シンディキザ    

先日、ケニアの友人マリちゃんオティエノちゃん一家が大阪のライブに来てくれて
少しだけど久しぶりにスワヒリ語を話し、
またちょっと他愛もないことを思い出しました。

スワヒリ語に「シンディキザ」ということばがあります。
 
「帰る人を途中までお供する」みたいな、日本語にはない不思議なくくりの言葉で
辞書で見てもぴんとこなかったのですが
何度か「シンディキザ」してもらううちなんとなく意味がわかり、
いい言葉だな、と思うようになりました。

シンディキザしてもらったのはたいがい、長い別れになりそうなさよならの時。
「さみしくなるね。シンディキザしてあげる。」という感じで一緒に歩きだします。
門のあたりで見送ってくれるのかと思ったらバス停までの長い道のり、
かれこれもう5分くらい。
これはきっとバスに乗るまで見送ってくれるんだな、と思ったそのとき、
何も、ほんとうに何もない道の途中とか、建物の壁ぎわとか、そんなところで
「じゃ、ここで」と、すたすた帰っていくのです。

何度か体験したシンディキザの最後の場所はすべて辻でもなく何かの前でもなく、
選んだ理由の全くわからない不思議な中途半端なところで
いまも心のなかに「シンディキザの謎」として残っています。

その時は、わかっていたけど突然やってきた別れの瞬間にあっけにとられ、
寂しくなりましたが
同時に、突然ひとがしぬことがわりとよくあることとか
わびさびなく「ポン」と日が昇る夜明けなどをぐるぐる思い出し
ひとりになって少ししたあと、
ほんのり何となく、やさしくて温かい感じがしました。

それとともに思いだした距離感の不思議については
また今度。

 sindikiza = accompany a parting guest a little way
       on his road as a gesture of respect
      (スワヒリ英辞典より)