「漂泊者とその影--隠蔽された歴史」が
「東京湾トラッシュ・ライブ '97」展から排除された経緯について

わたくし荒井真一は「東京湾トラッシュ・ライブ '97」(10月26日から11月3日、東京・お台場)で、不可解な理由で「漂泊者とその影--隠蔽された歴史」の出品をキャンセルされましたが、ゲリラ的に都内三カ所に予定どおり設置し、そのドキュメントもほぼ満足いく形で完成しつつあります。この間の経験はいずれ、わたしなりにまとめるつもりです。
美術ジャーナリストの福住治夫(=高島平吾)さんが「あいだExtra23」*に書かれたレポートを掲載します。また同展出品者の八田淳さんが「週刊金曜日」1997.12.5日号にレポートしています。

*「あいだExtra」はニュースレター形式の月刊美術ジャーナリズムです。B5判20ページに多彩な執筆陣と福住さんによる濃い内容のレポートがぎっしり。「BT」や新聞の美術欄では決して伝えられない状況を撃ち続けています。年間購読料(送料込み!)2000円。郵便振替口座 007900-25128 電話03-3976-7203(福住)


from「あいだExtra23」高島平吾

作家が京都と展覧会をおこなう、ということ
東京湾トラッシュ・ライブ '97展をめぐって

●1

作家の荒井真一は、「東京湾トラッシュ・ライブ '97 一ゴミと美術家達」展に参加を申し込んだ。この展覧会は、10月26日から11月3日まで、臨海副都心青海K地区で開かれる。作家が中心の「ゴミ理立地から文明を考える」実行委員会が組織・運営する自主企画展である。展覧会の趣旨およびトテーマとされている「トラッシュ」、つまり「ゴミ」についてはとりあえず措く。

荒井がこの展覧会に向けて構想した作品は「漂泊者とその影」という。

そのために、まず、メイリングリストや手紙をつうじて、ひとびとに作品制作への協力を呼びかけた。すなわち、敗戦の日から今日まで、たとえば「1965年4月24日、べ平連、初デモ」とか「1984年4月8日、岡田有希子自殺」といったように、個人的なことをふくめて「あなたが後世に伝えたい出来事を教えて下さい」。その呼ぴかけによればそれらは次のように作品化される。

この作品は100個(予定)のキティちゃんもどき人形(ビニ-ル製4cm、潰草橋のおもちゃ問屋で販売されているものを使用)から成り立っています。このキティはお腹にプリントクラブで複写された現天皇ファミリー(天皇、皇太子、その弟一家勢揃い)のシールを貼られています(つけ加えると、その一家の中央には一万円札がコラージュしてあります)。そしてプリクラのシールの余白にはたとえば19650424というような数字が書き込まれています。キティは頭がもげるようになっていて、無理に頭をもぐとその中に小さい紙片が入っていて、そこに小さいさい文字で「19650424 ぺ平連、初のデモ」(ここにあなたの名前がクレジットされることはありません)と書いてあります。この作品は、会場周辺の色々なところに設置されます。

会期が終わってもそれらは回収されません。あるものは子どもに持ち去られ、あるものは泥まみれになって、朽ちないビニ-ルとしてお台場の土として堆積していくでしょう。

さらに、『作品の簡単な説明」として、こうある。

誰にとっても反対することのむずかしいソフトな権力としての「金、かわいいもの、象徴天皇制的模範家族」の遍在(あるいは監視)と、そのことによって隠蔽されてしまった血の流れるあたたかい記憶、歴史がテーマです。

荒井は創作の準備をすすめた。その間、この展覧会のPR用のホームページ開設を協賛関係者にサジュストされた実行委員会はすでに自分のホームページをもっている荒井にそれを依頼、荒井はそれを承諾した。

後述するが、この展覧会の開催に理解と協力を示してきた東京都清掃局と、展覧会用地を管理する港湾局の同展への関わり方最後まではっきりしなかった一一最終的に港湾局が「共催」として実行委員会と名を連ねる一一こともあって、実行委員会制作のポスターとチラシができあがったのは10月17日だった。

同一デザインのそれらには最下欄に小さく、連絡先(事務局)とともにE-mailアドレスとホームヘージのアドレスが記載されていた。前者のアドレスは荒井の個人的なものであり、後者は荒井が同展用ホームページに割り当てたものだった。つまり荒井は作品制作に忙しく、この段階でまだ正式なホームページをたちあげられないでいた。

