東光寺だよりNo9・1997年3月号

磐余山・東光寺

〒633 奈良県桜井市大字谷381-1
tel&fax 07444-6-2410


****  今月の和尚の詩  ****
    

*** 細 道 ***

                          山内宥厳 信号がかわると 音楽が鳴りはじめる 鉄管のなかに閉じこめられた音で 通りゃんせ通りゃんせここはどこの細道だ なんてこった こんな無神経な音楽を とぼくは腹立たしい気持ちで足早に通過する 障害者を駆りたててあわてさせるためか 行きはよいよい帰りは恐い… 無事に家には帰り着けないぞという気分になる わが庵のある駅で下りると 駅前の舗道のユリノキは 一本残らず枝を付け根から切り払われ 尖端も胴切りされて オブジェともいえずこれは完璧な障害樹 手足も首もなくなったマネキンより無惨に 寒風のなかに立っている こういうことを平気でおこなうのは 人間であることをやめた脳髄の持ち主たちだ 街路樹の枝をいっさい切るべからず という条例を最初に決めたのは徳島市だと いつか毛藤勤治さんが教えてくれて わが故郷をすこし見直したが そのユリノキ研究家の先生も幽明境を異にした どこの細道を抜ければ 私はこころやすらぐ町を見られるだろう
             

*** 人は成熟していくか ***

                                山 内 宥 厳   まだ小学校(当時は国民学校といった)へはいる前のことでしたが、ある日、食卓 で両親の顔を見ながら、このひとたちはいったいだれだろうと、疑問がうかんできたの です。ふたりの顔がやたらと大きく見えたようにおもいます。なんだかはじめて見るよ うなふしぎな感じで、普段はなにげなく当たり前に接している両親が、スローモーショ ンで動いているように見え、ぼくに向かってパクパク口をあけてなんだかいっているの です。  だれだろうこのひとたちは?このひとたちの前に座っている、この自分はいったいだ れだろう、どうしてここにこのひとたちとぼくは一緒にいるのだろう。  あたまのどっかでそんなことをおもっているうちに、「なんにも見てないわよ、博之 は、ねぇ」という母の声ではっとわれにかえったのです。  博之はぼくの旧名です。  父が「なにを見てるんだ!」とぼくにいったらしいのですが、ぼくのたましいはその 間どっかへ引っ越していたようです。そんな経験がなんどかありました。  当時は小学校一年生ではカタカナしか教えてもらえませんでした。ひらがなは2年生 になってから教わるのです。アカイアカイアサヒアサヒなんてのが、最初に教科書にで てきましたが、そんな文字をいくら教えてもらっても、家にある本はすこしも読めるよ うにならないのです。どうして役に立たないことを教えるのだろう、つまらないから学 校へは行かないと母にダダをこねて不登校を決め込みました。  そのうちにお前の知りたいことを教わるからと母に説得され、なんどか校門まで送っ てくれたりして、登校拒否にはなりませんでしたが、ぼくの知りたいことは一向に教え てくれず、もう覚えてしまったカタカナを繰り返すばかりで、死にたくなるほど退屈な 授業に癇癪をおこして、たびたび不登校を宣告しては母を困らせました。ぼくはクラス でいちばんのチビだったので、前列の机を与えられていましたが、そこで自覚をもって 授業を受けた記憶がほとんどありません。関心をもたない授業の時間には夢想にふけっ てしまうのです。  先生の顔を眺めていると、このひとはだれだろう?どうしてぼくはここにいるんだろ う?などと考えているうちにたましいがどっかへ行ってしまい、先生に質問されたり声 をかけられても、からだを揺すられるまで気づかないのです。   クラスのみんながげらげら笑うときは、ぼくがぼんやりしていて先生に指名されても 気づかないときなのです。  指物師になってからも、手は家具を作りながら頭のなかでは全く別のことがいつも同 時進行していました。家長の病気に端を発して赤貧洗うがごとしという一家の困難な生 活が襲ってきて、長年にわたってのたうちまわっていたときにも、もうひとつの脳髄の くらしが書物とともにあって、現前の生活苦を希薄にしていたとおもいます。  胡蝶の夢みたいなものです。  ひとはなにごとかをしているうちになにものにか育っていくのだと考えていますが、 ぼくの意識はいつもがらんどうのふりだしにいるようで、自分はちっとも成長してこな かったように近頃おもいます。東光寺だよりもこのスタイルにして十回目になりました。  つづけているうちに枯渇していくのが書くという作業や編集という仕事だというひと もいますが、継続が積み重ねになって内容がゆたかになるように、もっと夢を見なくて はいけないのかもしれません。
             

