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横笛の歴史を尋ねる

およそ何千年前から、あるいは世界の何処で人々は横笛を吹きはじめたのでしょう。そして、いつ頃日本人がそれらの文化を取り入れ、または独自に作り出して来たのでしょうか。

横笛の成り立ち



正倉院の笛


正倉院には4本の横笛と8本の尺八が保存されています。
このうち横笛は、竹製2本、彫石製1本、牙製1本であり、それぞれ少しづつ寸法がことなっています。
横笛研究会では、各々がこれらの寸法図を基に復元品を作り吹いてみる試みも行っています。写真は牙製(下)と白竹製(上)の横笛の復元品です。
これらの笛は、すべてが端正で気品に満ちていますが、実際に吹いてみると音程が出し辛く、その後のいずれかの日本の横笛に繋がっているかどうかは不明です。



清水の笛


東北新幹線の工事に伴い発掘された名取市の「清水遺跡」から九世紀初頭から中ごろのものとみられる竹製横笛が発見されました。(東北歴史資料館)
この笛は、笛の歴史を調べておられる美濃晋平さんと笛師の田中敏長さんによって、その歴史的な重要性が再認識されました。
笛の材料となる竹は水によってすぐに腐ってしまう脆いものです。日本国内で作られ、演奏されていたと思われる笛は、おそらくこの清水の笛が最古の出土品だとおもわれます。



笛類の比較


清水の笛は六孔の指孔を持っていますが、指孔の間隔と音律は、現在の龍笛と高麗笛の中間に位置すると考えることもできます。
このことが何を意味しているかを現在は断定できませんが、近い将来、龍笛あるいは他の日本の笛の成り立ちを示してくれるかもしれません。
ドイツの演奏家天田透(てんだとおる)さんは、この復元笛を使った新たな演奏活動を試みられています。




青葉の笛


青葉の笛
笛師 田中敏長氏によって復元された源義平ゆかりの笛

福井県和泉村の朝日の地に約800年前、平治の乱に敗れて落ち延びた悪源太こと源義平が残したとされる横笛が保存されています。義平の物語(中山さんのページ)参照ください。

写真の笛は、田中敏長氏によって忠実に復元されたものです。現在の龍笛もほとんど同じ寸法で造られていますが、外観(姿)に往時の雰囲気が感じられます。


日本各地に「青葉の笛」伝承が複数存在しています。有名な敦盛の笛や上記の義平の笛などがそれです。
数年前、横笛研究家の美濃晋平さんの呼びかけにより福井県で「青葉の笛フォーラム」が開催されました。
それによると、《「青葉の笛」という名称で呼ばれている複数の笛が各地に残されており、その由来は天智天皇のころまでさかのぼることができる。
また「青葉の笛」の材料にされた、鹿児島県台明寺(現在の日枝神社)の「青葉の笛竹」(写真)が、当時宮廷に献上されていた。》
というような、ロマンに満ちた報告がなされました。



各地の古い笛


各地に残された古い笛を少しづつ紹介します。面白い笛がありましたらぜひお知らせください。
右の写真は、静岡市吐月峰柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)に保管されている、今川義元が寄贈したといわれる古い能管です。内部の塗装が剥がれたり巻きが解けて吹奏は難しいと思われますが、気品のある一管です。このほかにも当寺には一節切笛と呼ばれる珍しい古い尺八が展示されています。展示品は全てガラス越しですが、親切なガイドをしていただけます。




同じく静岡県の清水市には、鉄舟寺という古寺があり義経が京都五条で吹いたと言われる「薄墨」銘の古い龍笛とその添状の写真があります。
96年10月11、12日に1400年祭りとして笛や宝物類の展覧がありましたので写真を撮ってきました。重みのあるしっかりとした作りの笛であると感じました。添状によると文禄4年(1595年)、中村一氏式部少輔によって修理が行われているようです。
「薄墨の笛」については能楽森田流の故森田光春師著の「能楽覚え書帖」(能楽書林刊)という本にも結構詳しく挙げられているそうです。昭和41年に寺宝の調査が行われ、笛の供養会を行ってその笛を世に出そうということになり、森田光春師が頼まれてその供養会で「薄墨の笛」を吹かれたそうです。また、この笛は96年9月にテレビに登場し、笛奏者の赤尾三千子さんが吹かれたのをご覧になった方も多いかと思います。



愛知県の岡崎市の矢作の誓願寺には、同じく「薄墨」銘の古い龍笛(?)を住職さんが保管されてます。見せていただきましたが、墨が笛全体に懸かっていて黒というよりは白銀色に鈍く光沢をだしていて、古さを感じさせました。形は小柄でグラマーと言えばぴったりするかもしれません。
伝説によると熱田神宮で元服を終えたばかりの義経が、奥州の藤原秀衡をたよって旅の途中、矢作(矢矧)の宿の浄瑠璃姫と一夜を契り、形見に残した笛だということです。浄瑠璃姫のこの物語は後の浄瑠璃(文楽)の語源となったほどの悲恋のヒット作だったようです。
龍笛に(?)が付いたのは、寸法を測らせていただいた笛が現在の龍笛と若干長さや孔の位置にずれがあるためです。研究会のよい研究材料になります。




96年9月1日まで開催された日本の伝統芸能展には、二管の龍笛と、一管の能間が展示されました。龍笛は国立劇場の所蔵品で、いずれも紀州藩に伝えられた、平安後期のものと伝承のある名管です。「青龍」銘の一管は義経が奉納したと言われていて、歌口や指孔に使い込まれた跡がはっきりわかります。「寛治丸」銘の一管は白河法皇が用いたという伝承があり、姿は古い時代の名残を感じます。思わず見惚れてしまいました。
能管は江戸時代のもので、非常に図太く力強さを感じます。製法は「八割り返し竹」がはっきりわかるように継ぎ目に沈金(金継ぎ?)の細工をしてあり見事です。

