「フチガミさん、あの話してくださいよ。」

美容院の椅子の上で
なぜか何度も話すことになったあの話のことを
今日は書いてみようと思います。



私が思春期を過ごした家は
快速が止まる駅からバスで10分、
バス停からさらに徒歩10分の
新興住宅地にあった。

少し不便そうな場所だが
近所にはパン屋も小さなスーパーもあり
住んでいる人はなかなか便利な所だと思っていて
実際、住宅地はどんどん広がってゆき
80年を前にスーパーのまわりはかなり賑やかになった。

その中にある日、
おいしいケーキ屋さんができた。
ケーキはどれもシンプルで上品で甘さ控えめ。
いちごショート、チーズケーキ、レアチーズケーキ、
ミルフィーユ、シュークリーム、どれも本当に美味しく、
また当時珍しかったシンプルな内装はとてもお洒落な感じがした。
レジ後ろのガラスの向こうで
その頃すでにかなり年かさに見えた職人さんが
リズムをとりながらクリームを塗る姿も胸躍らせるものがあり
その店はまたたくまに、まちの人の心をつかまえた。

しばらくして皆が知ったところによると
駅前にある名店の職人さんが独立されてはじめたお店とのこと。
おお、そういえばどれもそのお店のと似ている、というかほぼ同じ。
のれん分けみたいなもんか、でも近くで気軽に食べれて
ほんまありがたいなあ、
みんなそういいながらそのお店のケーキをよく食べた。

時はうつり私は実家を出、
実家も同じ市内で引っ越しした。
バブルがふくれ、はじけたある日、
魚が新鮮、ということでかつてのスーパーに今も通う母に
そういえばあのケーキ屋はどうなっているか尋ねてみた。
母の答えはあるけどかわいそうなことなってる
だった。

母いわく、ケーキは相変わらず美味しいのだが
ずっと同じなのだそうだ。
創業何百年、の和菓子ならともかく、のれん分けの洋菓子だ。
あのおっちゃん、新作考えられへんかったんや。
わたしはなんだか、言葉を失った。

ケーキ屋の少しあとにできた
隣のそこそこ美味しい創作和菓子屋は次々新作を考えだし、
まちの名物になるお菓子もあたって
支店もいくつかできる繁昌店になった。

・・・というような話を

当時髪を切ってもらっていた美容師さんに一度話したところ
なぜだか切りに行くたびに
ケーキ屋の話をしてくれとせがまれるようになったのだ。

「ぼく、あの話めっちゃ好きなんですよー。」
といわれるのでそうですかと話してたけど、
どこがツボだったのか。
というかなぜ客の私が話をする。

私的見解では髪の切り方も
ある時を境にルールがガラっと変わったような気がする。
その後わたしもいろいろ生活が変わったりで
その店に行かなくなったのだけど
通っていた最後のほうに
ぼくは新しいやりかたを認めたくない、というようなことを
ちらと云っておられた気がする。

これを書き始めて気になって
件のケーキ屋さんをネットで探ってみた。
「昭和の香りの名店」などの言葉がいくつか出てきたので
ご健在かつ、いまもあのケーキを味わうことができるようだ。
新作がないように書いてしまったが
ティラミスなどの言葉も出てきたし
全然知らない新しいケーキもあるかもしれない。

行きつけのお店があるので
その美容師さんの店にはなかなか行く機会がないけれど
いまも街中のいい場所で
たくさんのスタッフをかかえて
繁昌店をきりもりしておられるようです。

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