Genesis y:10 守る心のかたち
"Maternal instinct"


ミサトを隣の部屋に連れ出したのはいいのだが、

「‥‥ あなた、ほんとに部屋どうにかしたら?」

ユイは少し呆れていた。この部屋もごちゃごちゃである。
言われてすこし手を動かしているミサトにユイが尋ねた。

「で、アスカの処遇はどうなるの?」
「あたしも似たようなこと考えてたし」

ユイは少し眉をしかめた。

「無罪放免といきたいんだけど、発砲して銃声きかれてるから‥‥
それにシンジ君のケガを医者に見せれば銃創ってこと一発でばれるわ」
「銃声に関しては、この辺に諜報部の人いないはずよ。あなたが二発、 発砲したことにすれば?」

ミサトは手を止めて立ち上がった。

「気軽に言ってくれますね。怪我の件はどうするんですか?」
「怪我については ‥‥ この場で治しちゃうこともできるけど ‥‥」

隣からシンジの声が洩れ聞こえてきた。‥‥‥‥ 病院にはいかないよ ‥‥‥‥

「だそうだから、大丈夫なんじゃない?」

ミサトは苦笑した。真面目な顔に戻って、

「じゃあ、 謹慎程度にすませるべく努力するかわりにあたしにもひとつ教えてくれませんか? あたし当事者だし、ね。セカンドインパクトのことよ。
セカンドインパクトの要因についてどうやらリツコや司令は嘘をついている。 まさか、あなたたちが起こしたんじゃないでしょうね?」
「私も知らないわ。
冬月先生が独自に調べたレポートがあったそうだけど、 公表せずにゲヒルンに入ったところから見ると、 とりあえずゲヒルンは無実のようね。
もっともインパクトの前日、南極からデータの山かかえて戻ってきた人がいるんだもの、 偶然でないなら、ある種、人為的なものだ、というのも確かよね」
「誰です? その人」
「碇ゲンドウ。私の夫よ」
「それにしてもおかしいわねぇ。 あなたのアクセスレベル新市ができてからはひとつ上がってるはずよ。 今言ったことマギから読みだせるはずなんだけど。自分でちゃんと調べた?」
「う、こっちへ来てからは全然 ‥‥
じゃ、もひとついい?、リツコ。リツコはどうしたの!? 新市に、こっちに移されたと副司令は言ってたけど、全然、姿見えないじゃない? 捕まってるのはしょうがないとしても、無事なんでしょうね? 」
「だーめ。ひとつだけ、でしょ?」

ユイが唇に人さし指を当てて笑うのを見て、ミサトは追求を諦めた。


「アスカ ‥‥」

シンジが自分の左肩を押えながら座り込んで目線をアスカに揃えると、 アスカはその視線を避けて俯いた。

「あたし、あんた撃ったのよ。怒るなり何なりしなさいよ ‥‥ でなきゃ、さっさと病院いきなさい。 銃のケガって結構危ないんだからね ‥‥」
「病院にはいかないよ。銃創ってばれたら、アスカつかまっちゃう。 ‥‥ それに、アスカの腕がよくて助かった。見事にかすってるだけだし」
「肩に包帯まいてたらエヴァにだって乗れないじゃない」
「そうかなあ、綾波なんか全身包帯で乗ってたよ。これくらい大したことないって」
「‥‥ あたし落ち込んでいたいのよ。ほっといてよ」
「ほっとかないよ。以前、声かけられなくて後悔したんだもの」
「なんでよ。いいじゃないのよ。別に。ほっといてよ ‥‥」


いつのまにか壁に耳を当てているミサトとユイ、

「シンちゃん、あと一息!」

こぶしに力が入った。


「それに。アスカ、自分で綾波はげましたばかりじゃないか! 不幸なのは自分だけじゃないって! アスカ強いなあって、感動したのに! それじゃあの言葉嘘になっちゃうじゃないか!」
「そんなに言うんだったら、 あんたはあの女の心配でもしてりゃいいのよ! このバカシンジ! 」

