在日外国人の生活を支えるエスニックメディアの底力
日本社会にじわり浸透    text by 森口秀志  世界週報2001年12月4日号掲載


200万人を超える在日外国人

 ここ十数年ほどで、日本に住む外国人の数は激増した。たとえば、法務省が把握している外国人登録者数だけでも、1986年には86万7,237人だったのが、昨年(2000年)末には168万6,444人へと倍増している。
 その内訳を見ると、韓国・朝鮮人が約63万人で最も多く、次いで中国(台湾含む)人約33万人、ブラジル人約25万人、フィリピン人約14万人と続く。しかも戦前から日本に住む在日韓国・朝鮮人が外国人全体に占める比率は、この14年間で78.1%から37.7%まで急降下している。これはいかにニューカマーと呼ばれる新参の外国人が増えているかを示している。
 しかも、こうした統計には顕われてこない超過滞在者などを含めると現在、日本に住む外国人は200万人を超えるといわれている。
 実際に80年代末から、日本国内で急速に外国人の姿が目立つようになってきた。東京や大阪などの大都市はもとりより、地方都市やひなびた田舎に行っても、そこには必ずといっていいほど外国人たちの姿を見ることができる。
 ビジネスマン、留学生、出稼ぎなど、来日の目的はいろいろであろうが、とにかく今やさまざまな国籍・立場・年齢・性別の外国人がこの日本で暮らすようになった。そして、東京、大阪、横浜、浜松など、全国各地に外国人コミニュティが生まれている。
 ちなみに東京の新宿区では、全人口28万人に対して外国人登録人口が2万2,000人にものぼり、外国人が都内で最も多く住む街として知られている。とくに新大久保〜歌舞伎町界隈の外国人が密集する地域は“エスニック・タウン”と呼ばれ、韓国・朝鮮人の多く住む新宿職安通り近辺は“コリアンタウン”とも称される。
 ほかにも東京・浅草から埼玉、栃木、群馬を結ぶ東部伊勢崎線沿線には、イラン人労働者たちによるモスクがあちこちにつくられ、群馬県の“リトル・ブラジル”大泉町のように日系ブラジル人の急増によって、外国人人口が町の人口の1割を超えてしまった地域さえある。

エスニック・メディアの誕生

 こうした外国人たちの爆発的な増加にともなって生まれたのがエスニック・メディアと呼ばれる在日外国人向けの新聞・雑誌である。
 じつはこれまでも、東京に住む外国人(主に白人)たちによる『トーキョー・ジャーナル』(81年創刊)などの英字情報誌や、戦前から日本に住む定住コリアン向け、在日華僑向けの新聞・雑誌は存在していた。
 ところが近年になって続々と創刊されているエスニック・メディアは、いわゆるニューカマー向けのもので、使用言語も英語、中国語、ハングル、ポルトガル語、タガログ語、スペイン語、タイ語、インドネシア語、ビルマ(ミャンマー語)、ベトナム語など多岐にわたる。
 皮きりとなったのは中国語新聞だった。88年に創刊された『留学生新聞』は、創刊号で「生活の心得」欄が設けられ、第1回に「ゴミ出しの規制」を載せていた。このことからもわかるように、当時、留学生のために日本の生活習慣や生活に必要な情報を提供する中国語メディアは皆無の状態だった。
 そうしたなかで創刊された同紙は、「多いときは月に400〜500件の購読申込みがあった」(同紙編集部の話)というように、在日中国人社会から圧倒的に歓迎された。以降、『中文導報』『時報』『半月文摘』など、中国語新聞は創刊ラッシュを迎える。
 ブラジル人向けのポルトガル語新聞の先がけとなったのは、91年に創刊された『インターナショナル・プレス』である。週刊でブランケット判40ページ、しかもカラー印刷。小田急線やJRの駅売店でも販売している本格的な新聞である。
 創刊に際して、ブラジルの新聞社やロイターなどの外国通信社と契約。本社ビル(神奈川県厚木市)の屋上には衛星受信できるパラボラアンテナを備えて、24時間ニュースを受信できるようにした。また自動製版機、カラー写真現像機まで導入した本格的な紙面づくりで、在日ブラジル人社会に旋風を巻き起こした。
「日本にやって来たブラジル人たちが一番欲しがっているのは、ブラジル風味の加工肉でも缶詰でもない。情報と活字に飢えているんです。私もかつてブラジルで同じような思いをしていましたから、それがよくわかりました」
 同紙の発行人で、かつて32年間のブラジル生活経験を持つ村永義男社長は、創刊の思いをそう語る。
 この『インターナショナル・プレス』の成功を受けて、その後『ジャーナル・トードベン』『ノヴァ・ヴィゾオン』『フォーリャ・ムンジアル』などのポルトガル新聞が次々に創刊された。
 中国語、ポルトガル語新聞を凌駕する勢いで、近年創刊ラッシュが続いているのが韓国語メディアだ。92年に創刊された『月刊アリラン』をはじめ、『韓国人生活情報』『シナブロ』『東京交差路』などの雑誌が続々と刊行され、ハングル文字に飢えた韓国人ビジネスマン、留学生、飲食店で働く韓国人女性などを中心に読まれている。
 フィリピン人向けのタガログ語メディアも元気だ。老舗の『カイビガン』(91年創刊)をはじめ、『ピノイ』(現在は休刊中)、ウエッブ版も充実している『フィリピンズ・トゥデー』、日比ファミリー向けの『クムスタ』など、多彩な新聞・雑誌が発行されている。

