Genesis y:16.2 時差
"DISTANCE"


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今日最後の宅急便のトラックが去っていく。
ネルフのドイツ支部は本部ほどの規模はなかったため、 物流の多くを宅急便に頼っている。 そのため、宅急便会社の方もネルフ向けには一日五回、定時に運んでいた、 これはその最後の定期便。

その後ろ姿を玄関先で仁王立ちになって睨みつけながら、 心の中でシンジを罵っていると、後ろから声がかかった。

「やあ、アスカじゃないか。こんなところで何をしているのかな?」

こういう風に声をかける奴は一人しかいない。振り返らずに答える。

「あんたには関係ないでしょ!」

その拒絶する調子にもかかわらず、にこやかな返事が返って来る。

「これがそうでもないんだな。アスカへのプレゼントが一つあるんでね」

一瞬、シンジからのかと思いアスカが振り返ると、

「いや、それほど期待するようなもんじゃないんだけど」

その表情に押されながらアルが袋を差し出した。
違うと分かったアスカの表情が曇る。

「何?」
「ん、ここの最新版の地図。早く地理、覚えてねってことさ」

アスカはひったくるようにしてその袋を受け取った。

「わかったわよ!」
「そうそう。その調子で来月までに全部、覚えてね?」

相変わらず喧嘩を売っているとしか思えないアルの言葉。
つき合う元気のないアスカがその場から部屋に戻りかけて立ち止まった。
確かにそういう奴ではあったけれど ‥‥ ?

「アル ‥‥ あんた、なぐさめてくれてるつもり?」

アルが驚いた顔を作った。彼にしては静かな返事が返ってくる。

「‥‥ そこまで言うつもりは無いんだけどね ‥‥」

アスカの目を覗き込んで続けた。

「ふうん? アスカもそういうことが分かるようになったんだ?」

アルが手を伸ばすのを見てアスカは体を硬くした。

「!?」

一瞬何が起こったのか分からない。

「よかったね ‥‥」

アルが微笑みながらアスカの頭をなでている。
驚いて固まっていたのを彼に済まなく思いながら、アスカは一歩ひいた。
右手が宙を撫でる格好になったアルに向かって言う。

「同じ大学の同窓生に言われると、何か腹立つものがあるわね」
「ま、いいじゃないか」

どこまでもにこやかな返事。実はかなり珍しいかもしれない。

「御褒美に良いこと教えてあげよう。
ここドイツ支部のモノのやりとりは宅急便が主だから忘れてるんだろうけど、 本部は自前でモノの配送位はするよ?」

アスカにも何のことか分かった。彼の首に飛びつく。

「ありがと!」

跳んで駆けていくアスカは一度も振り返らなかったので、 彼が悲しげにつぶやいた言葉はアスカには届かなかった。

「手負いの猫があんなに素直になるようじゃ、 日本では一体どれだけ酷いことがあったんだか ‥‥」


「父さんとチョコ ‥‥」

驚いて固まっているシンジをレイが首を傾げて眺めているうち、 しばらくしてシンジが正気に戻る。
レイを見て、まだお礼を言ってないことを思い出す。

「あ、綾波。ありがとう」
「うん。じゃ、ね」

レイが楽しそうに手を振ってヒカリのところへ戻っていった。

「せんせーは結局、やっぱり、ふたりからもらえるわけか ‥‥」
「そういうトウジは貰ったの?」
「いや?」
「委員長ならあそこにいるよ」

トウジがケンスケの言葉につられてヒカリの方を見る。ヒカリもまた、 ちょうどトウジの方を向いたところだった。二人の目が合う。
一瞬、顔を赤らめたヒカリが立ち上がってトウジのところにやってきた。

「ほら、トウジ来たよ」
「‥‥ なんや? いいんちょー」
「はい。鈴原。今日のお弁当」
「ん、さんきゅ」

ヒカリがトウジに渡したものはそれだけだった。
シンジとケンスケの両方とも肩透かしを食らった格好になる。
シンジがレイの方を見れば、 離れて見ていたレイもまた少し眉を顰めている。
確かに衆人環視の中で渡すのはヒカリには酷かもしれない、 とシンジも思うけれど。

「トウジ ‥‥」

ケンスケが声をかけようとトウジを見ると、 トウジはその弁当を何故かしげしげと眺めている。

「どうした? トウジ」
「ん、いや別に」

そのまま弁当箱をしまおうとするトウジを見て、シンジは尋ねた。

「今食べないの?」
「今日は、な。昼に食うわ」
「へえ? トウジが 2 時間目前に食べない」
「そんなこともあるんだぁ ‥‥」
「おまえら、なぁ ‥‥」
「だって、いつもまるで朝食べてないみたいにして食べてるじゃないか」
「これは、別や」

