藤沢作品が語る「定年後」 
(日経新聞 小山博之 編集委員記)




 三屋清左衛門残日録 
(故藤沢周平氏作品)


 <老いの現実> 



  三浦清左衛門五十二歳。今ならまだ壮年の部類かもしれないが、当時ではすでに老人。
引退して息子夫婦と孫の四人(妻は三年前に亡くなっている。)で暮らす身の上である。    
持ち前の才覚と藩主の信任を得て家老に次ぐ重職である用人(ようにん)にまで出世したが、 
先代藩主の死去に伴い、願い出て隠居を許される。                         

そこで清左衛門がまず感じたのはどんなことか。

  世の中から一歩だけしりぞき、悠々自適の生活を楽しむつもりだったが、いざ引退してみ
ると「解放感とはまさに逆の、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情」に襲われる。
「やることがないと、不思議なほどに気持ちが萎縮(いしゅく)して来る」のも感じる。   

  これではならじと、その空白感を埋めるために始めたのが道場通いと経書を読むための
塾通いである。釣りも何十年ぶりかに再開した。                          
  おかげで「油のきれかかった車同様にさびついた」身体も持ち直し、酒ぐせの悪い武士
に切りかかれてもとっさに身をかわして逆に相手を打ちすえることができるようになる。    

  子供たちに交じってのての塾通いは「気持ちが若返る感じがするばかりでなく、前途に、
宮仕えのころは予想もつかなかった新しい世界がひらけてそうな気もして」楽しい。      
むろん、老いての鍛錬には限界がある。心身を鍛えても、風邪の治りが遅くなり、暑さ寒
さにこらえ性のなくなってきた自分にいや応なしに気付かされる。同年配の知り合いの死に 
心を痛めることも多い。                                        
  いまさらのように、三年前に女房に先立たれたのがこたえる。嫁は気配りのできるやさし
い女だが、嫁にはどうしても遠慮がある。女房が生きていてくれてわがままがいえたらと思う。



 <世間との距離> 



  隠居して当初、清左衛門は「世間と、これまでにくらべてややひかえめながらまだまだ対
等につき合うつもりでいたのに、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまった」と感じた。  
しかし、やがて町奉行の現役である友人があれこれと俗事の相談を持ちかけて来る。用人をし
ていたころかかわりのあった人たちに頼まれることもあれば、その窮地を救うためみずから難
事の解決に乗り出すこともある。                              

  また、若き藩主からのじきじきの指名で、藩を揺るがす派閥騒動の真相究明の大役を任
され、いたく感激したりもする。                                   
  隠居の立場を忘れず、事件の修羅場から一定の距離を保ちつつ、しかし、絶えず世事
に関心を寄せ、瓢然(ひょうぜん)として事を処す−−。清左衛門が引退後の新しい生活  
を切り開くために生み出した知恵である。                             

  時に思惑が外れ、派閥の陰謀に巻き込まれ生命の危険にさらされることもあれば、出世
争いに敗れたかつての同輩から殺意を向けられることもある。                  
  身体の鍛錬を怠らず、勉学にもいそしむ一方、俗事への好奇心を失わない−−というの
が清左衛門の基本的な生き方のようである。                            




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