらないではないか

首が
頭と胴体をつなぐくびれた部分であるように
それは
手と腕をつなぐくびれた部分である
それだけで
手首という名前を付けてよいものか

手と腕があり
足と脛がある
肘があり膝がある
各々に自分の呼び名がある
しかし
手首と足首は
命名という大舞台で
固有の名前を与えられず
首の類推で片づけられている

目立たないとはいえ
手首は
大事な役割を果している
それは誰もが認めるだろう
たとえば
 四つん這いの赤ん坊における手首の機能に関する一考察
というような論文が書かれていても良い
あるいは
 ピアニストの演奏技術の向上における手首の働きの制御について
というような論文が書かれていても不思議はない
秘密にしておきたいことであるが
拳法家は柔らかく強い手首を開発しなければならないのである
 
躰による技を身につけるには
頭を冷やさなければならない
難しそうな言い方を真似してみれば
  意識の脳への局在化を停止しなければならんのだ
それは頭で考えてもできはしない
手を開いて外に曲げてみたり
手を握りしめて内に曲げてみたり
動きの中で手首の変化を知ることに始まるのだ

手首の気持ちになる
手首から
足首へ
足首から
足の裏へ
動きの中で細部が息づいている
手首の気持ちは全身をめぐる

頭が隠していたものが次々と現れてくる
これは秘密ではない



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