ハワイ先住民の伝統的生活空間(アフプアア)の再現

−コンピュータ3次元グラフィックスによる仮想空間の構築−

『コミュニケーション科学』1999.3


A アフプアアとは何か−空間の政治的意味

 アフプアア(ahupua'a)とは、キャプテン・クックのハワイ来訪以前にポリネシア系ハワイ先住民族の伝統的共同体が成立していた地理的空間を意味する。ハワイ語におけるアフプアアの語は、ahu(頭)とpua'a(ブタ)が結合したものであり、かつて地域境界をブタの頭の形をした石を置いて表示していたことによるものである。(1)

 海底から噴出されるマグマによって連鎖状に形成されたハワイ諸島を居住空間として生活するポリネシア系ハワイ先住民は、その生活共同体を成立させるにあたって火山の頂より海岸までに広がる渓谷をその場として選択してきた。ハワイ諸島の火山原においては、渓谷の発達が顕著にみられる。海を渡ってくる大量の水蒸気を含んだ貿易風が火山の斜面にぶつかりこの水蒸気を雨に変える。その雨が火山原の土壌の上を流れ、浸食することによって渓谷が形成される。これら渓谷がハワイ人たちの生活の場となった。

 この渓谷は、概念的には、ちょうど火山の頂上から放射状に広がった、いくつもの切れ込んだ細い扇形を示し、海岸部からみれば、ちょうど二つの切り立った稜線に挟まれた細長い土地とその中央に流れる川によって特徴づけられている。(2)

 この渓谷の地形は、つぎの点でハワイ先住民にとって、共同体を形成する上で恰好の条件をもっていた。

 まず、渓谷の中央を流れる河川(kahawai)は、タロイモなどを栽培するハワイ人にとって必要不可欠の水(wai)を潤沢に供給してくれた。とくに、ハワイ先住民が好んで栽培したタロイモは、田地を使用する水耕栽培であるため、水源の確保と管理は重要な問題であったが、渓谷に流れる水流を利用することは、この点で好都合であった。

 つぎに、渓谷を左右から挟み込む二つの稜線(mauka)は、他の渓谷との物理的な境界であり、それらに挟まれた渓谷は部外者の侵入を防ぐ自然の要害の地となった。さらに、それぞれの渓谷は海岸(kai)に面しており、そこから船をつかって他のアフプアアとの交通が頻繁に行われた。

 キャプテン・クックがハワイに来島した際、ハワイ諸島の大小のアフプアアのいたるところに、その規模に応じたハワイ人の集落の形成が観察されており、クックらはそこに生活する人々の総数を約30万人と推定した。(3)アフプアアはハワイ先住民にとって、生活の場であるだけでなく、政治的な統合体が成立する条件を満たす地域的単位でもあり、そこには伝統的な共同体が営まれると同時に、古代的な王権の形成も認められた。

 古代ハワイ社会における政治的な地域区分の単位は、つぎのようになっている。

 まず、人間の居住する島のうち、カウアイ島、オアフ島、マウイ島、ハワイ島の4つの大きな島はモクプニ(mokupuni)と呼ばれ、これらのモクプニは、さらにモクと呼ばれるいくつかの地域単位に分割された。人間の住む島のうち、比較的小さなニイハウ島はカウアイのモクプニに属するモクとして、また、ラナイ島、カホオラヴェ島、モロカイ島は、マウイのモクプニに属するモクとして位置づけられた。

 このモクは、人々の生活が広がる空間のまとまりに応じて、さらに小さな地域単位としてのアフプアアに分割された。したがって、アフプアアは、ひとつの渓谷全体に相当している場合が多い。その大きさは、島ごとに異なっており、小さなものでは約0.4Iから大きなものでは400Iを超えるものまで地域差が認められていた。