*** 高校廃止論 ***

                                    土江正司  教育が荒廃している。教師が悪い、親が悪い、制度が悪いと議論されるなか、臨教審 は中高一貫教育という陳腐としか言いようのない答申を政府に提出した。  そんなことで何が改善されるのだろうか。もっと大きな視点に立ち、大きな改革をな さなければどうにもならない状況にまで、教育は追い込まれているのだ。  明治時代、「国家に資する者を多く排出する」ことを基本理念に学校が創設された。 決して個人や社会の幸福をめざして学校ができたのではない。  終戦という大きな変換期を乗り越えてなお、この基本理念は廃れることはなかった。  様々な教育運動があったにもかかわらず、文部省が頑に方針を守ったのである。  この基本理念は確かに優秀な人材を省庁に集め、日本を加速度的に発展させたとおも うが、今は周知のように、日本の足を引っ張る厄介集団に成り下がっている。  この事と教育荒廃は、学校創設の基本理念に端を発する共通の問題であると、私は見 ている。  「国家に資する者を多く排出する」ためには、試験という選別手段が絶対に必要であ った。今もって高校や大学に入学試験が課せられるのは、その名残なのである。  少しでも名の通った学校を目指させようと競争心を煽っている者の正体は、この大昔 の理念に他ならない。  選別は日本を急速に発展させたが、ひどい歪みを生じさせた。  教育から選別をなくすこと、これが教育改革の切り札である。私はカルチャーセンタ ーでヨーガ講座の講師をしているが、この講座を受講するのに、試験が行われることは ない。無断欠席したからといって叱ることもない、出来が悪いからといって予習復習を 課することもない。  授業中の態度が悪いからといって、廊下に立たせることも、ましてや体罰など考えら れもしない。  相手が高校生でも同じことだろう。  受講の動機が自主的か義務的か、ただそれだけの違いで授業中の態度はがらりと変わ る。  自主的に進学しようと思って受験して、高校なり大学なりに入学するならまだしも、 親の期待や、世間的常識に促されての進学なら、授業中の態度も義務的にならざるを得 ない。  この当然の現象に対して、先生も態度が悪いと叱ったり、何とか卒業させようと励ま したりしなければならないのだから、効率の悪いこと甚だしい。  いっそ高校などなくしてしまえば良いと私は提案する。  そして高校の校舎を生涯学習センターと名称を改め、無試験で、どんな講座もお金さ え払えば、誰でも受講できるようにし、認定試験を経て単位を取得するという制度にす るのである。  そしてある数の単位をそろえれば、大学進学資格が得られるが、その単位の種類や数 は各大学の定めるところに委ねられる。  大学も受験を課すことなく、資格のある者に門戸を開放し、定員を超える場合は先着 順とか、抽選などの措置を行えばよい。  また、学生を学校に釘付けにするのもよろしくないと私は思っている。  義務教育は必要であろうから、中学卒業までは従来通りとしても、中学を卒業したら 就職し、仕事をしながら生涯学習センターに自費で通うというのが、私の提案の二番目 のポイントである。  高校受験がなくなるので、中学も随分のんびりとした雰囲気になるのではないだろう か。  中卒後に、いきなりフルタイムの労働は大変だろうから、仕事五時間、学習三時間程 度が良いのではないだろうか。  年齢が上がるに連れて、労働時間は八時間まで伸びるが、生涯学習という動機づけが しっかりなされれば、一生の間に、高校三年間だけの学習に比べて、はるかに多くの学 習時間を私たちは獲得することになる。  大学は一、二年仕事を休んで、勉強や研究に没頭できるオアシスのようなところであ って欲しいとおもう。  十年に一回は大学で一年間充電するというようなライフスタイルが日本に定着したら 、どんなに素晴らしいだろう。  もしそういう社会が実現すれば、少なくとも親は子供の学費を心配しなくてもよくな る。  四〜五十代の働き盛りにとって、教育費からの解放はそのまま豊かさの実現であり、 自己の生涯学習に取り組む意欲も生まれるに違いない。  また、低年齢、低賃金の労働人口が増えることは、日本経済に何等かの変化をもたら すだろう。  何よりも、子供たちが早いうちから社会を肌で感じ、大人としての自覚を早くから身 につけることに最大の意義を私は感じる。                                パタンジャリ・ヨーガ研究所@松江市/tuchie@web-sanin.co.jp
              === インターネット ===  パソコンをつかいはじめていつのまにか二年が経過しました。インターネットにホー ムページを開いたのが、昨年の六月末のこと。十月に何人見てくれたかわかる表示を出 せるようにしてから、現在1029になっています。毎日10人前後見てくれているよ うです。  昨年はパソコン人口が増えてきて、おたくなんて言葉が死語になってきつつあるよう です。おたくなんて呼称された先覚者に栄えあれ!35万円のパソコンを全戸に無料配 布した過疎村もでてきたりして大騒ぎ。  パソコンが文房具のひとつに過ぎなくなってしまう時代は目前といえるでしょう。  これらの利器は石油とか原発のエネルギーで動いていて、それらは時代を悪化させる 要因としてパソコンで原稿を書いて批判もされたり、パソコンは人間をダメにすると書 くひともいたり、そんなことをこうして書いたりするのがパソコンというもので、みな さんもやってみましょう。                    【宥厳】
       

