
SENNA-IZM
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- 神がなにかしようと考えた時には、マシンの優劣なんてまったく関係がないということだ
- ホンダと僕の関係は、袖の下などとはまったく無縁で、信じられないほどにパーフェクトな人間的な信頼の上に築かれたものだっった。ホンダの人たちと初めてあったのは1986年だった。僕は26歳でまだ若かったし、F1で既に実績があったわけではなかった。だが、モナコのホテルでミーティングをした時、ホンダの人たちはすごく丁寧に僕の言うことを聞いてくれたんだ。あの時、僕は感激してホンダとパートナーを組みたい、と心底思った。
- 報道陣の前で信仰のことについて話したら、彼等は単純に僕が神を見たとか、口にするようになった。あれは僕のミスだった。何も彼等に自分のプライベートな生活を明らかにするようなことはなかった。僕はただ自分が信じている信仰について話しただけで、神に守られているから自分は死なない、など言った覚えはない。僕は確かに信心深い。だが、信心深いから不幸がおこらないのではない。僕だって事故で怪我でもすれば死ぬことだってあるかもしれない。僕は信心深いからレースに勝ち、チャンピオンになれるわけでもない。
- プレッシャーはいつもある。それを払い除けたいとあがくが、結局は、いつも自分にのしかかってきてしまうものなのだ。それならそのプレッシャーの中にドップリつかってしまうのもいい。その中で本当の自分の強さが確認できる。プレッシャーはいつも新しい形で僕を襲い、僕は解放されることがない。プレッシャーは僕の友達なんだ。だけどそれでもプレッシャーに負けてしまうこともある。大丈夫。それでいい。次に勝てばいいのさ。
- 僕のことを暗い性格とか気難しいとかいう人がいるけど、僕が人と喋らなったり内面に沈むことがあったりするのは、自分の内側から湧き出てくる力を必要としているからだ。じっと自分の中に沈む。そうするとある問いかけが聞こえてくる。僕はその声を聞く。それが僕にとってもっとも正しい道を教えてくれるんだ。
以下随時追加予定

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