 このアフプアアを統治する首長であるアリイ・アイ・アフプアア(ali'i ai ahupua'a)は、モクを統治するアリイ・アイ・モク(ali'i ai moku)から任命され、さらに、このアリイ・アイ・モクは、より上位でモクプニ全体を統治するアリイ・ヌイ(ali'i nui)によって任命された。しかし、アフプアアを統治するアリイ・アイ・アフプアアは、多くの場合、世襲ではなくその土地経営能力にもとづいて任命され、コノヒキ(指導者)として土地の経営に当たった。(4)

 その意味で、ハワイ先住民にとって、このアフプアアは、今日でも、伝統的共同体に由来するハワイ人の政治的な統合性と民族文化を育む揺籃であり、民族的なアイデンティティの象徴として重要な位置づけを持たされているのである。アフプアアは、したがって渓谷の土地を指すと同時に、そこに形成された伝統的共同体とその人々の全体を指す意味する言葉となっている。

 

B アフプアアの崩壊と再建

  アフプアアはハワイ人にとってのいわば原風景である。しかし、このアフプアアは、キャプテン・クックとの遭遇に始まる近代の歴史的過程の中で、その多くは失われることになった。

 まず、ハワイ王朝の成立によって、ハワイ諸島が国家として統一されると、オアフ島のホノルルに首都が開設され、それ以前のアフプアアを中心にした自給自足的な生活の完結性が失われはじめ、生活に貨幣経済が浸透をはじめるようになる。自給的生活構造が近代化にともなう貨幣経済の浸透によって崩壊をはじめるのは、何もハワイだけのことではないが、ハワイの場合は、このような生活の変化をより鮮やかに展開させることになったのは、サトウキビ・プランテーションの開発であった。

 サトウキビ・プランテーションがハワイで本格的に開始されたのは、19世紀に入ってのことであったが、アメリカ人の白人資本家によるサトウキビ開発は、これまで開発の対象となっていなかった丘陵地の原野に大規模な潅漑設備を用意することによって実現するところとなった。(5)

 この開発は、それまでアフプアアに注ぎ、そこでのタロイモ耕作に利用されてきた水を奪った。渓谷の上流部に土木工事によって地形の変形を加え、水門や水路を建設し、広大な火山原に潅漑した。その結果、アフプアアは水を失って干上がり、伝統的な多くの自給的な農産物の生産が困難になった。(6)

 これに追い打ちをかけたのが、伝染病による先住民人口の激減であった。18世紀末にクックが推定した30万人の人口は、西洋社会との接触、そしてその後サトウキビ開発のために投入されたアジアからの移民によってもたらされた伝染病によって、19世紀末には、約5万人に減少してた。たとえば、麻疹、インフルエンザ、コレラなどの伝染病が猛威を振るった。(7)

 アフプアアの多くは水源の喪失と人口減少とによって崩壊していった。今日でも、無人の渓谷から古代の先住民集落の遺跡が発掘されることがしばしばみられる。

 しかし、80年代に急速に展開したハワイ先住民族の文化復興運動(ハワイアン・ルネッサンス)が、このアフプアアに再び熱い注目のまなざしを向けさせることとなった。ハワイの各地で、失われたアフプアアの発掘が進められ、その空間の歴史的変遷を再構成する試みが行われるようになってきた。また、現存するアフプアアを保存し、発展させる運動も広がりをみせるようになった。たとえば、ハワイ島北東海岸に位置するワイピオ(Waipio)渓谷では、伝統的なタロイモ水田の保存と復興が先住民運動家たちによって計られ、それを通してアフプアア空間のもつ文化的重要性が強調されている。(8)

 しかし、このようなアフプアアへの関心の高まりは、たんに特定のアフプアアの歴史の再現や保護に対して向けられるだけではなく、アフプアアにハワイ人の文化的政治的統合を象徴させようとする試みとなって現れようとしている。先住民族運動は、ハワイ先住民王権を崩壊に追い込んだ1893年のクーデターを支えた白人農業資本家を象徴するサトウキビ・プランテーションに対峙する、先住民族の伝統的土地空間の統合的イメージとして、アフプアアの概念を象徴的に再生しようとするのである。