トウジのきっぱりとした言い方に二人とも黙った。
静かになったその時。

「え、やだ」

珍しくレイの声が通ってくる。
そちらに目をやると、 ヒカリが顔を真っ赤にしながらレイをたしなめている。
レイがヒカリに謝った様子を見せた後、それを眺めていたシンジと目が合う。
レイの視線がちょっとだけトウジに動いたあとで 目をそらしてヒカリと一緒になって笑っているのを、 シンジは不思議な思いで眺めていた。


「トウジ! その弁当は ‥‥」

シンジとケンスケの二人はトウジの弁当の一角にチョコレートらしきものが 陣どっているのを見て絶句した。

「そうか ‥‥ 綾波の笑いはこういう意味かぁ ‥‥」
「トウジは昨日のうちにこうなるのが分かってたのか?」
「いや、そういうつもりやあらへんかったが」
「ケンスケ、いいじゃないか。二人でちゃんと分かってるようだし」
「‥‥ そうだな」
「せんせ も言うようになったなあ ‥‥ そういう せんせは惣流にちゃんと送ったんか?」
「うん。昨日の夜中、本部から出したから、今日中には着くと思うけど」
「それは甘い!」
「ケンスケ?」
「事故というものは、一番起きて欲しくない時に、一番起きて欲しくないところで、 一番微妙な形で、しっかりと起きるものだ」
「ケンスケ ‥‥」
「だからきっと、事故でぎりぎり今日中には着かないに違いない」
「ちょっと、ケンスケ」
「そのあまりに微妙に過ぎる事故のため、言い訳もできずにシンジは惣流に 振られるのだ!」
「ケンスケぇ‥‥ さすがにそれはないんじゃないか?」
「‥‥ いいじゃないか ‥‥ 今日はこれくらい言ったって ‥‥」


翌 15 日の朝。
メールを確認して、シンジはそのまま教室を飛び出した。

昨日のケンスケの言葉が頭の中を駆け回る。

まず、人工進化研究所へ電話。
研究所のユイからさらにドイツのマヤへ。
そこからさらにアスカの携帯電話へ。

アスカの携帯に国際電話が通じる。


アスカは配送課へ飛び込んで、そのままその場で粘り、 ついにシンジからの荷物を見分け、むりやり奪い取って 自分の部屋へ持ちかえる。

午後 11 時ちょうど。

気分が落ち着いたところで、 最後の宅急便に無いことが分かった時点で シンジに怒りのメールを送っていたことを思い出した。

「しまった ‥‥」

端末に向かってメールを書き始めたところで携帯電話が鳴った。 ドイツに戻って来てこの携帯電話が鳴るのはこれが初めて。
誰?

『アスカ?』

シンジからの国際電話。

『ごめん‥‥ まだ着いてないんだって?』
「今、着いたわ。14 日の午後 11 時。ぎりぎり間に合ったわよ」
『そうかあ ‥‥ もっと早く送れればよかったね ‥‥』

シンジの声を聞きながら箱を開ける。

「‥‥ これ、あんたが作ったの?」
『うん』

催促メールがシンジの手元に届いたのは、13 日だったはず。
その日のうちに?

「あんた ‥‥ バカ? 時間なかったくせにこんな手間のかかるもの ‥‥ 融かして固めるだけにしとけばいいのに ‥‥」

涙声になりかける。

『アスカ?』
「この、バカ!!
あたし今日、 一日中あんたからの宅急便待って玄関先でつっ立ってたんだからね!」

声質を隠すようにして怒鳴ると、 電話の向こうで息を呑む音。

『アスカ ‥‥ ごめん ‥‥ ほんとに ‥‥ ごめん ‥‥』

言い過ぎた。

「‥‥ シンジ」
『何?』
「ありがと」
『ん。アスカのも、ありがとう。美味しかったよ』
「‥‥ あんたそれは言いすぎよ。どう見てもシンジのが美味しそう」
『そお? じっさい美味しかったけどな』
「こういう時、嘘の下手な人って意外に得なのね ‥‥」

ため息。

『嘘って! 嘘じゃないって!』
「そんなの、嘘じゃないくらい、声、聞いてれば分かるわよ。
だから、ちゃんと信じてもらえるのが得だ、って言ってんじゃない?
‥‥ ありがと、ね。
そっちは、学校から? そろそろ始まるんじゃないの?」
『うん。じゃ、また今度』

電話が切れる。
アスカは時計を見て、時差から日本での時刻を暗算。

「あのバカ ‥‥ 一時間目始まっちゃってるじゃないの ‥‥」

ドイツで初めて使った携帯電話。 ベッドの中に持ち込んで抱きしめ、そのまま目をつぶった。

「おやすみ。‥‥ シンジ」


作者コメント。 アルの初お目見え。どうしても出たいって言うから、 出したら本編でのセリフまでどさくさにまぎれて喋っていった。 僕を裏切ったな! 僕の気持ちを裏切ったな! > アル
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