10月24日(金)午前、実行委員会事務局長をつとめる作家の竹内博に港湾局から電話がはいり、次の点が実行委員会の管理上の問題として指摘され即日善処を求められた。
(1)公共的なホームページに荒井の個人情報が流されていること。
(2)その個人情報によると、荒井の作品は会期後も会場に放置される構想(「回収」されない)とされている(したがって「念書」[後述]に違反する)こと。

じつは実行委員会側はこの段階まで、ホームページの内容を確認していなかった。荒井は10月20日、そのアドレスに、「トラッシュ・ライブ '97展」関係の情報掲示が遅れていることにたいするお詫びと、前に引用した自分の作品制作への協力要請とを載せていたのである。翌25日は土曜で港湾局は休日だった。しかも、24日、25日は作品搬入日となっていた。事務局長・竹内と、実行委員長で作家の合津真治は、ただちに対応を迫られた。港湾局担当者は終業後も待機していた。仕事に出ていた荒井が合津からの電話で事態を知ったのは同日の夜8時半頃夕方だった。

荒井はこの事態を、港湾局が実行委員会にたいし、ホームページの「内容の削除と荒井真一の展覧会からの排除か、もしくは展覧会を中止するかを本日中に返答するよう」求めた、とうけとった(荒井の10月25日付個人的メッセージ)。両者の話し合いの結果、荒井は実行委員会にたいし、
(1)については、ホームページにたいする認識の違いがあるものの、非を認めて謝罪する、
(2)については出品を見合わせる、
との回答をあたえた。10月25日付けの荒井の個人的メッセージによると、「すでに彼ら[編集部注。実行委員会]が荒井排除の方針をたてており、わたしの方でも展覧会のホームページに自分の作品にかんする情報しか載せなかった事で、実行委員会の信頼を裏切ったことは認めたので、実行委員会の方針を受け入れることにし」たのである。合津と竹内はこれにふれて、のちに筆者に、(1〕については都にたいして弁明の余地はない、(2)については、出品にあたっての条件づけ、すなわち「作家出品要領」は9月段階で参加作家に渡されており、当然、荒井も承知のはずだった、とする。

なお、結果的にこの事態を知るひとびとのあいだに、都側が真に憂慮したのは天皇一家の図像が荒井作品の構成要素のひとつになっていることだったのではないか、との憶測がある。これについて竹内は、24日の数度の電話によるやりとりのなかで、都側から一度、それについての疑義一「政治的・宗教的表現」にあたる[後述]一が表明されたのは事実だが、それ以上言及されることはなかった、という。竹内はさらに、(1)かりに荒井作品がそういう問題を派生させるかもしれないにしても、芸術を予断によって排除することはできない、(2)ホームベージから知られる荒井の作品構想の文言からは、そのような明瞭な意図を読みとることは不可能(逆にいえばその点をもって都側に反駁するのも困難)とする。なお、竹内は筆者に、荒井が出品した場合、展覧会は中止する云々の、港湾局側からのいわば「脅し」的言辞については、
(1)明確なかたちではその事実はない、
(2)現実には他機関などとの関係から、この段階で展覧会の中止は不可能だったにちがいない、
との見解をつけ加えた。

10月26日、展覧会は予定どおりオープンした。

合津と竹内は、出品者および観客にたいして、荒井の出品停止に至った経緯を記して会場の実行委員会本部に掲出した。荒井はこの日、この展覧会のために予定していた作品「漂泊者とその影一一隠蔽された歴史」を、銀座・博品館周辺や靖国神社など、都心部数カ所に場所を変えて「展示」、併せてその現場を写真に収録した。

荒井は10月30日付けで、出品者のうち自分が住所を把握している者にたいしてメッセージを送った。そこで彼は、ホームページにおける「公私混同」の非を認めたうえ、次のように問いかけている。