*** 小山さんちの天然酵母パン ***

                            岡 嶋 美 恵     先日のこと、雪花のちらつく街角でkさんとパッタリ出逢いました。彼女はずーと以 前私のヨガ教室に通って来ていたのですが、5年程前に老人性ウツ病がひどくなって教 室迄出かける気力がなくなったといってやめた人です。すらりと細身で面長の美しい人 でしたが、いつも青白い寒そうな顔をしていて決して大きな声をせず少し前かがみでひ っそりと歩く人でした。街角で出逢ったとたん私はタイムスリップしたような妙な気分 になりました。  目の前の彼女は当時より10才位若返って見えるのです、あれから5年も経っていると 云うのに。ふっくらした頬、明るい表情で元気にしゃべっている彼女は背中もすっきり 伸びていて生き生きと華やいでいるのです。  開口一番“せんせい、あのネ、私はいまだに毎日のように天然酵母パンを焼いている んよ、主人があのパンじゃなくちゃ駄目だと云うもんだから、それに娘達にも送ってや らにゃならんしネ”  酵母パンの種子は同じ教室仲間のAさんが楽健寺から取り寄せて大事に育てていたの を少しわけてもらったものなのです。  毎日大事に手入れしていて旅行に出掛ける時は知人に預け、旅行から帰るとその足で 酵母を迎えに行くのだそうです。  そんな彼女の所へ陶芸作家の黒住さんという方が、Aさんからの紹介で、と云って酵 母の種子を分けてもらいに訪れたそうです、その陶芸家は私の知人でもあるのですが、 そう云えば2年余り前、黒住さんの工房をおとずれた際、手土産に有機栽培のリンゴを 持参したので  「あ、うちの酵母が喜びます」といわれましたっけ。  こうして楽健寺の酵母は親から子へ孫へどんどん広がって、あちこちで元気印のおい しいパンが皆んなに喜ばれています。  こうしているうちにKさんはどんどん若返りウツ病もすっかり消えてしまいました。 酵母はKさんの胃腸に百薬にも勝る効き目をあらわし、パン作りという生き甲斐はKさ んのウツ病を追っ払ってしまったようです。まさに“継続は力なり”なんですネ。  私は終りにKさんにこの詩を贈りましょう。                                        “自然のレッスン”(著者 北山耕平)より    「理想的な食べ方と食べもの」-----------------------------------  その食べものを愛している人の育てたもの  それが最高においしいのです。  愛がその中にエネルギーとしてこもっているから。  料理をする人が   その食べものを同じように愛したとしたら  さらに おいしくなるでしょう。  あなたが どこかの食卓で  料理のお皿をとってくれと頼まれたり  ごはんを よそって あげるときには  惜し気もなく  愛のバイブレーションをこめてみて下さい。  お金が全くかからずに 気分がよくなります。  そう、小山さんちの酵母パンには 愛のエネルギーというスパイスが入っているんで すネ。                                  合掌                             竜游山/楽健寺@岡山     
  =-=- 楽健寺の -=-=