多種多彩なメディア

 こうした紙媒体によるエスニックメディアは、ほかにもさまざまな言語のものが発行されている。主なものを挙げると−−

●英語
『KANSAI TIMEOUT』(77年創刊、以下同じ)
『TOKYO CLASSIFIED』(94)
『TOKYO NOTICE BOARD』(96)
●スペイン語
『INTERNATIONAL PRESS』(94)
『MERCADO LATINO』(94)
●フランス語
『LES VOIX』(81)
●タイ語
『SUMAI TIMES』(92)
●ビルマ(ミャンマー)語
『MYANMAR TIMES』(96)
●ベトナム語
『メコン通信』(85)
『故郷の響き声』(95)
●マレー語
『MALAYSIA TIMES』(94)
●インドネシア語
『MEDIA NUANSA INDONESIA』(96)

  もっとも筆者が確認しただけでも、日本で発行されているエスニック・メディアは約160紙誌、実際には大小合わせて200紙誌近いメディアが発行されているともいわれる。ここに挙げたものは、そうした膨大な数のメディアのごく一部にすぎない。
 たとえば、ひとくちにエスニック・メディアといっても、使用言語だけでなく、発行の形態や規模、判型、購読料、販売(配布)方法など、さまざまな違いがある。
 マイノリティ向けとはいえ、なかには発行部数10万部を超える新聞や『インターナショナル・プレス』のようにカラー印刷で数十ページ、日本の一般紙と同じように駅売店でも販売されるものから、発行部数数百のものまであり、ピンからキリといっていい。
 また発行元にしても、個人で発行しているもの、法人化して大規模に行っているもの、発行スタイルも月刊、週刊、日刊、不定期刊などさまざま。もちろちん新聞形式、雑誌形式の違いもあるし、購読料をとらずに広告料だけでまかなってフリーペーパーとして配布しているメディアも少なくない。

ライフラインとしての生活情報誌

 もっとも、このように多種・多彩なエスニック・メディアではあるが、エスニック・メディアならではのいくつかの共通点もある。
 まず、記事内容についていえば、やはり衣食住の情報は欠かせない。たとえば、日本語の読めない外国人の場合、火事や犯罪に巻き込まれたときにいったいどこに電話すればいいかさえかわからない。母国語による病院、警察、役所、消防署などの情報は必須だ。
 さらに仕事やアパートの探し方、ゴミ出し方、トラブルに巻き込まれたときの法律相談、母国の食材はどこで買えるのか、飲食店はどこにあるのか−−こうした生活情報を提供することが(とりわけ創刊当初の)エスニック・メディアの使命でもあったのだ。
 そうした意味では、エスニック・メディアは在日外国人にとっての生活便利帳であり、生活に欠かせないライフラインでもある。実際に95年に起きた阪神大震災では、エスニック・メディアは文字どおり被災外国人にとって大きな支えとなった。
 なにしろ超過滞在者も多いため、日本の行政では外国人被災者の被害状況が把握できない。そこで各紙の記者たちは、被災地を駆け巡り、日本語に不自由な外国人たちの手となり足となって、独自のルートで被災者を調査していった。そこから発信したニュースは本国でも報道された。
 また、母国のニュースや日本のニュースはもとより、日本国内の外国人コミュニティの情報、さらには定住化にともなう保育や教育に関する記事なども増えているのも、最近の特徴だ。

エスニック・メディアとこれからの日本社会

 こうしたエスニック・メディアは、なにも在日外国人に向けたものばかりではない。実際に、『留学生新聞』や『カイビガン』『スーマイ・タイムズ』など、多くのメディアが母国語と日本語の2カ国語で記事を掲載し、読者の数パーセントは日本人読者が占めているという。
 これは在日外国人の増加に伴い、在日外国人への関心が高まり、国際交流、語学学習の目的でエスニック・メディアを購読する日本人が増えてきたことが背景にある。
 さらには、在日外国人を対象としたビジネスの拡がりも見逃せない。つまりマーケットしての在日外国人の存在が、次第に日本社会のなかで注目を集めはじめているのだ。
 端的な例が電話会社である。たとえばある調査では、日系ブラジル人は一人月平均約2万円の国際電話をかけるという。単純に計算すれば約25万人いるブラジル人だけで年間500億円の市場があるわけだ。これを電話会社が放っておくわけがない。
 各種のエスニック・メディアを開くとそこには電話会社をはじめ、旅行会社や銀行、不動産、家電メーカー・店、行政書士、医療機関といったものまで、さまざまな「日本の」企業や事業体が広告を出していることがわかる。それだけ日本人社会のなかで、在日外国人の存在が無視できないものになっているのだ。
 しかし、問題がないわけではない。長引く不況のために広告が落ち込み、休刊に追い込まれるメディアが後をたたないし、どこもみな競合紙による過当競争で生き残りに必死だ。
それでもエスニック・メディアは今後も形を変え、姿を変えて、生き残っていくだろう。
それは彼ら在日外国人たちにとって、エスニック・メディアが「わたしたちはここにいる」という日本社会に対するメッセージにほかならいなからだ。
 日本は今後も、いやおうなく国際化の波に
もまれていくだろう。そして、日本が国際社会のなかで生き残っていくためにも、まず足元から国際化から進めるしかない。そのためのヒントやアイデアはエスニック・メディアにいっぱい詰まっている。
 そういう意味でも、エスニック・メディアは日本と在日外国人をつなぐ「かけ橋」なのだ。それゆえに、筆者もエスニック・メディアの今後の発展を願ってやまない。