今回の問題では、わたしの件で実行委員会は都港湾局に管理の不備(とくにホームページの管理)を責められ、そういう管理ができない実行委員会には協力できないという事が一番問題にされたとも聞いていますが、そういうパートナー(芸術や表現よりも、つつがなく官僚的)にイベントが執り行われることだけを念頭に置いている人々)と今後も仕事を行っていく事にどんな未来があるのかと思います。また一方でわたしたちは都民として税金も払っているわけですから、都(たとえ港湾局であっても)の文化事業への対応がこの程度のものであることに対して、実行委員会がまるで小学生が担任の先生に何も言えないように言いなりになっていたりすることは、まずいのではないかと思います。

11月3日、展覧会は終了。実行委員長・合津真治は10月28日、今回の件で「作家責任」をとるとして辞任した。「荒井の件ではじゅうぷんな対応をするには時間がなさすぎた。しかし、管理者との最低限の約束を守らないと展覧会は社会的に成立しえない。それ以前に、『作家出品要項』が各作家の参加意志表明の前提にあり、その条件が合わないと判断した作家は当然、参加しないはずだ」と語る。

●2

この展覧会を企画したのは、竹内博だった。その発想は6年前にさかのぼる。竹内はゴミそのものを素材ないしはモチーフとして、そこからゴミを考える展覧会を、まさに現住進行形でゴミが堆積されている中央防波堤でおこなおうとして、都の清掃局にかけあった。彼の構想のなかには、清掃局の職員にも参加を求めるような斬新な試みもふくまれていた。もとよりそこには、一般の観客のアクセスをはじめ、都民の「ゴミ捨て場」で展覧会をやるには、安全面などで種々のハードルが待ちかまえており、けっきょくこの案は実現にはいたらなかった。だが、清掃局の担当者は、じゅうぷんに聞く耳をもってくれていた。以来、埋立地に場を求めて何度か足を運び、ようやく昨年夏、その第一歩にこぎつけた。わずか2日間だったが、やはり都の主催するお台場の浜辺にある潮風公園での「潮風祭り」に加わったのである。「トラッシュ・ライブ '96」と銘打ったこの展覧会には、27名の作家が出品した。

今回の展覧会はそれをひきつぎ、やはり清掃局を窓口として何度か交渉を重ねて実現にいたったものだった。「潮風祭り」のころから、すでに実行委員会(10名)の態勢をととのえていた。委員長は野外展組織の経験が豊富な合津がひきうけた。4回にわたって練りなおしたその起案書(この企画に終始協力してきた画廊主・山岸信郎による)では「不要なもの、無価値なもの」とされる廃棄物を、アートの側から見直しをはかることがうたわれている。竹内は、清掃局の賛同と協力が比較的容易に得られたことを、都民の廃棄物へ認識とイメージの向上を志向していた清掃局の方針が、自分たちの提案に合致点を見いだしたものと見ている。こうして、展覧会の趣旨において清掃局の「お墨付き」が得られたのだが、会場に想定している末開発地の「地主」は、港湾局である。同局の許可を得なければ、しかも無料で用地を利用させてもらえなければ展覧会はできない。清掃局の後押しをもって臨んだ港湾局との交渉のなかでも、ある都議の口添えを借りなければならなかった。たしかにそれも有効にはたらいたはずだ、と竹内はいう。竹内らの趣旨を了解してOKを出した港湾局はしかし、「政治的・宗教的な」色彩が強い作品は困る、とのクギをさし、さらに次のような「念書」の提出を求めた。文中の「甲」とは、もちろん東京都である。

念書

1.本行事の主催者として、本行事に伴う一切の法的、経済的負担・責任は、「ゴミ埋立地から文明を考える」実行委員会(連絡先 事務局竹内博)が全て責任を負うものといたします。
2.本行事の会場用地として、東京都から提供される青海地区L・M街区については、本行事終了後平成9年11月4日までに、本行事を行う前の状態に原状復旧し、東京都の担当者による確認を受けることとします。
3.本行事終了後、本行事の開催結果、記録写真、報道記録及びその他本行事に関する印刷物等の甲が必要とする資料を添付した開催報告書並びに収支報告書を4部提出します。

平成9年9月24日

竹内は清掃局と港湾局との両方に「後援」依頼を求めた。だが、通常、都有地の一時利用は有料とされているため、今回のように無料で貸すぱあいには「共催」という形式をとらなければ成立しないことを知った。もっとも、「共催」にしろ「後援」にしろ、それによって資金が援助されたり、経費の一部が分担されたりするわけではない。
都との交渉のメドが立った段階で、作家への出品参加の呼びかけがなされた。それとともに、「作家出品要項」がつくられた。以下は合津が樋草したその全文である。