天然酵母パン四半世紀

                                     山 内 宥 厳   天然酵母パンを世に送りだすようになってから、いつの間にか二十二年余がたった。 一九七四年の春、パン屋など、一度も見たことも覗いたこともない私の工房にでっかい パン釜が現われた。  このパン工房は、それまでは木工所で、私は家具やら油絵の額縁をここで作ってなり わいとしていたのである。  その数年前から私は楽健法と食養、ヨ−ガや瞑想などいろんな健康法を実行して十年 来の喘息を克服し、主として玄米菜食をしていたが、玄米を美味しいと思うほど、まだ 玄米食に馴染んではいなかった。   子供の頃から、パンとさつまいもはかならずひどい胸焼けがして口にはしなかったの で、パンとは全く無縁の暮らしであった。人間ながい一生の間には、いつどんなことが おっぱじまるか分かったものではない。  そのころ私は体調回復のために週に三日ぐらいは、大鋸屑を酵母で醗酵させ、砂風呂 のように穴を掘ってほかほかと温かい醗酵した大鋸屑(おがくず)のなかに、首だけだ して埋めてもらう、酵素風呂へ通っていた。  この酵素風呂にゆっくり入ったあとで楽健法をやると、鬼に金棒とでもいうほど筋肉 が楽にゆるんでからだが楽になる。  楽健法をやりだしてわかってきたことは、病気を直すには筋肉の硬さをほぐし体液、 血液の循環を良くしてしまえばいいわけである。  からだが固いということは筋肉が固いということだ。  この考えにたって、病人に酵素風呂の後で楽健法を施してみると、面白いように効果 があがる。  楽健法をやりながら、玄米菜食などの食養が加わると医者も薬も不用といっていいほ どである。   後に楽健法と命名して世に知られるようになった健康法を、当時酵素風呂にはいりに 来ていたいろんな病気で苦しんでいた人々に、私は酵素風呂を楽しんだあとで奉仕活動 としてやらせて頂いたわけである。  楽健法は他力の健康法である。  こころある他人に踏んでもらえば、やってもらうほうはだれでもさして抵抗はないが 、食養を実践するにはそのひとの思想や人生観の質の問題でそれなりの能力をもとめら れる。  玄米菜食などということになると、なかなか抵抗は大きいひとが多いものだ。  病気を治したいばかりに、まずいとおもいつつ我慢して食うという程度の認識力では 、食養の効果はないにひとしい。  玄米と聞いただけで、眉をしかめるひとも少なくない。  ある日酵素風呂でそういう話をしていたら、そこの経営者が、どんな病気でも直って しまうおいしいパンを作れますよと、世間話をしながら口にしたものである。  玄米などよりずっと美味で、消化はよく、腹持ちもよく、胸焼けなどしないばかりか 、便秘もじきに直るというそんなパンだというのである。   まことに耳寄りな話だから作ってみようとさっそく研究をはじめたのであった。  それまで、パンとはなんであるかなどということは考えたこともなかったし、どんな ふうに作られ売られているかということなども、まったく視野の外にあって、あのよう なまずい胸焼けするようなものを買って食ってるひとを見ると、半ば軽蔑していたぐら いであった。  そんな人間が突然パンを作るなどと言い出したものだから、まわりはびっくりしたに 違いない。  数日の間に家庭用の電気オ−ブンから、パン作りの道具一式が台所に輝いたことはい うまでもない。  これから私が作ろうとしているのは、いわゆる天然酵母パンというもので、市販のパ ン屋さんが売っているイ−ストによるパンとは、全くクオリティの違う醗酵食品である 、などということに気付いて愕然とし、現代の食品のさまざまな問題点が見えるように なってくるのはまだすこし先のことだが、私は台所で実験室のなかの科学者のように顕 微鏡まで入手して、天然酵母パンの醗酵と取組みはじめたのである。  一九七二年のことで、世は高度成長期のまっ盛り、まだ自然食品などというのは一般 に関心など薄く、有害食品を並べた大形ス−パが各地に広がり始めた頃である。  パンは世界各地にいろんな種類や作り方があって、地域により風土によってそれぞれ 異なるものであるが、パンとは穀物の粉を水で混ねて蒸したり焼いたものをいう。  大別すると醗酵パンと、無醗酵パンとに分類することができる。  