 このような動きに応じて、アフプアアの理念化が計られるようになったといってよい。そのような試みの一つとして重要な意味を持ったのが、1979年にカメハメハスクール・ハワイ文化研究所が出版したポスター『the Ahupua'a』である。(図1参照)このポスターには、ハワイ先住民文化を全体的に支える空間モデルとしてのアフプアア像が美しいカラーのイラストレーションによって再現されている。

-----図1-----

 このポスターに描かれたアフプアア・イメージは、現実のアフプアアとは別のものであり、ハワイ先住民族にとっての理念型としての地域空間を表現するものとなっている。つまり、それはアフプアアを自然環境と人間との調和のとれた生態学的な理想的空間として捉えようとするものである。さらに、この絵図の示す意味はそれだけではない。その美しい絵図からは、クックの来訪以降ハワイに持ち込まれたいろいろな外来の植物や動物は排除されており、そこには、クック来訪以前の平和で安定したある種の極相としての空間が描かれているのである。

 それは、皮肉にも新古典主義的な自然観の今日的再生であるといってもよいかもしれない。というのも、キャプテン・クックの航海は当時のヨーロッパにおける博物学の支配的潮流であった新古典主義的な自然観の実証、つまり、太平洋の熱帯に自然と人間が調和する究極の世界を発見することを目的としていたからである。(9)

 このような生態学的な理想モデルとしてのアフプアア像は、他方で、環境保護への一般的な関心の高まりを反映しているといってよいだろう。

C モデルとしてのアフプアア空間とそれを構成する諸要素

 この『the Ahupua'a』は、その後、そこに描かれた数々の植物や動物、居住者としての人間および生態学的空間としてのアフプアアを解説するための解説書が出版されている。たとえば、『Life in Early Hawai'i: the Ahupua'a』は、そのような解説書の中心を成すものである。この解説書を手がかりとして、今日のハワイ先住民族がアフプアアをどのような空間として認識しているかを明らかにしてみよう。

 まず、絵画としての『the Ahupua'a』の空間表現の特徴をみてみたい。最初に注目されるのは、この『the Ahupua'a』の空間表現の描画法として、近くにあるものを大きく描く線遠近法の技法は使用されていないことである。対象物との距離がもたらす相対的大きさの差も無視されている。また、遠くのものをぼやかせる大気遠近法ももちろん採用されていない。遠近を表現する技法として採用されているのは、唯一、図像内における位置の相対的高さによる遠近の表現のみである。このような高さに依存して遠近を表現する方法は、ロバート・L・ソルソ(Solso, Robert L.)によれば、近代ヨーロッパ以外の世界に共通してみられる遠近表現のきわめて素朴な表現方法であり、まるで近世日本の洛中洛外絵図を観ているように、雲上界から下界を見渡すような視覚がこの絵からは得られるのである。(10)このような視覚は、『the Ahupua'a』をあたかも一つの民話的な世界として表現する上で効果を発揮している。

 つぎに『the Ahupua'a』の構成をみると、その上部には滝(wailele)が描かれており、その流れ(kahawai)が縦に上から下へと描かれ、海(kai)へと注いでいる。その流れの中流域に、タロイモ(taro)の水田が位置づけられている。このタロイモの水田は、『the Ahupua'a』の絵図全体のほぼ中心に描かれている。

 つまり、ここで描かれたアフプアア空間の内部では、すべての人や動物、植物の存在は、タロイモの水田を中心に展開する等価で均衡のとれた世界として存在しており、それは、先住民族にとってのフォークロア的ユートピアを構成しているといってよいだろう。

 ここで注目すべきは、渓谷としてのアフプアアを区切る2つの稜線は画面には明瞭には描かれていない点である。その結果、渓谷としてのアフプアアの閉鎖的な印象は、この絵からは窺うことができず、反対に、開放的な印象すら与えているのである。

