年賀状

の時期に思い出すのは、
子供の目に山のように見える年賀状が届いていた祖父のことだ。

子供のころ、父方の祖父母と一緒に暮らしていた。
祖父はいつも いそがしい いそがしい と言っていて
駅の階段を毎日二段(三段?)とばしで
駆け登って通勤していることが自慢だった。
当時多分めずらしかった深夜バスでの移動も自慢していたっけ。
「いまワシが死んだら大変だぞう。新聞にも大きくのるぞう。」
と、何度もきいた気がする。

その後祖父は年相応にだんだん家にいる時間が増え、
忙しいと言わなくなったころ病気になって他界した。

それでもあれだけ忙しかったじいちゃんだから
新聞にはのるんだろうか、と、こっそりその欄を見た。
じいちゃんの名前は、地方新聞の
さらに市民版のかたすみにあった。

誰にも頼まれないことばかりして
忙しかったのですみませんすみません、と過ぎてゆく日々に
思い出すのはじいちゃんとあの新聞記事だ。

大人になってきいたところによると
じいちゃんは実際忙しくはあったらしいが
誘われた宴会なんかもはしごして全て参加していたらしい。

新年からこんな話をすみません。
しょんぼりするような話のようでありますがこれは
やっぱり大好きやったなあ、と思う
じいちゃんの話なんであります。