マイケル・マックルーア

野坂政司(訳)


哺乳生物:ハーバート・マルクーゼを再読しながら



「過去の記憶が生じさせるかもしれない
危険な洞察を」
この専制的な 
社会的次元への洞察を。
この本当の哺乳生物は
 明晰な感覚器官と
内臓の智恵を持ち
見知らぬ祖先の
獣たちの体を通り抜けて
星々へと
時間のなかを遡って伸びる
暗黒のなかの肉を持つ
力強い否定性なのだ、
力強い否定性、

 

哺乳生物は深く輝いている 鮫の腹のように
あるいはひんやりとした雨林の
ヒマラヤ杉の幹の白い菌類のように
そして
それは

なのだ


  

そしてそれは言う

違う!
そうだ!

違う!
そうだ!

このいまいましい一つの次元にたいして! 違う!




スペインの薔薇



私たちはどこにもないところから来る そして出かけていくのは
どこにもないところだ。
出かけていくところには暗闇さえない、
銀の光も、きらめく雪もない、
スペインの薔薇の香りもない、
その町の上に夜もない、
そして私が立ち上がると、私は倒れてしまったことを知る。
私は崖の上にいる。
私に
しかめ面を
向けては
いけない。

ときどきここではそれは厳しい。
心はしわとしかめ面をつくる。
君は私の忠実で最愛の人、私はここで男になるだろう
道化者なんかではない。
ときどき私は滑って転ぶが倒れはしない。
私たちが出かけていくところには暗闇さえない、
しかし、私はここで一人の男だ、君が知っている男だ。
私たちはどこにもないところから来る そして出かけていくのは
どこにもないところだ。



マイケル・マックルーアについて

野坂政司



 今回、訳出したのは、ビート・ジェネレーションがサンフランシスコのギャラリーシックスで産声をあげたときからのビート派詩人、マイケル・マックルーアの作品である。
 彼は数多くの詩集を出版しており、八〇年代後半からは、ザ・ドアーズのキーボード奏者であったレイ・マンザレックとの共演によるポエトリー・リーディングを繰り返してきており、米国においてはよく知られた詩人の一人である。この辺の消息については、以前に「ウェスト・コースとの一挿話 ビート・ジェネレーションとジム・モリソン」(『ユリイカ』平成三年十一月号)に書いたことがある。レイ・マンザレックとのパフォーマンスは、ビデオ『ラブ・ライオン』(ミスティック・ファイアー・ビデオ、一九九一)によって、その会場の雰囲気や声の響きの魅力までが映像化されていて、活字から立ち上る言語イメージの次元とは違う、音響空間のなかの詩のことばの存在感を知ることができる。
 彼の作品は、日本では雑誌のアメリカ詩特集号などで数篇が訳されたことがある程度で、これまで残念ながらあまり紹介されてこなかった。ここでは、彼の詩集『レベル・ライオンズ(反逆のライオンたち)』(ニュー・ディレクション、一九九一)から、二篇を選んで訳出した。
 彼の詩の一般的な視覚的特徴として、詩行の左右対称性という印刷上の処理がある。訳出したものでは「スペインの薔薇」がその例であり、「哺乳生物」は基本的左右対称性の変形としての構造を持っている。また、大文字と小文字の使い分けが、独自な立場から行われている。
 しかしながら、視角詩の系譜に結びついていくようなこうした特徴は、彼の詩のより本質的な性質に比べると、小さなものであると言わなければならないだろう。では、その本質的性質とは何か。それは、詩のビジョンが彼独自の身体観に基礎づけられていることである。彼の身体観は、彼がこれまでに書いたさまざまな本に通底している基本的ビジョンであり、『レベル・ライオンズ』でも巻頭におかれた「著者の覚え書き」に窺うことができる。マックルーアはその「覚え書き」を次のように始めている。
 詩は、筋肉の原理であり、肉体から来る。それは、想像されたもの、思考されたものの活動であると同じく、感覚の活動であり、聞かれたもの、見られたもの、味わわれたもの、触れられたもの、そして臭いを嗅がれたものの活動である。それは、ページの上での、そして世界のなかでの、声の運動の活動である。詩は意識の縁(エッジ)のひとつである。そして、意識は鹿のひづめや、日向の道ばたのブラックベリーの茂みの匂いのようにリアルなものだ。(vii)
 このような彼のことばは、読者から大きな問いを次々に引きずり出すかもしれない。詩とは何か、肉体とは何か、感覚とは何か、意識とは何か、縁(エッジ)とは何か、リアリティーとは何か・・・、と。
 この詩人自身は、このような問いを発しているのではなく、これらの問いが衝突し会う時空のあちら側にひたと向けられたまなざしにとらえられる多彩な事件を記しているのである。彼の詩を受けとめることは、その存在の根源で発生する事件の現場に立ち会うことである。読者は、現場に残された痕跡を検証し、微細な断片から全体像を描こうとして、自分の肉体を、感覚を、意識を、振り返る。
詩誌『オーロラ』3号(1998年5月)より転載 


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