インドで見かける雑穀をまぜあわせてこね上げ、平べったくのばして焼いたチャパテ ィというのは無醗酵パンの代表である。  チャパティにはスパイスを混ぜて焼いたり、家庭や店によっていろんなつくりかたを する。  以前にお釈迦さまが亡くなられたクシナガラの地でお寺に泊めていただいた時の朝食 に、厚さ3ミリほどのスパイス入りのチャパティが、ステンレスの皿に20センチほど も積み重ねて、どうぞとすすめられたことがある。  そこでの朝食はチャパティとチャイ(砂糖のたっぷりはいったインド式の紅茶)だけ で、ほかにはなんにもでてこない.。朝食は毎朝これですとお坊さんが説明してくれたが 、その質素さにずしんと胸をうたれたのをおもいだす。昼になるとライスとカリーを一 皿平らげたらそこの一日の食事はおしまいである。年中この程度の粗食が生涯つづくの だ。午後は食事をとらないのがお坊さんのしきたりである。   さてイーストをつかってふんわりとふくれあがったパンは醗酵パンという分類にはい るが、天然酵母パンの研究の課程でうかんできた疑問は、日本で市販されているパンは なんだかあやしいものだぞということであった。  日本で現在出版されているパンの本には、現代のパンイ−ストを使ったパンは、醗酵 パンとして位置づけられてあって、何の疑問もだれも抱かずにそう思っているが、私が 天然酵母パンと取り組んで、まず気付いた最初の問題点、疑問は、パンイ−ストを使っ た現代のパンは、厳密に醗酵学的な定義からいえば、醗酵食品とはいえないのではない か、ということであった。  パンイ−ストはまたケミカルイーストとかインスタントイ−ストともいわれているよ うに、酵母がある条件のもとで炭酸ガスをだす、そのガスを小麦粉のグルテンに包んで 膨らませる、膨らし粉の役割を担っているに過ぎないということに気が付いたわけであ る。天然の酵母と同じ役割をしているのではないということである。日本のパンは模造 醗酵食品、インスタントパンであるということだ。  醗酵食品とは、その食品に使った材料を、食品微生物が酵素と一体となって醗酵分解 させて、べつの化合物に変化させてしまうことを醗酵とよぶのである。  酵母や麹の醗酵というのは、材料や環境など(温度、湿度、通気性=撹拌したりする) 必要な条件を満たしてやって、材料の醗酵分解、生成に必要な十分の時間をとらなくて は、醗酵食品は出来あがらないのである。醤油を例にあげると完熟までは二年半ほどね かせて熟成させる。  大手メーカーの醤油などは約三カ月から数カ月ぐらいまでで出荷するので、未熟な部 分につく黴を防止するために保存料が必要となるのである。  市販のパンに保存料を使うのも完熟させようのないインスタントパンですぐ黴が発生 するからである。  天然酵母パンの醗酵時間は一サイクル二時間十分。  イーストは約三分の一で製品になるわけだが、こうして自分でパンの研究を始めたお かげで、目からうろこが落ちるようにさまざまな矛盾が見えてくるようになってこれで はならじと普及にのりだしたわけである。                                ** この項おわり ** 参考資料/楽健寺の天然酵母パン4半世紀(2)へ東光寺だより10号 ■天然酵母パン/ページへもどる
                *** 東光寺の月例祭 ***   3月21日 (金) 11時・弘法大師謝恩護摩祈祷   3月28日 (金) 11時・不動明王謝恩護摩祈梼   諸願成就・護摩祈祷   電話Faxでも受付しています。   護摩申込受付中。3千円から。   添護摩は一願につき一本 2百円。  ・家内安全・病気平癒・交通安全・商売繁盛・    東光寺と楽健法にご縁のかたはぜひお申し込みください。   護摩祈祷のうえお札をおくらせて頂きます。                       *** 今月の教室 ***   3月22日(土)11時から護摩供養。   午後1時から東光寺寺子屋・説法・を行います。       昼食接待。   3月23日(日)・楽健法講習会・   10時から楽健法の講義。1時から実習。   講習会費、5000円    電話で事前に申込んでください。    =============== 東光寺だより第9号・おしまい ===========

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