東光寺だよりNo7・1997年1月号

磐余山・東光寺

〒633 奈良県桜井市大字谷381-1
tel&fax 07444-6-2410


****  今月の和尚の詩  ****


東光寺山から耳成山をのぞむ
謹 賀 新 年
 

  

ド ウ イ ウ モ ノ ニ …


                 山 内 宥 厳
 
 
 宮沢賢治の/雨ニモ負ケズ/という詩には、なりたいとおもうような理想の人間像が描かれてい
ると思って読まれているのかどうかわからないが、だれひとりそうはなれまいと思うような人間像
が、サウイフモノニ私ハナリタイと描かれているのだ。
 金子光晴は、=反対=という詩を書いていて、

僕は少年の頃
学校に反対だった。
僕はいままた
働くことに反対だ。

僕は第一、健康とか
正義とかが大きらいなのだ。
健康で正しいほど
人間を無情にするものはない。

むろんやまと魂は反対だ。
義理人情もへどが出る。
いつの政府にも反対であり、
文壇画壇にも尻をむけている。

なにしに生まれてきたと問はるれば、
躊躇なく答へよう。反対しにと。
僕は東にゐるときは
西にゆきたいと思ひ、

きものは左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふということだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きてることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。

 これは金子光晴の=サウイウモノニ私ハナリタイ=であって、彼は雨にも風にも負けずそういうで
くのぼうらしい反骨の人生を貫いて生きた詩人であった。
 ひとはでくのぼうと呼ばれる人間にも、聖人君子にも、なりたいとおもうものにも滅多になれな
くて、下手をするとままならなかった人生が強い我に変じてはた迷惑な人間が完成する。
 ほんとうは、ひとはかくありたしという人間像に向かってひたむきに生きるなんてことは容易に
できないものだ。
 なにごとかをしているうちになにものかに育っていくものである。
 賢治の詩はなりたくてもなれそうにない自分を慨嘆している詩であって、読者も自分はなれそう
にないので安心して共感をもって読むというのがほんとうのところだろう。
 賢治は「そういうものであろうとおまえはしているのか」と、豊かな物量消費生活に埋没してい
るわれらの自己中心主義のいいかげんな生き方に対して、猛省をうながしているとぼくには読める
のである。良い意思をもって生きよと。
 有り難がってお経のように読むなかれ。
 引用した金子光晴の詩は直截すぎるきらいはあるが、光晴も賢治も詩人らしい求道心と、それゆ
えの反骨の批判精神という同じ地平にたっているのである。
 