 さて、『the Ahupua'a』に描かれたアフプアアを構成する植物群、動物群、人間群の特徴をこの解説書から指摘してみたい。

 全体として、この絵図に解説付きで描かれている要素は95点である。そのうち、まず、アフプアアにおける人間の生活に関わる住居、道具、作業風景、農作物などが63点、つぎに植物が32点、動物が10点ある。(11)

 アフプアアにおける人間の生活に関わる住居、道具、作業風景、農作物などについては、まず、タロイモ栽培に関わる一連の作業や作物、田圃が描かれている。つぎに、ブレッドフルーツ('ulu)、サトウキビ(ko)、バナナ(mai'a)などの栽培作物やその収穫風景などが描かれ、さらに、それ以外でも、生活に深く関連する植物として、カーペットを編むのに使われるラウハラ(lau hala)の乾燥作業などが描かれている。これらの農業に関連した要素は、先住民の伝統社会が農業を中心に営まれてきたことを強調している。

 つぎに、海岸部では、カヌー(wa'a)の航行風景やそれを使った漁労風景が描かれている。漁労に関しては、海岸部に火山岩を使って造営された養魚池(loko i'a)やカヌーを収容する大きなボートハウス(halau wa'a)なども描かれ、海岸部の磯で行われる海草(limu)などの採集やそれらの作業に使用される手網('upena)も描かれている。

 植物群としては、ティの木(ki)や椰子(niu)、竹('ohe hawai'i)、ピリ(pili)など、ハワイ原生の植物群に加えて、バナナ、ブレッドフルーツ、ヤムイモ(uhi)、タロイモ(karo)などの先住民族が先史時代における移住の際に持ち込んできたものと思われる栽培植物が描かれている。

 一方、これらの植物には、近代ヨーロッパとの接触以後に持ち込まれたプルメリアやハイビスカスなどの「帰化植物」は含まれていない。

 動物群についても、同様である。海岸部の描写では、ウミガメ(honu)、グンカンドリ('iwa)など海洋性の生物が描かれる一方、内陸部での生活では、イヌ(ilio)、ニワトリ(moa)、ブタ(pua'a)など、先住民族が移住の際に持ち込んできたといわれる家畜類が描かれている。

 このように、この『the Ahupua'a』は、近代以前の生活スタイルを復元し、内陸部における生活と海岸部における生活をともに融合的に描き込むことによって、アフプアアでの生活が水系を包含した一つの全体性を獲得していたと主張しているのである。

 このような主張は、とりもなおさず今日のエスニック集団としての先住民族が政治的に先住権を主張する対象としての土地(aina)において展開する生活のある種の理想的イメージと共通するものといってよかろう。もちろん、そのような生活を今日実現できると考えるものは少数であろうが、しかし、そのようないわば生態学的ユートピアが植民地的土地利用に対抗するきわめて重大な政治的対抗シンボルとして機能していることもまた事実といってよかろう。

D コンピュータ・グラフィクスによる再現

このように今日的意味が付与されたアフプアアを別の視点から再現しようとする試みの一つとして、コンピュータ・グラフィックスによる3D版『アフプアア』が制作された。(12)制作された3D版『アフプアア』は、『コミュニケーション科学』第X号の付属CD−ROMに収録されてている。

1 目的

 この3D版『アフプアア』は、先述のカメハメハ・スクール版『the Ahupua'a』を下敷きにしている。この3D版『アフプアア』の制作意図は、つぎのような点にある。まず、アフプアア空間の内部に視点を移動させ、アフプアアの全体をそのアフプアア内の視点から逆に見渡すような知覚を仮想現実的に再現する。つまり、もしアフプアアの中に一人の人間が立っており、その人物がこのアフプアア空間を彼の視点から見渡したと仮定したとき、どのような姿としてアフプアアは知覚されるかをコンピュータ・グラフィクスの力を借りて明らかにしたいと考えた。このような視点は、カメハメハ・スクール版『the Ahupua'a』で描かれた鳥瞰図的な図像表現とは異なり、より人間の実際的な視覚体験に近い疑似現実的な視覚経験をもたらしてくれるはずである。そして、そのような経験は、このすでに失われた、あるいは未だ出現していない架空のアフプアアのイメージをより具体的な知覚体験に変換してくれるに違いない。これが、この3D版『アフプアア』の制作意図である。

