THE HISTORY OF THE CLASH

THE CLASH

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「昔から、べ−シストじやなくて、ギタリストになりたかったんだ。でも全然弾けなかったから、ギター抱えて跳ねまわりながらめちやくちや弾いてただけだった。結局ベースをやることにしたんだけど、どうせなら最高のべ−シストになってやろうと思ったんだ」

ポール・シムノン

「パー二−が来る前には、いつもどこかのエージェントの馬鹿が、誰かを辞めさせろといってきたよ。おれがクビにさせられそうになったこともあった。辞めろつていわれりゃ辞めるしかない。気がつくと、自分はもうグループにはいないんだ。それまで親友だと思ってたやつに追い出されてるのさ。」

「楽器も弾けないのにルックスで選ばれたやつもいたよ・・コードがわかるのはおれたち二人だけだったこともある。残りの連中は、ただのよっぱらい。ドラム・セットをひっくり返に来ただけだった」

ミック・ジョーンズ

「ボールは入ったときには、まるで弾けなかった。おれはもともと、楽器を弾けないやつがグループにいるなんてことは問題外だと思ってたんだ。でも、そのグループにぴったりの人間を選んでで、仕込んでいくっていうのも悪くない」

バー二ー・ローズ

ジョーはウェールズでの活動の後、ロンドンで1974年の5月、ワン・オー・ワンナーズで演奏しはじめた。このバンドはチズィック・レーベルから、<Keys to Your Hearts>のシングルを出すまでになった。パフ、クラブで一部の熱狂的なファンの支持も、ジョーはそれだけでは満足できなかった。

ミックとポールが初めてワン・オー・ワンナーズを見たのは、ウィンザー・キャッスルというパブだった。そして数日後、二人はジョーと通りで出会うことになる。失業手当を受け取った二人が社会保障事務所を出たところヘ、自転車でやって来たのがジョーだった。ミックとボール、そして二人といっしよだったセックス。ビストルズのグレン・マトロックの三人は、ジョーがパンドの顔として「うってつけ」のルックスをもっていることを見抜いていた。

「連中を見たとたん、これこそおれが考えていたイメージどおりのバンドだって直感したんだ」とジョーはいう。この直後、セックス・ピストルズが、あるギグでワン・オー・ワンナーズのライヴをサポート、これをきっかけに、ジョーは自分のグループを解散することになった。

1976年4月1日のことだった。このころまでにはクラッシュは、カムデン・タウンの英国鉄道の操車場のなかに、大きな、じめじめした、広い練習スタジオをもっていた。そして、ここがパンク,ロック・シーンの震源地の一つになっていた。ロンドン・SSと並ぷロンドンの伝説的なパンドの一つ、ザ・フラワーズ・オブ・ロマンスもここでリハーサルをしていたパンドの一つだった。フラワーズのメンバーは、(のちにセックス・ビストルズに加入した)ヴォーカルのシト・ヴィシャス、(初期のクラッシュのメンバーだった)キース。レヴィン、(のちにザ・スリッツに加入した)パーム・オリーブとヴィヴ・アアルバータインの四人だった。パンク・パンドを雇うパブもクラフもなく、彼らはエネルギーだけはあり余っていたが、いつも文なしだった。ピストルズとクラッシュのライヴの場所に頭を悩ませていたマクラーレンとローズは、結局、彼らを露出するために、映画館を含む、いっぷう変わった場所をみずから確保しなければならなかった。ジョーは最初の正式なリハーサルに合わせてクラッシュに加入、l976年6月、シェフィールドでのライブでデビューすることになった。

クラッシュは、10万ポンドの契約金でCBSと契約を交わすことになった。音楽評論家、フアンは、彼らが身売りしたことを嘆き、マーク・Pは、「スニッフイン・グルー」に、「クラッシュがCBSと契約したときにバンクは死んだ」と書いた。しかし、10万ドルという金はたいした額ではなかった。というのは、レコード会社は、プロモーション・ツアーに金銭的な援助を一切しなかったからだ。新人パンドが、イギリス・ツアーをすれば、6、7万ドルの金はあっというまに消えてしまう。クラッシュの場合も同じだった。新しい機材を買い込んだあと、彼らには、週給25ポンドだった契約前の給料を上げる余裕すらなくなっていた。l976年の終わりに、クラッシュは、セックスス・ピストルズのアナキー・ツアーに動向した。しかし、当時ビストルズは、あまりにも過激すざた。

「ピストルズとのツアーは踏んだり蹴ったりさ!とにかく最悪だったね。ビストルズが話題の中心だった時期だから、おれたちは添えものさ。最初の2、3日はとくにひどかった。ピストルズはステージにも立てず、おれたちはホテルの部屋に閉じ込もりきりだった。「そそれでもおれは楽しんでたよ。専用バスに乗って、ホテル住まいだったからね。ステージにも立った。といっても全部で8回くらいしかやらせてもらえなかったけど、それなりに楽しかった。でもさ、クリスマス・イヴにロンドンにもどってからすっかり落ち込んじゃってね。ツアーが始まって2、3日して、食事することになれちゃってきただろ。ホリデイ・インのゴミみたいな食い物を食ってたんだけど、それでも1日2回は食事にありついてた。だから無一文でパスから降りたときはみしめな気持ちだった。住む場所もなかったし、それまでの倍くらい腰が減ってきたよ。」

ジョー・ストラマー

「ツアーにロマンスを求めるのは無理だってことを思い知ったよ」

ミック・ジョーンズ

「おれはロマンスがいくらでもあることがわかったね」


ジョー・ストラマー

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