漱石俳句の魅力 −語学のように−    秋尾 敏

2017年「俳句」


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 語学の天才、漱石。漢文にすぐれ、一高、東大で英語を教え、日本語を操って文豪と呼ばれた。
 その漱石は、俳句に関しても、最初は新しい言語を学ぶように身につけていったように思われる。
 明治二十四年七月、漱石は子規に「昨日故人五百題と云ふ者を見て急に俳諧が作りたくなり十二三首を得たり」として、

雀来て障子にうごく花の影     同

などの句を子規に送りつけている。しかし其角に「雀子やあかり障子の花の影」があり、他も類想句が多い。どうやら漱石は古典の名句を読みあさり、俳句らしさの型を覚え、それを変形したり、別の言葉を当てはめたりして俳句らしきものを作り始めたようである。
 これはおそらく漱石の語学習得のプロセスであったに違いない。漱石の句を研究する人は、誰もがまずこの類想句に戸惑うわけだが、これは漱石の習作であって、作品として世に問うているわけではない。
 その漱石の句に、漱石自身の命が吹き込まれるのはその翌月のことである。慕っていた嫂(あによめ)登世の死に際し、十三句を詠んでいる。

通夜僧の経の絶え間やきりぎりす 漱石
今日よりは誰に見立ん秋の月   〃

 これらの句は、すでに学習によって身につけた型に思いを流し込んだ〈作品〉と言えるであろう。だがそのベースにはやはり学んだ型があるに違いない。
 漱石のこうした言葉の学び方は、幼時の養子体験と関わっているのではなかろうか。同じ日本語といっても、家庭によって、どの場面でどう話すかという習慣は異なる。父母の呼び方、帰宅の挨拶、それらの違いを意識することで、幼い漱石は日本語を相対的なものとして身につけ、そのことが多言語や俳句の習得力につながっていったように思われる。

 菫ほどな小さき人に生まれたし
 永き日や欠伸うつして別れ行く
 かたまるや散るや蛍の川の上
 若葉して手のひらほどの山の寺
 叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉
 無人島の天子とならば涼しかろ
 ある程の菊投げ入れよ棺の中
 本名は頓とわからず草の花
 罠ありと狸に読めぬ札吊りし
 凩や海に夕日を吹き落とす
 わが影の吹かれて長き枯野かな
 愚陀仏は主人の名也冬籠