作家出品宴領

会場
所在地:東京都江東区青海、都有地ML地区(地図参照)
作品設置可能区域:上記地区内の中で搬入スロープ及び観客入口並びに事務局テント設置区域を除いた場所
但し、会場を囲む鉄線柵及びびフェンスはこの区域外とします。作品設置に関して観客安全性の確保の為にこれを必要とする場合は事務局に相談してください。作品搬入及ぴ設置
日時:1997・10・25全日sat.及び10・26sun.午前中
但し、セッティング作業を含めて観客に展示する場合は、10・26正午以降も作業を続けることができるが、事務局の了承を得てからにしてください。
搬入路:会場南西角(地図のM7)の車両用スロープより搬入して下さい。
安全確保:安全確保を最優先して下さい。
lO・26は会期初日でもあり人出も予想されます。この日の搬入は、各自作業する区画を安全ロープで仕切ってからにして下さい。作品が強い海風にも耐えうるように地面に設置して下さい、観客の安全を確保することに充分な配慮願います。また風で飛ばされて周囲の交通路、建造物等の迷惑とならないように杭で固定する等の方法を考えて下さい。
会場案内及ぴ管理の為のテントを設置します。会場当番は、観客と作品との関わり方を観察し、観客に危険が生じる恐れのあるものについては、注意書の看板を設置し、侵入禁止ロープを張るなどの処置をします。
作品設置の条件:表現方法は各作家の表現の範疇に属することですので、一切の条件はつけません。内容に関しては展覧会趣旨を踏まえることが大前提です。地面を掘ることについての許可条件は、機械を使わない手掘り程度となっています。会場は土の飛散を防ぐ為に草の種を蒔いて管理をしています。地面を掘る際にはその場所の草の根は保存し、搬出時に埋め戻して下さい(現状復帰が難しい場合は1平方メートル当り400円で業者に頼みますのでご相談下さい。)道路区分との境界杭は標識ですので使用できません。倒れたり飛んだりしない様にするために棒杭等を地面に打つことは出来ます。火は使用できません。
作品の搬出
日時:1997年11月3日pm6:00より11月4目pm8:00
注意:作品撤去は、会場に持ちこんだものはすぺて持ち罵り、会場を現状復帰し東京都に返却します。尚、観客の践したゴミは搬出時に手分けして持ち帰って下さい。
会場運営
竹内事務局長を中心とした事務局が運営の中心となります。会場整理の人員が必要です。出品作家が手分けしてこれにあたります。
会場事務所:テントを張り展覧会現地事務所及ぴ案内所とします。交通アクセスは印刷物の配布時にお知らせします。搬入出時以外、会場に車は入れません。夜間は、管理上の理由で入口を閉める予定でいます。

展覧会には外国人作家をふくめ、54名が出品。現場ではたらく清掃局の職員も2名が参加した。ひとりはもともとアートに関心をいだいていたひとで、もうひとりは写真家だった。警察の要請もあり、会期中は実行委員会が手分けして、夜間をふくめ終日常駐態勢をとった。竹内は、来年もこの展覧会をつづけたいとしている。だが、それが可能かどうか、いまの段階ではわからない、という。運営面での再検討の必要があるだけではない。いわゆる「ゴミ」という概念やそれにたいする一般的イメージがある意味で固定化されすぎてしまっているため、それが作家にいわぱ重圧としてはたらきらきがちなので、そのあたりをもう一度考えてみなければならないからだ、と彼はいった。

以上、文中敬称略。いうまでもなく、本稿は論評を目的としていない。行政とともに、あるいは行政との関わりのなかでアートの活動をおこなうばあいの、ふじゅうぶんながら、ひとつのケース・スタディとしてうけとっていただければ幸いである(その意味では、昨年の同じく臨海副都心・ビングサイトにおける「ギャラリー」展との類似点が多く見出せるように思われる)。「美術のサヴァイヴァルのために情報の公開と蓄積を」という当方の意図を寛大に理解し、快く取材や資料提供に」応じていただいた荒井真一、合津真治、竹内博各氏に感謝申し上げる。

高島平吾


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