             *** こ こ ろ  と  か ら だ ***                 岡  嶋  美  恵  みなさん新年おめでとうございます。  今月はウソのようなホントの話をお届けしましょう。  それは私の教室(ヨガ教室)の生徒Sさんの話です。  彼女は三十才前にリュウマチを発病し現在四十才中途の重症リュウマチの主婦です。二年前に開 いた教室に初めて顔を出された時、かなりからだの不調の方がこられても、さして驚かない私も一 瞬たじろぎました。  歩くのもやっと、手足は枯木のようにゴツゴツに硬直していて立居振舞も自由にならない、もち ろん体操なんて出来ようはずもないのです。  でも彼女は帰り際に「お話だけでも聞きに来させて下さい」と深々と頭を下げて帰って行かれま した。以後毎週お休みもなく教室に通ってこられ、私の話を聞く位で帰って行かれました。  そのうち先々月号の東光寺だよりに書きましたように、私は過労病で倒れ一年近くも教室を休ま ざるを得ない状態になりました。  その教室は開いてから日も浅かったので閉講にさせていただくつもりでおりましたところ、リー ダー格のIさんが「先生、私でよかったら楽健法で教室のお守をしておりますので、ゆっくり養生 なさって下さい」との申し出がありました。  以後十ヶ月余 彼女の大奮闘で楽健法教室がはじまりました。  "目を見張る"という言葉がありますが、十ヶ月余りたって久々に顔を出した私は腰を抜かさんば かり、目の玉が飛び出さんばかりに驚いたのです。  あのどす黒い陰うつな枯木のようだった生徒さんが艶々と明るいピンク色の顔をしてニコニコと こちらを向いて会釈なさっているのです。  自分が歩くこともままならなかったあの 生徒さんが、悠然と相棒さんを踏んであげているではあ りませんか。  今風に云えば"ウッソーとしかいいようがありませんでした。  彼女は私の留守中一日も休まず教室へ通って来て相棒のMさんと楽健法をやっていたそうです。  奇蹟はふって湧くものではなく自分の手で、いや足でつかみ取るものだと感じ入ったことでした 。ついでながら相棒のMさんという方は生来の股関節脱臼で片時も体から松葉杖を離せない人でし た。そのMさんも廊下や教室の中は松葉杖なしで歩いているではありませんか。  お二人にとって貴重な一年であったとこころからお喜び申し上げます。  こころとからだ,この不可思議なるもの、こころとからだは一枚の紙の裏表、決して切り離すこ とは出来ません。  こころがかわればからだがかわる。からだがかわればこころもかわる。  リュウマチの Sさんが初めて教室にこられた時、私が丁度「心の扉を開いて」著者・篠原佳年 という本の紹介をしていて話が篠原先生のことにも及んでいたそうです。  =篠原先生は数ヵ月前「快癒力」という本を出されてミリオンセラーになっています=  篠原先生はリュウマチの専門の開業医なので Sさんは早速に篠原医院を探して訪ねたそうです。  そして先生から"必ずよくなりますよ"というお声をかけていただいて、それ以後彼女の世界はマ イナスからプラスへとガラリと変りました。いつもこころの中にどこからか光がさし込むことにな ったのでしょう。  ちなみに医院では診療もなく投薬もなく問診だけだったようです。明るいこころで楽健法に取り 組むようになったのです。  彼女の変貌ぶりを見ていた近所に住むMさんも彼女に影響されてか、どんどん元気印の主婦にな っていきました。  ニワトリが先かタマゴが先かとよくいわれますが、どちらでもいいことです。  こころがかわればからだがかわる。からだがかわればこころがかわることは確かです。  何もかえようとしないでクヨクヨあるいはブツクサ不平ばかり云っている人が一番お気の毒な病 人だと私は思います。  病気をなおすこつは、わるい習慣「こだわるこころ」を改めることが最初のステップですね。  まわりのひとへのうらみつらみをやめましょう。    本年もどうかよろしく……


