龍太俳句の子ども    秋尾 敏

2011年


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「折にふれて」 龍太俳句の子ども                 秋 尾  敏
 龍太の句には、しばしば子どもが登場する。戦争で兄たちを失い、また自分の子を病気で失ってもいる龍太であってみれば、その作品に登場する子どもというモチーフを、私たちは簡単に読み過ごすことはできない。
抱く吾子も梅雨の重みといふべしや   『百戸の谿』
 昭和二十六年六月の作。自分の子を抱いたら、梅雨の重みだと思ったというのである。さすがに「べしや」と逡巡してはいるが、子の重さを「梅雨の重み」とは異例の比喩であろう。いかにも暗い。だが、この「重み」が「重さ」でないことには注目しておかなければならない。「重み」という言葉からは、対象の存在性への強い肯定感を読み取ることができる。梅雨は、穀物を培い、万緑を育む。その存在性が、「重み」の背後に横たわる。
 作者自身は、この句の暗さ理由は「勤めの上の倦怠にあった」と回想している(『自選自解飯田龍太句集』)。図書館に勤めて二年目。生気のない職場での宮仕えに嫌気がさしていたというのである。だとすれば、やはりこの「梅雨の重み」は、作者の心を培おうと働きかける対象の力を感じての比喩であったと読むべきだろう。このとき龍太が抱いた子は、次女の純子。純子は五年後、小学校入学の前年に、急性小児麻痺で急逝している。
どの子にも涼しく風の吹く日かな     『忘音』
 この「かな」という詠嘆の背後には、どの子にも涼しく風の吹かぬ日々、があるように思われる。いや、そうした日々がなくてはならぬ。そうした日々を自覚してはじめて、この日の涼風を言祝ぐ意味が見えてくる。
 昭和四十三年の作であるから、目の前の子どもたちは、龍太自身の子ではない。いや、そもそも龍太は、私性をそのまま作品にしようとはしない。経験を一般化し、人物もまた作品中の人物として自立させようとする。この句の「子」はもちろん、前の句の「吾子」さえも、読者それぞれの「子」として解釈させる普遍性を龍太の俳句は作り出している。そうであればこそ、龍太は、作家として一時代を築けたのである。強靱な経験を根にもちつつ、その経験を作品として普遍化していく。そこに龍太という作家の一つの特質を見ることができる。