2 手法

 まず、仮想のアフプアアを3次元グラフィクスの手法を用いて、コンピュータの内部に構成した。

 そして、この仮想空間の内部を見つめるまなざしとしてつぎの2つの視線を用意することにした。

 1つは、3次元グラフィクスによって再現されたアフプアアの内部を移動する視点(移動する人間あるいは鳥の目)を用意し、その移動する目が捕らえた光景を移動線にしたがって順に展開するものである。(視点移動による空間知覚)

 もう1つは、この仮想アフプアアに流れる小川(kahawai)のほとりに立って、周囲を360度見渡すことのできるパノラマ的視点を設定し、それをインタラクティブに操作しながら視認するものである。(視点回転によるパノラマ知覚)

a 仮想アフプアアの構成(オアフ島マカハ地区をモデルとして)

 これら2つのプログラムの土台となる仮想アフプアアは、つぎのような手順にしたがって構築した。

 まず、ハワイ諸島の中からかつてアフプアアが形成されていたとされる地形を選び出し、その地形図の等高線にもとづいてアフプアアの原型となるべき地形を3次元的に制作した。対象として選ばれた地域は、オアフ島の西北部、ワイアナエ海岸(Waianae)に位置するマカハ谷(Makaha)である。(13)この谷は、オアフ島最高峰のカアラ山(Ka'ala)の周辺に形成された谷の1つであり、周辺の発掘調査でもかつてアフプアアが形成されていたことが実証されている。アフプアアの規模としては、比較的小さく、モデルとして再現するには、ちょうど適した規模といえた。

 また、このマカハ地区は、著者が長期にわたってフィールド調査を行っている地域であることも選定の理由の1つになっている。

 再現された3次元地形をもとに、カメハメハ・スクール版『the Ahupua'a』を参考にしながら、図2のようなアフプアアを仮構した。

-----図2-----

 つぎに、空間を構成する要素として、つぎのような要素を選んだ。

 まず、カメハメハ・スクール版『the Ahupua'a』に従って、アフプアアの奥部に滝を置き、その流れを中央にとり、下に海岸部を配した。海には、外洋航海に使用されるアウトリガーのカヌー(14)を一艘浮かべた。

 つぎに、流れの中流部には、タロイモの水田を幾つか開き、タロイモ(15)を植えた。

 また、数件の住居(hale)、海岸部のボートハウス(halau wa'a)(16)、その背後に、住居(17)の周りを石畳(pohaku)で囲んだ干し場(18)を配した。

 集落のそばには、サトウキビの群落(19)も置いた。また、植生としては、ヤシ(20)、ブレッド・フルーツ(21)を植えた。

 レイアウトに関しては、これら構成要素のそれぞれについて3次元モデルを制作し、それらを空間内に配置した。

 ここで使用した構成要素は、カメハメハ・スクール版『the Ahupua'a』と比較すると、全体に構成要素の種類、数ともに少なくなっている。とくに、動物と人間はまったく登場しない。このようになった理由は、たんにコンピュータの処理能力の限界によるものである。空間内にレイアウトした3次元モデルの数が多すぎると、コンピュータの処理能力を超えるからである。この点は、今後の課題となるだろう。

b 視点移動による空間知覚

 上述の3次元モデルの中に移動する視点を設定して、ちょうど移動する人(あるいは鳥)の視点にたってアフプアア空間を知覚できるようプログラムを設計した。(移動視点によるアフプアア・イメージ

