充実した毎日 



 生きている間は、充実した毎日を送ることが人間としての義務である。 



  私には数えたらきりがないほど、やりたいことがあるのである。人間は行動することが、生き
ている証である。
  その体力がこの歳になってもあることを、私はほんとうに有り難いと思っている。
  自然な気持ちで生きることが健康である、と私はいつも言っているのだが、こんな私でも一
日一日を私なりに気をつけて暮らしている。食物も粗食であるが、年齢にあったものを出来る
だけ食べるようにしている。足を丈夫にするために、毎日、部屋の中を出来るだけ歩くことに
にしている。睡眠も充分とることにしている。たまには病院へ行って検査をして貰っている。毎
日を自然に、自分の年齢に合った、無理のない生活をしている。年齢相応の暮らしをしてい
る、と言うところである。

  人間と生まれて、生きているということは、何かをすることばかりではありません。なぜ、そう
しなければならないのか、それを考えることではないかと思います。私は覚悟をきめて、今年こ
そ、せいいっぱい、充分な仕事をしたいと思いました。仕事と言うものの中には、私の本業であ
るものを書くと言うこともありますが、そのほかの何事に対しても、せいいっぱい、充分な仕事を
したいと思ったのです。

  私はどちらかと言いますと、体のことは第二義的に考えるのが癖でありまましたが、今年から
は体のことも充分に配慮したいと思いました。何故かと言いますと、去年より体が、それだけ年
老いているからです。
  そして、現在の歳を全うするのは勿論、百歳までも生きて行く準備をしなければならないと
、毎日、考え続けているのです。生きている間は、充実した毎日を送ることが、人間としての義
務だと思うのですが、如何でしょうか。

  私たちには自分の一番、気に入ってところから、世の中を見るような習慣があるものである。
できれば、否定的ではではなく、肯定的に、マイナスではなく、プラスに見たいものである。

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