名古屋とFF

地元京都より先に名古屋で20周年くらい祭りを開催します。
気がつけば数行では語れぬほどの
場所や人との出会いが重なり
しかも一度つながったご縁のほとんどが10年経ってもつながりっぱなしのまち。
いつしか名古屋はFFにとって、なくてはならん土地になっておったのです。

名古屋での出会いを含めつつ、お祝いゲストをここにご紹介!(敬称は心の中に)

モロ師岡 もろ もろおか

2006年5月、パシリッツ・ハヤシイズミが企画する京都・拾得でのモロさんワンマンライブの宣伝を少しお手伝いさせていただき、映画やテレビでとにかく気になっていたモロ師匠の真髄、一人舞台を初ナマ体験。それからはもう、なんでこの人はこんな(ええ)顔をしてはるのやろう、このなんともいえん感じはなんやろう、と、モロさんの海というか宇宙に漂うがごとく、惹かれ続けております。パシリッツはさらに2007年、なんとモロさんとFFによる名古屋2デイズ公演を敢行。それぞれのいつもに加え数曲を共作共演、フナトはセリフを話し(ちょびっとでしたが)モロさんはギターで弾き語った二夜でした。映画やテレビの人は自分達と遠い、と思っているところが実はちょっぴりフチガミにはありましたが、舞台に向かったときいや向かわぬ時でさえ、何が大切で何が関係ないか沁みた名古屋でした。今回の大須には、フォークシンガーとして参加していただく予定。レパートリーも増えているとのことで久々の共演、一層楽しみです。

Ett エット

とりわけ名古屋では説明不要の、素晴らしい音楽を世界に放つこの二人。初めて会ったのは2004年、有志スミ君主催のK.D.ハポンでのライブでした。いろんな面で近いところがあるからか、自然に共演や、音楽以外の時間を過ごすことも増え今となっては彼等の音楽はもちろん、彼等の存在そのものが我々の日々になくてはならんような感じになりつつある次第。一時期Keiさんはフナトに対抗するがごとく(してないと思うけど)城Tシャツを着てましたが最近はすっかりおしゃれでフナトはもうたちうちできません。さゆり嬢とは会えばあほなことばっかり云ってますが、Ettの二人が繰り出す音楽とこれからに向かう姿は、われわれの熱源のひとつでもあります。短い時間ではありますが、大須を思いっきり楽しむ共演をくりひろげたいです。

森田裕 もりた ゆたか

名古屋からやってくるバレーボールズのボーカルの人、として森田さんのことは勝手に知っていた。その森田さんが得三の人だとフチガミが知ったのは随分あとの事だ。99年、池下のシュークラブで名古屋デビューを果たしたFFに地下鉄で1駅の今池は遠く、得三は広く、出演は将来の目標としていた。00年、シュークラブの閉店によりライブ難民となった折り出演を哀願したところ断られず今に至る。店内で拝見する氏は極めてクールで終演後たまに飲みの輪に見かけるような距離であるが、氏に声をかけてもらい出演した01今池まつり(w/バレーボールズ、原爆オナニーズ、遠藤賢司&石塚俊明、いちごメロンSHOW)以来名古屋のFFのお客さんは確実に増え、また得三では貝がらMAX、高田渡、知久寿焼といった、氏の思い付きなくしては一生なかったかもしれない共演を経験し、それはFFの現在につながってます多分。こんなことばかり書きましたが大須に来ていただくのはバレーボールズの森田裕氏。左の写真のごとく器がでかすぎてまだまだどんな人かわからん氏と、フチガミはがっぷり組んで熱く歌いたいと思ってます。それをフナトはどう受け止めるか。三人の出す音、舞台を、お楽しみに。

やすながふみよ

ぺぺギター、という小さなクラッシックギターを弾き語るふみよちゃんに出会ったのは池下シュークラブ、と思っていたら、それ以前に大阪のレッドライオンというライブハウスで、私達は彼女に目撃されていました。その日はたまの石川さんが出ておられ(後から彼女に確認したところ知久さんだったと。脳がもうあれですみません)、たまファンの彼女は名古屋から大阪まで来ていたのです。その日をきっかけに名古屋のライブに来てくれるようになった彼女も歌うのだ、と知ったのはもう少しあと。音源をもらったんだったかな。彼女の歌をきくと、たまの知久さんがものすごく好きだということがよくわかる。でも、そこに彼女の日常とかいろんなことが溶けてしっかり別の何かになってて、あと、歌詞が時々無意識に名古屋弁だったりするとこにもなんともいえん味があり、01年、FFが月イチライブをやってた京都・アザーサイドに、対バンで出てもらいました。その時「角田史代」だった彼女は「やすながふみよ」となり二児の母。現在も歌っています。音楽の同志でもある歌うだんなさんと可愛い姉弟と共にやって来てくれるふみよちゃんの歌(演奏はソロ)、たのしみです。気づけば長いおつきあいになった彼女と1曲、初共演させてもらいます。

江藤莅夏 えとう りか

長いつきあいに最初のほうがぼやけてきているのだけど99年、有志ごっちゃんによるFFの名古屋初ライブ@シュークラブに来てくれたのが知り合ったきっかけと記憶している。そのとき、すごくたくさん感想を云ってくれたように覚えているけどそれもあってるかな。元気のええ、おもろい、よう飲むねえちゃんやなあ、と我々の目にうつった彼女は、FFの名古屋でのライブのほとんどに来てくれているのではないだろうか。全部でないにしても最もたくさん聴いてくれている人だと思う。で、来てくれた時はいつも元気のええ、おもろい、よう飲むねえちゃんであるから、彼女が詩を書く人であるということをちゃんと知るには少し時間がかかった(ごめんね莅夏ちゃん)。彼女は着実に言葉に向き合い続け、いろんなかたちで発表も行っているが、実は今にいたるまでFFは彼女の活動をちゃんとフォローしていない。でも今に至る時間の間に、フチガミの中には彼女の言葉に対する信頼というか好きさのようなものはしっかり蓄積され、また二人とも彼女自身を好きだ。そこでこの大須をきっかけに彼女の言葉を歌にして演奏し、新たな江藤莅夏とのつきあいに踏み出すことを思いついた。もうすでに莅夏ちゃんは改訂も含めたくさん言葉を送ってくれていてFFはこうやって特設ページをつくってる場合ではない。彼女の言葉に向き合って、大須で聴いていただきます。こんなことするの、初めてです。莅夏ちゃん、ありがとう。ひきつづきよろしく。

柳家三亀司 やなぎや みきじ

真打ち、大須演芸場から三亀司師匠にお越しいただけることになりました。演芸場でお祭りができるのも三亀司師匠に出ていただけるのも、パシリッツがいままで培ってきた実績と信頼のなせるワザであります。三亀司師匠をはじめてお見かけしたのは演芸場すぐそばの食堂。すでに顔なじみのパシリッツハヤシにならんでご挨拶させていただいた師匠はものごし柔らかくやさしく、でもそこに、日々芸人として活動しておられる方ならではの、一朝一夕では生まれない粋と格好良さがありました。たくさんの方が踏んでこられ、これからもいろんな歴史を刻んでいくであろう演芸場の舞台をいよいよ本当に使わせていただける時がきた、と身のひきしまる思いです。さあ、いよいよの開演に向け、ダーーーーッシュ!