顔を上げて叫んだ瞬間。悲しみを湛えたシンジの目が、 目に飛び込んできてアスカは はっ とした。

「どうしてそういうこというの? アスカの方が心配だよ ‥‥ アスカ、人前では絶対に泣かないから ‥‥ 辛い時でも、他人の前では 泣きそうな顔になってても、絶対に泣かないから ‥‥」
「そんな偉そうに人の事、決めつけないでよ ‥‥ バカシンジのくせに ‥‥ 優しくしないでよ ‥‥ あたし、あんたのこと怪我させたのよ ‥‥ ほら ‥‥ あんた、真っ青じゃないの ‥‥」


「そろそろ、タイムリミットかなぁ? シンちゃんさっさと言わないから ‥‥」
「そうねぇ、レイちゃんの名前だしたりして寄り道するんだものね ‥‥」
「ここは好きだ、っていって一言で終るシーンですよねぇ」
「まだシンジには無理だったかしら ‥‥ わざわざ席外してあげたのに ‥‥」


青白い顔のままシンジは微笑んだ。

「ようやく、元気が戻ってきたみたいだね。他人のこと心配できる程度にはさ」

シンジは明るく立ち上がりかけて、そのまま倒れる。立ち眩み。

「シンジ!」

アスカがシンジの顔をのぞき込むと、シンジは微かに笑って答えた。

「つ、大丈夫 ‥‥ むしろいま本のカドでぶつけた頭の方が痛い ‥‥」

アスカも微笑んだ。膝の上にシンジの頭を乗せて後ろをさすってやる。

「バカ ‥‥ 無理するから ‥‥」

そこへユイとミサトが戻って来た。

「ほら、どいて、‥‥ どう?」
「たいしたことないわ。これくらいならすぐ治る」
「すぐ治るって?」
「文字通りの意味だけど」

覗いてたの? アスカは二人を睨んだが、すぐ顔を背けた。

「ま、いいわ。で、シンジは?」
「あら、自分のことは心配しないの?」
「‥‥ えーと、ほらシンジ死んじゃったら殺人罪になっちゃうじゃない、 それじゃ困るからよ!!」
「シンジ君の全快まで、自宅で謹慎していなさい。 一応、上には報告せずにすましてあげるから」
「すると、おおむね一ヶ月位の謹慎? そんな軽いの?」
「そうね。そんなものかな。その間に使徒でも来たら、 ちょっとレイに負担かかるかもしれないから、それは自分で謝っときなさいよ」

もうすぐあれもできるし。そう思ってミサトが肩をすくめた、その脇で。

「シンジ、起きなさい」
「母さん ‥‥」
「アスカちゃんを助けたければ、この怪我はない方がいい、わかるわね」
「うん ‥‥」
「じゃあ、集中しなさい。この怪我が治っていく様子を、 頭に思い浮かべて強く。はっきりと」
「え ‥‥」
「疑いを持たずに。アスカちゃん助けるんでしょ? そのつもりで必死になんなさい。 そうねぇ、『この怪我が消えてなくなればアスカは助かるんだ!』そう願いなさい」
「うん ‥‥」

シンジの肩の怪我がゆっくりと治っていく。アスカとミサトもそれに気がついた。

「う、うそ ‥‥」
「ま、まさか、」

ミサトはマコトから言われていた零号機再生のことが頭に思い浮かぶ。
ユイはそんな二人を眺めた。

「もちろん口外しちゃだめよ。といっても、喋るはずないか。
それと、だからといって怪我してもいいや、なんて思わないでね。 ちょっとやそっとじゃ出来ないから」

アスカとミサトは神妙に頷いた。ユイは眠ったシンジに目を戻し、

「貧血までは治らない、と。3,4 日、寝てればなおるわね」
「な ‥‥」
「というわけで、アスカ、4 日間の自宅謹慎を命じます」

先に立ち直ったミサトが告げた。


謹慎中のアスカは、ユイから貰った 「惣流 キョウコ ツェッペリン サルベージ計画予備調査報告」 をベッドの上でひたすら読み続けていた。
4 日目にしてようやく読み終り、そのレポートをなげ捨てる。