             *** 磐 余 山 の い わ れ ***                    小 西 辰 典  萬葉集の時代から、後に作られる和歌集や俳諧連歌なども五音句と七音句の組立を原則として 作歌されて行きます。 萬葉集では、長歌・短歌・連歌・旋頭歌(せんとうか)・佛足石体歌(ぶっそくせきたいか)などお おくの歌のスタイルがあります。  特に旋頭歌は柿本人麻呂がよく作っていますが、旋頭歌は初めの三句を詠った後また頭を旋ら せて後の三句を詠うからの名称です。    梯立の倉梯山に立てる白雲    見まく欲り我がするなへに立てる白雲                 柿本人麻呂 (巻7-1282)  梯立の倉梯川の石の橋はも      男盛り我が渡りてし石の橋はも                  柿本人麻呂 (巻7-1283)    こうした音律の部分け(ぶわけ)の外に歌の意味合いから部分けしたものがあります。 雑歌(ぞうか)・相聞歌(そうもんか)・挽歌(ばんか)の三部で、これらの部立の名称は中国の六朝 詩文集の文選から採って来たものです。三大部立と言います。  「雑歌」とは大和朝廷に伝来した雅楽雑楽に合わせて謡(うた)われた歌のことで、宮廷の各種 行事に謡われたものがものが多くあります。  春過ぎて夏来るらし白たへの          衣干したり天の香久山                      太上天皇 (巻1-28)  巨勢山のつらつら椿つらつらに         見つつ偲はな巨勢の春野を                     坂門人足 (巻1-54)  「相聞歌」とは消息を取り交わす意味で、人を想う歌なども入ります。この部立の中に譬喩歌 や問答歌、正述心緒・寄物陳思も入っています。譬喩歌とは、たとえてと言う表現で詠まれる歌 で恋の歌が多いようです。  秋山の木の下隠り行く水の      われこそ益さめ思ほすよりは                         鏡王女 (巻2-92)  味酒を三輪の祝がいわふ杉      手触れし罪か君に会ひがたき                  丹波大女娘子 (巻4-712)  軽の池の浦廻行き廻る鴨すらに       玉藻のうへにひとり寝なくに                    紀皇女 (巻3-390)  「挽歌」とは人を葬むる時に柩を挽く者が謡う歌のことですが、萬葉集に出て来るのは葬送の 歌の外、病中や臨終の作品。死者を追憶追慕する歌など死ぬことに関するものが多く集められて おります。この時代の人達にとっての死とは肉体から魂が抜け出すことだと考えられていました から、挽歌とは呪歌であると共に歌の力によって肉体に強い力を与えて肉体から離れて行こうと する魂を呼び戻したり、魂を鎮めたりしようとして歌われたものであろうと考えられるのです。  魂呼ばい・招魂呪術・魂鎮め・魂振りなど魂を体)にふり憑けるとか遊離して行かないように魂 を鎮め押さえるとか、このような行為は長寿を祈ると共に魂の永遠を願った行為として、魂の呼び もどしを行うために詠われたのであろうと考えられます。  話が長くなりましたが、磐余の道が萬葉時代の黄泉路であったこと。磐余山の山裾を葬列が静 かに通って行った事を前々回の  つのさはゆ石村の山に白栲に        懸かれる雲はわが王かも                    柿本人麻呂 (巻13-3325) で紹介しましたが磐余に関係した挽歌を紹介して、この縁起物語を終了したいと思います。  つのさはゆ磐余の道を朝さらず 行きけむ人の思ひつつ   通ひけまくはほととぎ 鳴く五月には菖蒲草 花橘を玉に貫き   かずらにせむと九月の 時雨の時は黄葉を   折りかざさむとはふ葛の いや遠き萬世に   絶えじと思ひて通ひけむ 君をば明日ゆ外にかも見む                                     山前王(巻3-423)  石田王の卒りし時、山前王の哀傷びて作る歌一首、であるが、或は柿本人麻呂の作なりと言え りともあります。  石田王が薨去した時に山前王が哀しんで詠まれた歌とありますが訳があって柿本人麻呂の作品 とも考えられています。  歌の意味は磐余の道を朝な夕なに女の元に通っていた石田王が、時鳥なく五月)には菖蒲と花橘 を薬玉にしてかづらにしようとし、九月の時雨の降る時には紅葉を折って頭にさそうとされてい ました。  石田王がとこしえに仲睦まじくと思って通っておられた筈ですのに、その貴方が黄泉の国へ行っ てしまわれた。明日からあの世の人と見ることが出来るでしょうか?   もう一首「續日本紀」に浄広弐弓削皇子薨ず。浄広肆大石王、直広参路眞人大人等を遣して喪事 (そうじ)を監護せしむとあります。  文武三年(699年)7月21日の事です。  かけまくもあやに畏し藤原の 都しみみに人はしも 満ちてあれど君はしも  多くいませど行き向ふ年の緒長く仕へ来し 君が御門を天のごと   仰ぎて見つつ畏けど 思ひ頼みて何時しかも 月足らしまして望月の  たたはしけむとわが思ふ。皇子の命は春さけば 植槻が上の遠つ人   松の下道ゆ登らして  国見あそばし九月の 時雨の秋は大殿の   砌しみみに露負ひて なびける萩を玉だすき かけて偲はしみ雪降る   冬の朝は刺し柳 根張り梓を大御手に 取らし給ひて遊ばしし   わが大王を霰たつ 春の日暮し眞澄鏡 見れど飽かねば万歳に   かしくもがもと大船の 頼める時に泣くわれの 母かも迷える大殿を  ふり放け見れば白たへに 飾り奉りてうち日さす 宮の舎人もたへの穂の  麻衣着れば夢かも現かもと 曇り夜の迷へる間にあひもよし   城の上の道ゆつのさはゆ 磐余を見つつ神葬り 葬り奉れば行く道の  たづきを知らに思へども 験を無み嘆けども 奥処を無み大御袖   行き触れし杉を言問はぬ 木々はあれどもあらたまの 立つ月のごとに天の原  ふり放け見つつ玉だすき かけて偲ばな畏かれども                                 柿本人麻呂(巻13-3324)  藤原の京には人々は大勢いるけれども、君と仰ぎ長い年月お仕して来た君頼みとして来た皇子、 春には丘で国見をなされ秋には萩を賞味なされた、雪のふる日は梓弓で狩をなされた皇子、 永遠にお仕したいと思っていた皇子が白麻の喪服の人々に守られて磐余の山裾を神として葬むる ために通って行かれた。月が改まり大空をふり仰いでみたが心にお偲びようもないことよ!(大意)  前回に書いた様に柿本人麻呂が敬愛した弓削皇子が磐余の山裾を通って葬むられたことを偲び ながら歌われた歌と考察出来ます。  この歌の反歌は前々回述べた(巻13-3325)の歌です。  東光寺縁起、磐余山のいわれにまつわる萬葉歌はひとまずこれで終わります。  次からは日本の文化源流の地桜井を散策して「東光寺の存在している土地」の文化の匂いを 紹介したいと考えています。                      === 日本文化源流桜井を展く会会員 ===