 移動する視点は、次のような順序に設定されている。

 まず、視点は海上にある。前面には、アウトリガー・カヌーが見えている。視点は、次第にこのカヌーに接近し、カヌーの前を右舷から左舷方向に横切り、海岸に建っているボートハウスに接近する。つぎに、視点は、ボートハウスの内側をくぐり抜け、格納されているカヌーの脇腹をかすめて、その背後にある石畳の干し場で反時計回りに回転する。そして、ふたたびボートハウスに接近し、ボートハウスを左巻きになめながら、住居群に接近する。居並ぶ住居群を右から左へと順に眺め、視点は、今度は小川にでる。小川にでた後、住居のそばに栽培されているサトウキビの群落を経て、さらに、その横のタロイモの水田に接近する。そして、つぎには、タロイモの水田の上をかすめて、ブレッドフルーツの群に近づき、小川の源流の滝に向かって流れをさかのぼり、最後に滝に到着した時点で反転し、海岸部を振り返って短いツアーを終えるのである。

 この視点の移動による空間知覚は、概観すると海から接近し、集落とその周辺を巡り、最後に流れ(kahawai)を遡って源流に至るプロセスをとるよう設定されている。

 

c 視点回転によるパノラマ知覚

 このモデルは移動視点ではなく、アフプアアにとってもっとも重要度の高い流れ(kahawai)の側に立って、四方を見渡すとどのような視界が得られるかを仮想的に実現したものである。キーボードを操作することによって、視覚を広角と望遠に切り替えることができる。また、画面上に表示されたカーソルにマウスでベクトルを与えてやることで自由に上下左右に視野を移動させることができる。(22)

視点回転によるアフプアア・パノラマイメージ

E 結果と考察

  カメハメハ・スクール版『the Ahupua'a』を参考にしながら仮想空間としてのアフプアアを構築するに当たって、空間のスケールをそのままにして、構成要素である住居や植物をレイアウトしていくと、つぎのような問題に直面せざるをえない。それは、個々の構成要素の大きさに対して空間のサイズが非常に大きすぎることである。そこで実際にコンピュータ・グラフィックとして仮想空間を構築する際は、仕方なく、この仮想空間のスケールを約10分の1に縮小している。つまり、実際のマカハ谷は、谷の奥から海岸部まで数キロメートルある谷であるが、ここで再現された仮想のアフプアアは、数百メートル程度に縮められているのである。

 カメハメハ・スクール版『the Ahupua'a』でも、モデリングを行う際、実際のアフプアアの空間スケールでは、個々の人間や動植物を表現するには大きすぎるため、空間スケールを縮めて表現している。しかし、このことは、逆に、空間の規模を相対的に小さく描き出す効果を生んでおり、カメハメハ・スクール版『the Ahupua'a』に描かれたアフプアアを小さな理想的共同体として強く印象づける1つの要因となっているとみてよいだろう。

 しかし、実際のアフプアアは、この仮想モデルよりはるかに大きな規模をもっていたのであり、ここで描かれるような素朴な共同体としての集落のイメージは、実際には存在しない仮想のものだといってよい。アフプアアの規模を事実に合わせて大きく表現すれば、当然、そこに描かれる社会も素朴な共同体的社会としての相貌を失いかねない。実際、アフプアアにおいて成立していたのは、非常に発達した階級社会であり、それはハワイに限らず、ポリネシアにおける王権の基本的なあり方と共通したものである。

 カメハメハ・スクール版『the Ahupua'a』は、その理想とする共同体の成立基盤として掲げるアフプアアの規模を実際より小さくみせることで、そのような階級社会としてのアフプアアの存在が顕在化することを巧みに回避したのではなかろうか。

 つぎに、パノラマ視のプログラムを使用して、アフプアアを縦に貫く流れのほとりに立って視点を360度回転させることによって、このアフプアアに住む一人の先住民が、流れの側に立って見渡したアフプアアの全体像を疑似体験することが可能となったといえるだろう。この疑似体験にもとづいて改めてアフプアアの空間知覚を再構成してみると、このアフプアアという空間が山側に閉ざされている反面、海側に大きく開かれていることが実感できるのである。