「ママ。さようなら」

しばらく、その床に転がったレポートの表紙を眺めていたが、

「ん、もう、それにしても下手糞なレポートねえ、 あたしが添削して差し上げましょう」

おもむろにレポートを拾って机に向かった。


ネルフ司令塔に警報音が鳴り響く。

「パターンオレンジ、で例によって使徒じゃないんですけど、 やっぱり使徒なんですか?」
「そうだ。使徒だ」

ゲンドウは表情も変えずに答えた。

「強羅防衛線通過しました ‥‥」
「まあねえ、使徒じゃないもんねぇ。むやみに外で戦う訳いかないか ‥‥」
「葛城三佐。エヴァの用意をしろ」

ゲンドウの言にミサトはつぶやいた。 あらら。零号機でさえまだ直りきってないんですけど ‥‥
さっさと新市に送っといた方が早かったかしら ‥‥

「零号機の修理はどうなってるの?」
「零号機の修理、今、終りました」
「早かったわねー」
「予備のパーツがほとんど一式残ってましたからね。 だから、初号機や弐号機はまだとりあえず動ける、というところまでです」
「じゃあ、零号機の発進準備は進めておいて!」

それにしても五体かあ。あれ使いたいなあ。 もう少し後で攻めて来てくれればいいのになあ。 ミサトは自分でも勝手だなあ、と思うことを頭に思い描いていた。

「‥‥ 仕方ないわね ‥‥ シンジ君とアスカ呼び出して! バックアップに準備! 二人の到着予想時刻は?」
「自宅のセカンドが 10 分、病院で診療中のサードが 3 分!」
「10 分も待っては、くれそうにないわね ‥‥ レイ!」
「はい」
「最悪、出られるのあなただけになるかもしれないわ。ごめんなさい」
「はい」
「零号機準備完了!」
「零号機を先に上にあげて!」

良いポジションだけは取っておきたい。ミサトは思う。

「私、行きます」
「ちょっと、零号機だけで 五体はきついわ。 一応、初号機の用意ができるまでまちなさい」
「敵到着予想時刻を修正します ‥‥ あと 3 分!」
「初号機も、ぎりぎり、か ‥‥」

本部の会話をモニタしながらユイは心を決めた。

「初号機は今どうなってる?」
「まだプールに浸かっています」
「じゃあコアのラインこっちに繋いでくれる?」
「はい」

シンジが本部に到着する。

「エントリープラグ出して!」
「サードチルドレン乗りました!」
「エントリープラグ、初号機に挿入します!」
「‥‥ はあ、はあ、はあ ‥‥ 初号機 ‥‥ 準備完了 ‥‥
ケージからの移動よろしくおねがいします ‥‥ 」

初号機のエントリープラグの中でようやくシンジは一息ついた。
そこへ研究所から連絡が入る。

「シンジ ‥‥ いったん接続を切りなさい ‥‥」
「‥‥ 母さん?」
「初号機のコアを調整します ‥‥」

ユイのいわんとするところを理解したゲンドウは慌てた。

「ユイ! やめろ! 必要無い」
「あなた ‥‥ これこそ、必要のない戦いのはず ‥‥
傷ついたエヴァンゲリオンで出撃させる位なら、私も参加します ‥‥」

ゲンドウは立ち上がって、ミサトを越えて直接命令を下した。

「伊吹二尉。新防衛システムを作動させろ!」
「あれは、まだ」

マヤが抗議の声を上げた。

「レイに誘導させればいい」
「はい。わかりました」

ゲンドウがミサトを見る。

「わかりました。マヤ! あれはどの辺なら使えるの?」
「まだ旧市を取り巻く部分 1 km 程だけなんです」
「レイ、シンジ君。使徒 5 体を旧市に誘導、 旧市外環に広がる LCL の池の上に乗せて!」
「旧市外側の池の上に誘導、わかりました」
「初号機上げて!」