須須神社「蝉折れ」の笛


能登半島の最北端、珠洲市に創建二千年という歴史のある須須神社があります。境内には幹の廻りが2mを超えるかと思われる数十本のケヤキの大木と太古の姿をそのまま残した広葉樹の森に囲まれています。その境内の一角に宝物殿があり、義経が北国落ちのおり奉納したという謂われのある「蝉折れの笛」が展示されています。(宝物殿拝観は予約が必要)。その横には、謂われは判らないがこれもまた見事な高麗笛一管と弁慶が寄進したという「左」という銘入りの守刀が添えられています。「蝉折れの笛」に関しては、前田利家公が笛を見、その謂われを聞いて感嘆して詠んだという歌が残っており、真偽はともかく義経の笛であってほしいと思います。
実際にその姿をこの目で見ることができ、須須神社の「蝉折れの笛」は平安後期まで逆上るほど古い名管であると実感しました。
第一に管径のプロポーションが素直で釣り合いがとれていること。
つまり、蝉のある部分の管径が一番太く、巻きの部分が不要な出っ張りをなくしたストレートの円錐形で竹の姿が損なわれていないこと。
第二に竹の質と色が繊維の艶を残したまま古代色に枯れており年月が感じられること。
第三に桜の巻きに当たる部分が、現代のように細い紐状に加工されず、1cm以上の広い皮をそのまま用いているように見え(桜を巻く前に下巻きした和紙がそう見えるのかも分かりませんし、桜樺ではなく絹を巻いてある可能性もあります。:絹巻きについては神奈川大学の長谷川学先生の示唆により)、古代の製法を暗示していると思えることなどがその理由です。
特に第一の理由は、義平の「小枝の笛」(青葉の笛)、紀州藩の「寛治丸」など古い幾つかの名管に共通して見られるはっきりわかる特徴でもあります。
同一の物かどうかはわかりませんが、「蝉折れ」と名の付く古管には以下のような伝承もあります。
鳥羽院の時代に宋から金千両を送った返礼に、蝉のような節の付いた漢竹を一本贈られた。これを三井寺の覚宗僧正に命じて壇上で7日間加持祈祷した後、笛に作らせた。ある時、高松中納言実平卿という笛の名手が吹いていて、膝の下に置いた弾みで蝉が折れてしまったので「蝉折れ」ということになった。



96年10月から11月にかけて開催された彦根城博物館の「日本の楽器」展には、数多くの銘のある古い龍笛と高麗笛、神楽笛が展示されました。花鳥丸、讃竹丸、福原(彦根城博物館蔵)、はまつと(東京国立博物館蔵)、青柳(国立歴史民族博物館蔵)などのほかにも数々の名器の展示がありました。(私は見逃しましたが展示品のカタログを手に入れました。)珍しい笛として中には、鋳鉄製のもの、象牙で出来たもの、蝉の部分の枝を長く残したものや、4っつの部分に分解できるように継管になっているものなどがあります。全て端正な作りが良くわかる美しい笛ですが、全体の印象としての姿は、上記の古管と同じように素直で釣り合いのとれたシンプルなものでした。

雅楽の楽器の詳細について記録された江戸時代初期の「楽家録」には、63管にも及ぶ古来の笛の名器の由来が説明されています。それによると、天下一の名器は「葉二」、次が「青竹」、続いて「柯亭」、「大水龍」、「小水龍」、「紅葉」、「蛇逃」などなど。これらの多くが焼失したり、行方不明になっているそうですが、中には上にあげた「蝉折」や「薄墨」などの名前もありました。銘のある笛には大抵エピソードが付いていて、その物語と一緒に一人歩きすることもあり、真偽を見分けるのが不可能になっている場合も多いようです。しかし、もしかしたらまだ誰も知らないところに、名器の幾本かが眠っているかもしれないと想像すると楽しいですね。

須磨寺の「青葉の笛」(小枝):敦盛の笛として伝えられている笛(公開)
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昔の小学校唱歌で「一ノ谷のいくさやぶれ、打たれし平家の公達あわれ。暁寒き須磨の嵐に聞こえしはこれか青葉の笛」
と愛唱された笛。神戸市の須磨寺には現在も「青葉の笛」(龍笛)と並べて、同じく敦盛が所持したという高麗笛が一緒の厨子に収められて宝物館で公開されています。


遠州森町舞楽の里


7月中頃、森の石松で知られた静岡県森町を訪れました。
地元飯田の山名神社で天王祭舞楽というものを見ることが出来ました。八初児舞、神子舞、鶴の舞、獅子舞、迦陵頻、龍の舞、蟷螂の舞、優填獅子の8段の舞いです。
夕方から始まって夜9時ころまで行われます。途中までしか見ることができませんでしたが、後半には御所車型の屋台が舞い屋の周りを練って大変にぎやかになるとのことでした。この舞いは、最後の舞い以外は稚児(男子)によって舞われ、すべて顔を隠しています。鶴やカマキリなどの作り物をつけての舞はみものです。


囃子に使われる笛は、雄竹で作られており非常にめずらしいものです。太くて豊かな音を出していました。舞いの合間の時間に演奏されている笛を写真に撮らせていただきましたが、古い昔からずっとこの祭りで使っているとのことでした。笛のルーツや近隣の舞楽や祭りの笛との関係は不明です。これから横笛研究会のよいテーマになるでしょう。
森町では山名神社以外にも、天宮神社、小国神社でも独自の舞楽が奉奏されています。


笛に関する面白い伝承などありましたらお寄せください。

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