この話の目的そのものはケロベロスのセリフにあるとして、楽しむところといえば ...
フライでさくらに連れられて飛ぶ知世が平然としていたのと、「乗って!」に一瞬躊躇した小狼。 さくらと小狼の追求に拗ねる苺鈴。アイコンタクトによるさくら〜小狼の連携プレー、 といった人間関係の描き込み、 それとヤマ直前までベタっとした造りから ミラーによる矢同士の衝突という鋭利な持って行き方をした調べが、 いかにも物語ぃ〜な展開になってて、(ちいとあざといかなと言いつつも)見てて心地良かった。
「人間本気でがんばったらなんとかなるっちゅうこっちゃ」じつをいえばこの手の「おまじない(カード)」の類の効用(の存在)を信じるほうである。 理由はケロベロスの言い分とたいして違いはないが ...
「人間本気でがんばったらなんとかなる」 ということは理解していても、この一文を信じることに労力が盛れていると 本題のほうに全力が注ぎ込めない。 「本気でがんばっ」ていてもギリギリの領域で気力が落ちて来ると (心理学でいうところの)合理化というプロセスが働くためで、 「おまじない(カード)」の類は、この合理化というプロセスを働きにくくする役割がある。
「がんばれば出来る」という信念は常に「それは成り立たないかもしれない」 という裏をもつ。 おまじないの場合、「それによってうまくいく」という信念に対して 「それは成り立たないかもしれない」という裏は出て来ない ── そういうことを考えない者だけが おまじないに手を出すのだから。
後者のほうが「(本気で)がんばり続けられる」構造なのは明らかである。