 実際、ハワイの先住民族社会では、周辺のアフプアアとの交通ももっぱらカヌーを用いて行われたのではないかといわれている。急な稜線を足で越えて行くより、海上を船で行くことの方が合理的であったのであるが、そのような海への意識の広がりは、このアフプアア空間の内部からの知覚においても、首肯されるところであると思われる。

 最後に、このような試みを重ねることによって、民族学、社会学など、従来はテキスト中心に展開されてきた諸分野に映像という新たな研究手段が持ち込まれる可能性を開くことができるのではなかろうか。その意味で、今回の試みは、まだまだ技術的な未熟さは残るにせよ、それなりの成果を上げることができたものと信じるのである。

F 謝辞

この作品の制作に際しては、国立民族学博物館および東京経済大学メディア工房の支援と協力を得た。また、画像の制作には、中山雄介君(当時・東京経済大学経済学部学生)の献身的な協力を得た。この場を借りて、謝辞にかえたい。

註および参考文献

(1) アフプアアの語源については、Mary Kawena Pukui and Samuel H. Elbert, Hawaiian Dictionary, Honolulu: University of Hawaii Press, 1986, p.9を参照にした。

(2) ハワイの自然地理条件の特徴については、Joseph R. Morgan, Hawai'i: a unique Geography, Bess Press: Honolulu, 1996.に詳しく解説されているが、その中で地表水については、もっぱら風上側(Windward)に依存していることが明らかにされている。

(3) 1778年にキャプテン・クックが行った人口の推定については、Eleanor C. Nordyke, The Peopling of Hawaii, University of Hawaii Press: Honolulu, 1989, pp.17-18.による。それによれば、クックらの推定の方法は、村落あたりの人口の概数を基準にして算出したとされている。したがって、その概数に誤差によって諸説が存在し、10万人から87万5000人までの開きが認められる。

(4) Chun, Michael J. (ed.) Life in Early Hawai'i: the Ahupua'a. Honolulu: kamehameha Schools Press, 1994.および、 Donald D. Kilolani Mitchell, Resource Units in Hawaiian Culture, Honolulu: kamehameha Schools Press, 1992.による。

(5) Joseph R. Morgan前掲書, p.108によれば、サトウキビの栽培は潅漑施設が不可欠であり、井戸、導水管、側溝などの組み合わせによって潅漑が行われた。近年は点滴方式の潅漑が中心となっているが、かつては畝を作り、畝と畝の間の溝に水路から大量の水を供給する方式が採られていた。

(6) Robert C. Schmitt, Historical Statistics of Hawaii, University of Hawaii Press, 1977, pp.334-335.によれば、今世紀に入ってからもその傾向は続いた。たとえば、サトウキビの栽培面積と伝統的作物であるタロイモの栽培面積には明らかに逆相関が認められる。

(7) O.A. Bushnell, The Gift Of Civilization: Germs and Genocide in Hawai'i, Honolulu: the University of Hawai'i, 1993.によれば、クックの来島による伝染病の上陸によるだけでも、1778年から1798年の20年の間に、オアフ島だけで約1万人のハワイ人が死亡したとされている。

(8) ワイピオについては、Paule Cleghorn, Waipio: Valley of the Curving Water, Honolulu: Bishop Museum, 1988.に詳しく紹介されている。それによれば、1825年に宣教使ウイリアム・エリスはこの谷がひとつづきの庭園のようで、そこにはタロイモ、バナナ、サトウキビなどの作物が豊かに実っていた事実を書き留めている。

(9) Bernard Smith, European Vision and the South Pacific, New Heaven: Yale University Press, 1985.によれば、クックの世界航海を支援した王立博物学協会の主たる目的は、当時全盛をはくしていた新古典派の自然観を実証する資料の収集にあったといわれる。

