いつの時代でも、勇気と冒険心は尊い。それあるがゆえに人類は進歩し、成功する個人も現れる。本当の 自由競争は、そうした人間の欲望をかき立てる仕組みでもある。 これからの時代に、野心を燃やすことは悪いことではない。むしろ賞賛すべきことだ。しかし、それは危険で もある。もし危険を避けようとするなら、自ら能力の範囲内で人生を楽しめる自分をつくる道を探ることだ。 幸せの大きさは、必ずしも所得の大小によって決まるではない。所得が楽しい人生だ、所得が少ないから哀 しい人生だというわけではない。歴史でも、小説でも、映画でも、観る人の涙をそそるのはたいてい所得の高 い人々の悲劇である。 もし危険を避けて自らの能力の範囲内で人生を楽しむとすれば、大事なのは所得の大きさではなく、消費と 生活の選択である。 自らの野心の実現に人生を賭けるのではなく、自らの能力の範囲で生きる者にとっては、得られる所得を本 当に自分の楽しみに使えるかどうかが、人生の幸不幸を分けることになるだろう。同じだけの所得があっても、 本当に自分が満足できるもののためにお金を使えば、より大きな満足が得られる。周囲の目から離れた自分 自身の生き方、自分自身の幸せを追求することに対する自信がが大切である。 限られた所得(財)でいかなる消費をするか、いかなる喜びをどのように買いとるか、そこに自分自身の基準 を持つことだ。自分が楽しめることを行う自分自身の基準に自信を持つ。つまり、自らが尊ぶ「自尊」の精神が 必要なのである。