      月例祭・Tsukinamisai   毎月21日 11時から・お大師さん護摩祈祷   毎月28日 11時から・お不動さん護摩祈梼   4月と7月は20日27日に変更します。   祈祷は電話Faxでも受付しています。   3千円から。添護摩は一願につき一本 2百円。   護摩木はお送りしますから申し込んでください。 病気平癒の密教加持祈祷   毎週土曜日10時から病気平癒の加持祈祷を行っています。   予約に限ります。午前中のみ。   本人が来られない場合代理人でも結構です。 楽健法講習会   毎月第4日曜日10時から講義、1時から実技。  受講料5000円、昼食は接待いたします。   人数限定のため予約が必要です。         東光寺寺子屋    毎月第4土曜日1時から宥厳和尚の講説。   幅広い話題を展開して生き方考え方を探ります。   参加自由ですが第4火曜日までに申込みのこと。       アーユルヴェーダ研究会   偶数月の第2土曜日、1時から4時まで。   アーユルヴェーダ文献の輪読と解説。   現在は丸山博のアーユルヴェーダ概論をとりあげています。


 編集後記  今年は年賀状は省略して、東光寺だよりを賀状に兼ねることとした。 賀状は年末にあわただしいおもいで書いたものが正月にできたてのような顔をしてやってくる。   ワープロが普及して手書きでないのはそっけないなどということをいうひともすくなくないが、 ぼくは手書き派ではなくて、むかしは印刷を頼みたくても金がなかったのでやむなく仮名釘流の 手書きでがんばっていたのである。  感動する愛読書だって仮名釘流の手書きだったりしたら感動は半減するぞとおもったりする。  手を汚しながら謄写版でせっせと作っていた時代もあって、ワープロからパソコンへと進歩し てきた今日の状況は、まるで夢かと思うほどで、嘆かわしいなどとはつゆおもわない。  嘆かわしいのは仮名釘流のわが手書きであるからだ。  ホームページをこしらえたりしてパソコンに深入りしていると、なんだか死にたくなくなって きた。ぽかっと死んだりしたら、残したパソコンにやりのこした仕事がどうなるか心配ではないか。  あの世にもパソコンはあるかななんておもったらわれながらふきだした。  要するに楽しんでいるのだ。今年も楽しもう!  みなさんもパソコンを楽しんでください!  けれどもテレビゲームに夢中になってるチビどもをみるとなげかわしくおもう。  あっちはいけなくてこっちはいいんです。  似て非なる異文化ですあれは。消化なき消費ですね。  東光寺だよりは、あごをだしそうですが、パソコンが好きになれたからなんとか持続して 脳味噌も回転しているのです。ではまた! ----- 東光寺だより1997/1月 第7号 --- お し ま い -----

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