梅の花がほころび始めていて、なかなか風情のある神社でした。
ここの狛犬は明治25年の建立で、かなりの大作です。
台座には誇らしげに「浅川町福貴作」(阿像)「石工小松布孝作之」(吽像)と、寅吉の名前が刻まれています。
ご覧の通りの絶品。明治25(1892)年といえば、寅吉は50歳前後で心身共に充実していたであろう年代。弟子の和平は21歳くらい。弟子入りして8年くらい経過していますから、粗彫りくらいはやらせてもらっていたかもしれません。
いずれにせよ、和平は師匠のこの作品を手伝っているはずで、これが後の石都都古別神社の狛犬などに大きな影響を与えたことは間違いありません。
明治期に、すでにこうした思いきったデザインの狛犬を彫っていたということは、小松寅吉という石工の非凡さを物語っていますね。寅吉という優れた師匠に出逢わなければ、和平の才能もあそこまで開化したかどうか。
晩年、和平は弟子となった孫たちに「他人(ひと)の飯を食わねば分からない」(他人のもとで修行を積んでこそ一人前になれる)と語っていたそうで、修業時代が苦しかったことを思わせます。しかし、一方では「親方(寅吉)は奥州一の彫刻師だ。俺はその一番弟子だ」と、親方を誇りにしていたそうです。
奇跡のような、すばらしい師弟ですね。