初号機も姿をあらわした。

「綾波、どのことかわかる?」
「あれね」

そちらを見れば、見なれない池、というよりは沼や水溜りが広がっている。

「ん、わかった。じゃ左の方お願い」
「うん」
「来た! ‥‥ それにしても、またエヴァなの?」
「こんどは誘導だけでいいんだから、楽でしょ?」
「で、池まで誘導して、それからどうするんです? ミサトさん」
「それは見てのお楽しみ。大丈夫、 そこまでいったらシンジ君達はほんとに見てるだけでいいから」

二人を見つけた五体のエヴァンゲリオン、いっせいにとびかかってくる。

「おっと ‥‥」

すばやく後退する二人。確かに楽。シンジは思う。

「んー、‥‥ こんなもんでいいですか?」
「そうね、どう?」

ミサトはマヤに尋ねた。

「準備完了。敵 5 体。すべて所定の湧水池の上に立ちました」

マヤも頷いた。

「座標入力終了」
「当該地点、強制シンクロ準備。1 ms 以内に 2000% に達する予定」
「強制シンクロ後世界を新市から隔離、準備完了」
「強制シンクロスタート!」

と、同時に浅い沼の上に立っていたはずのエヴァンゲリオン 5 体がいきなり深い海にもぐり込んだがごとく一瞬で沈む。

「強制シンクロ、切断します」
「敵使徒 5 体 ‥‥ 消滅しました」
「いや。あれは 5 体に分裂した使徒 1 体だ」

ゲンドウが口を挟んだ。

「‥‥ 分かりました。5 体に分裂した敵使徒、全て消滅しました」

5 体のエヴァに囲まれかけていたシンジとレイはあたりを呆然と眺めた。

「な、なんです、これ、ミサトさん」
「簡単に言えば、落し穴よ。 ここを地上からの攻撃から守るだけなら多分エヴァの近接戦闘はもう必要ないわね」

初号機で暗い落し穴に落ちた恐怖を甦らせて、
シンジは敵に少し同情した。うーん、かわいそうに ‥‥
シンジとレイが呆然している時、ようやくアスカが本部に着いた。
アスカを見つけてレイが尋ねる。

「アスカどうしたの?」

黙って顔を背けたアスカを見て、 かわりにシンジが回線をプライベートに切替えて答えた。

「ちょっとね、謹慎中だったんだ ‥‥」
「え?」

少し躊躇したがシンジは思い切って尋ねた。

「零号機のコア、は ‥‥ 綾波のクローンが入っているのか、な? 弐号機のコアにはアスカのお母さんの魂が入っているらしいんだ」

レイは微笑んだ。

「'綾波' のクローン、ね。ありがと。そうよ。'ユイ'さんのクローン、 ただし魂なし、が融けこんでるわ。どうしたのいきなり?」
「アスカがね ‥‥ お母さんを弐号機から助け出そうとして、ちょっと ‥‥」
「謹慎てそういうこと」
「うん」
「ああ、じゃ前のはそういう意味もあったのね。アスカらしい」
「‥‥ そうだね」


「なんかあたし、ここんとこ休んでばっかりねぇ」

アスカがはれてようやく登校した。

「おっはよ!」

レイと目が合う。アスカは目を逸しかけて、なんとか思い留まった。
レイの所へ行く。レイの机に手を置いて。

「レイ。ごめん」

しばらくアスカを眺めていたレイは満面の笑みを返した。

「うん!」

レイが首に飛びついてきて、アスカ、おもわずよろける。

「謝るなんて、アスカらしくないわよ! やっぱり強気でなくっちゃ」

そのままレイはアスカの頭をくしゃくしゃにする。

「やったわねぇ!」

二人のじゃれあいをぼんやり眺めるシンジ。へえ、珍しい ‥‥ いいなぁ ‥‥
翻って自分のことに思いを馳せる。 僕もああいう風に笑える日がくるのだろうか?
父親のことを思い浮かべて少し疑問に思うシンジだった。

「いつのまにか、また、逃げてるじゃないか ‥‥」


次回予告 死人がふたたび死んだ時、最後の歯止めが外れる。 次回、第42次中間報告
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