緑のお遍路さんたち(1)(エッセイスト 夏坂 健 記) 
(日本経済新聞 平成9年12月4日(水)夕刊より抜粋)


ゴルフは欲と不安の闘い 
(指揮者 小林健一郎さん)



 プレー中の動作一つ見ても、人柄が正確に把握できるのあたりがゴルフの恐ろしい
一面である。たとえば、雨で足場が悪かろうともテイーマークぎりぎりにボールを置く
人がいる。それも1センチとて猶予のない前方に。

 これとは逆に、ルールで許されたクラブ2本以内のの長さまで後方に下がって、足場
の安全を見極めてから打つ人もいる。これだけの違いだが、前者は余裕がなく、飛距離
にこだわる人物であって、スコアの亡者に間違いない。一方悪い足場を嫌った人物こそ、
物事が冷静に判断できるキレ者であり、難問に直面しても取り乱すことががない。

 「恐ろしいですね。ゴルフは本当にこわいゲームだと思います。いつも誰かに見られ
ていると思って、慎重に振る舞わねばいけない。」



 小林健一郎さんと私は、秋の透明な日差しの下、思うにまかせない球打ちに熱中しな
がら会話を弾ませていた。
 「さやの中の二つの豆のように、ゴルフと音楽は似ていますね。
 私が質問すると、いまやハンガリー国立交響楽団の常任指揮者を筆頭に、欧州各国の
常任指揮者、日本でも多くのフィルハーモニーの常任指揮者を務める小林さんは、音楽
とゴルフの共通性について、実に豊富な例を語ってくれた。

 「まず18ホールの編成が酷似しています。一流のコースは上等のシンフォニーと同
じ。素晴らしい序曲に始まって流れによどみなく、感動したり遊ばれたり、やがて
クライマックスに達して深い余韻が残ります。ところが粗悪なコースにはリズムも
ハーモニーも存在しません。指揮をしていても、あと残りはどのくらいあったかな?
と思う曲は駄目、無我の境でタクトが振れた曲こそ出来がいいのです。これは名コース
になるほど一気にプレーがが終わってしまう状態と同じです。」



 小林さんの話は、聞く者が心からうなずいてしまう説得力に満ちている。

 「たとえば、ゲームの終盤まで申し分のないスコアでくることがあります。あと数
ホール、ミスが出ないようにと祈る気分でいます。一方ではベストスコアに思いが走っ
て、こみ上げる欲が抑えきれない。ゴルフは欲と不安の闘いだと思います。ベスト
スコアを意識した瞬間、えてして失敗をするものです。音楽でも同じことが起こります。
曲も残りわずか、ミスが出ないようにと願った瞬間、その意識がタクトに伝わって微妙
に動揺が現れるものです。」



 その動揺は、たとえば唇と舌の操作で音を出す管楽器の場合など、いきなり予想外の
高音が飛び出すこともある。
 「ゴルフのシャンクに該当しますか?」
 ボールがクラブの根元に当たって、予想できない方向に飛び出す失敗がシャンクであ
る。
 「いえ。面白いことにシャンクは別にあります。考えてみると、ゴルフと音楽には同
種類の伝染病が存在しますね。」



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