沖縄には中学生の時、交換生として一度行っています。復帰前です。
昭和39年。街はアメリカでした。車は右側、通貨はドル。ぼくはコーラの味を沖縄で覚えました。
でも戦いの跡地に行くと、焼き払われた緑はまだ再生していませんでした。
それから24年。かつての友を那覇に訪ねたときの句です。
「再会や緑の島に緑生(お)う」というのは、もともと緑の島だったところに、また緑が生えてい
たということです。緑は生えた、でも、沖縄はどうもまだ変だ、ということです。
この句を作ったときはそんなに意識的ではなかったのですが、今読んでみると、次のような構成が
読みとれます。そのときの少し沈んだ気分のわけが、今になってはっきりしました。
再会や緑の島に緑生う (よかった。緑の島になって。)
にがうりの畑の底の珊瑚虫 (でもにがうりなんか見ると、やはり、島の底の方を考えてしまう。)
洞穴の水啾啾と過去の声 (すると聞こえてくる過去の声)
犬よぎる驟雨のルート五十六(現実を見直せば、ルート56は緊急時の滑走路らしい。)
時間軸捻る摩文仁の雲の嶺 (時間が解決したと思ったのに、よく見たら時間軸はねじれていた。)
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灰色に烏暴走本土は秋 (カラスは不安の象徴でしょうか。)
貪官となるや九谷の薯藷芋 (日本人がみな貪官(鈍感)なんだ。皆グルメで。)
柔弱な時塩鮭を裏返す (自分がダメなときだけ思い出すという情けなさ。)