(10) ロバート・L・ソルソ(鈴木光太郎、小林哲生訳)『脳は絵をどのように理解するか』新曜社、1997年(Solso, Robert L. Cognition and the Visual Arts. Cambridge: MIT Press, 1994.)p.197では、「先史時代の美術からエジプト、アジア、ルネッサンス、印象派、そして一部の現代美術にいたるまで、高さは、時には大きさや線遠近法とは無関係に、奥行きを表現する手段として用いられてきた」と述べられている。

(11) Chun, Michael J. (ed.)前掲書、pp.1-7参照。

(12) 制作はつぎのアプリケーションを使用した。地形に関しては、等高線を含む原図をスキャナ入力し、それをAdobe社のIlustratorを使って等高線のパス図を作成し、それを元にStrata社の3Dイメージ作成プログラムであるStudioProを使用して立体図形を作成した。また、家や樹木や船などの構造物については、StudioProで作成した。そのつぎに、それら作成された仮想構築物を先述の地形の上に展開したあと、今度は、Expression Tools社の3D作成ソフトであるShade Professionalを使用して、カメラ導線とカメラ画角を設定した後、その導線にそって3Dアニメーションを作成した。

(13) 地形の復元に利用した地図は、Defence Mapping Agency, United States of America が出版したKaena Point, Hawaii 5321 II W733 Edition 1-DMA, 1983. および同じく、Nanapuli, Hawaii 5320 I W733 Edition 1-DMA, 1983.さらに、歴史的にこの地域でタロ水田を栽培していたと推定される沼沢地の同定に関しては、Hawaiian Government Survey, Surveyor:W. D. Alexander , Oahu: Hawaiian Islands, 1881.およびHawaii Teritory Survey, Surveyor: Walter E. Hall, Oahu: Hawaiian Islands, 1902.の2種類の地図を参照した。これら2つの地図は、ハワイ大学ハミルトン図書館に所蔵さているものである。

(14) アウトリガーのカヌーの形態については、Chun, Michael J. (ed.) Life in Early Hawai'i: the Ahupua'a. Honolulu: kamehameha Schools Press, 1994.を参照にした。

(15) タロイモの形態については、Kepler, Angela Kay. Hawaiian Heritage Plants.Honolulu: The Oriental Publishing Co., 1983.を参照にした。

(15) ボートハウスの形態については、Chun, Michael J. (ed.) Life in Early Hawai'i: the Ahupua'a. Honolulu: kamehameha Schools Press, 1994.を参照にした。

(17) 住居の形態については、同じくChun, Michael J. (ed.) Life in Early Hawai'i: the Ahupua'a. Honolulu: kamehameha Schools Press, 1994.およびBurningham,Robinn Yoko, Hawaiian Word Book, Honolulu: the Bess Press, 1983, p.26.を参照にした。

(18) 石畳で囲んだ干し場の景観については、同じくChun, Michael J. (ed.) Life in Early Hawai'i: the Ahupua'a. Honolulu: kamehameha Schools Press, 1994.を参照にした。

(19) サトウキビの群落の形態については、Kurisu, Yasushi. Sugar Town. Honolulu: Watermark Publishing, 1995, p.71.およびChun, Michael J. (ed.) Life in Early Hawai'i: the Ahupua'a. Honolulu: kamehameha Schools Press, 1994, p.12.を参照にした。

(20) ヤシについては、Hargreaves, Dorothy and Bob Hargreaves. Tropical Trees of the Pacific. Honolulu: Hargreaves Company, Inc., 1970.およびMerlin, Mark David. Hawaiian Coastal Plants and Scenic Shorelines. Honolulu: The Oriental Publishing, 1977, 26.を参照にした。

(21) ブレッド・フルーツについては、同じくBurningham,Robinn Yoko, Hawaiian Word Book, Honolulu: the Bess Press, 1983, p.10.を参照にした。

(22) このプログラムのプラットフォームとして、QuickTimeVRを使用した。QuickTime VRは、アップル社の製品である。