質問32 「44わのべにすずめ」の詩人ダニール・ハルムスとは?
     
詩に出てくる「チビク」の意味は?


 はじめまして、eと申します。
先日高校の合唱祭で木下さんの作曲された「44わのべにすずめ」を歌わせていただいたんですー!!すごい難しかったけど楽しくって、この歌でクラスの結束がさらに固まったって感じなんですけど、この歌で疑問に思った事があるんです。
歌詞に「チビク」ってあったんですけど一体何なのかご存知ないでしょうか?調べても見当がつかなくって。

e (掲示板書き込みより)

解答 
 これと同じご質問は以前メールでもいただいたことがありますが、そのときは忙しくてお返事しないままになってしまいました。今回掲示板にご質問をいただいたのを機に取り上げることにしました。まず「44わのべにすずめ」というのは、私が'94年に出版した『三つの不思議な物語」(カワイ出版)という組曲の第一曲、アカペラのユーモラスな楽しい内容の作品です。技術的にはeさんもおっしゃる通り転調を頻繁に繰り返すなかなか難曲ですが(興味のある方はCD「祝福」に素敵な演奏が収録されていますので、お聞きになってみて下さい)。
 作者はダニール・ハルムスというロシアの作家で、日本ではわずかな童話と児童詩以外ほとんど紹介されていません。原詩をご存じない方も多いと思いますので、かなり長い詩ですが冒頭の部分と問題の「チビク」という言葉の出てくる一節をご紹介しましょう。

44わのべにすずめ  詩 ダニール・ハルムス  訳 羽仁協子

あるところに1けんの家があった
なかには44わのべにすずめが
なかよく、ゆかいに住んでいた

中略(44わがそろって家事をやったり、食事のしたくをしたり、狩りに出掛けたり、楽器をひいたりする場面が続きます)

さて、もうたくさん
こんどはそろって
チビクへでかけることにした
1わは電車にとびのり
1わはオートバイで
1わは荷車にのっかって
1わは・・  後略

じつは私「チビク」をロシアの地名と思って作曲しました。「ハバロフスク」とか「イルクーツク」とか、最後に「ク」のつく地名ってロシアには多いし、「〜にでかける」という以上、対象は場所と考えるのが自然でしょう。
 でもeさんのご質問をいただいて私もきっちり確認してなかったことに気づき、遅まきながら図書館で世界地図をめくったり、インターネットの有料百科事典で調べたりロシアの項を検索したりしたのですが全く引っかかってきません。それでロシア関係のHPの掲示板で質問を書き込んだところ、非常に多くの情報を得ることが出来ました。情報を提供してくださったのは「ロシアンぴろしき」と「Angie 私設研究所」の2つの掲示板の管理人さんと常連の皆さんです。eさんのご質問にはありませんでしたが、「チビク」を調べる途中で作者についても沢山情報が得られましたので、
以下日本ではほとんど紹介されていない作者のダニール・ハルムスと「チビク」について得られた情報を要約して転載させていただくことにします。
まず作者について。

ダニール・ハルムス(1905〜42)
本名は「ダニール・イワノビッチ・ユヴァチョフ」
Даниил Иванович Хармс
1905年12月13日、ロシアのサンクト・ペテルブルク生まれ。
詩・散文・戯曲・児童文学と幅広いジャンルにわたり著作活動を行うが、公的出版物に掲載されたものは非常に少ない。ロシア・アバンギャルドの流れをくみ、1920年代末にロシア・アヴァンギャルドのグループ、オベリウ(リアル芸術結社)の結成に参加する。“オベリウ”解散後の1931年12月に、児童文学の領域で反ソビエト活動を行ったとして逮捕されるが翌年の6月に解放されクルスクへ追放される。1941年8月23日に再度逮捕され、1942年2月2日に監獄の精神病院で亡くなる。死因は餓死であるとされている。
スターリン時代の粛正の犠牲者。1956年に名誉回復がなされ作品も復活した。
因みに、1988年にハルムスの作品を題材にした『ハルムスの幻想』(原題「スルーチャイ・ハルムス)という映画が旧ユーゴで作られている。

 続いて「チビク」とは何か。これは2つの掲示板から面白い真実がわかりました。
原詩は「44わのべにすずめ」ではなく、「ВЕСЕЛЫЕ ЧИЖИ」(愉快なマヒワ)です(マヒワ=アトリ科の小鳥)。「こんどはそろってチビクへでかけることにした」という邦訳に相当する場所を「ロシアンぴろしき」掲示板のgonzaさんが訳して下さったところによると、オリジナル(もちろんロシア語)では「44ひきの愉快なマヒワは、一家そろって知り合いのズアオアトリを尋ねて行く。」となっているそうです。ズアオアトリとは、マヒワと同じスズメ目アトリ科の小鳥だそうで、ヨーロッパから西シベリアに棲息しています。マヒワという種のスズメの一家が、ズアオアトリという種のスズメ(複数)の住んでいるところへ、乗り物に乗って出掛けていくのです。

 ズアオアトリのロシア語の綴りは「зяблик」でズャーブリク(カタカナ表記がかなり難しい音)となり、この言葉が「チビク」の正体といえそうです。訳詞者の羽仁協子さんはロシア語がご専門ではないので、いったん別の言葉に訳されたものを更に日本語に訳されたと思われます。何度か異なる言語を通過するうち「ズャーブリク(仲間の鳥)のところへでかける」というのが単に「チビクにでかける」と変化したというのが真相のようです。
 Angieさんのロシア語の先生(ネイティブの女性)の仮説によると、『チビク』という言葉はロシア語にはないが、『チビス』という言葉があって、これも小鳥の名前なのだそうです。彼女の話では、この鳥は英語圏でもチビスと呼ばれるそうで、もしかしたら最初にロシア語から英語に訳した人が、原詩にでてくる「ズャーブリク」という言葉ではうまく韻が踏めないなどの理由で鳥の種類を「チビス」に置き換えたのではないか…というのです。今のところ真相は掴めていませんが、面白い仮説です。

 いかがですか?ちょっと掲示板に質問しただけで、これだけの情報を提供してくださるロシア関係者(研究者、愛好家、在住者)の皆さんてとても熱くて素晴らしいと思いませんか。私の中でロシア株急上昇です。もっともこれらの掲示板を知る前にロシア大使館に問い合わせた折には、電話に出た方がとても不機嫌で「ダニール・ハルムスなんて詩人はロシアには存在しない」ときっぱり言い放たれて唖然としましたが。

情報提供して下さった方々
ロシアンぴろしき」掲示板 サトさん Samovarさん 
gonzaさん katzさん
Angie 私設研究所」掲示板 Angieさん Sergejさん ロシア語の先生  

関連情報サイト

http://www.kulichki.com/~yegor/kharms/engl.html
http://www.litera.ru/stixiya/authors/xarms.html
http://www.paulxaoc.narod.ru/harms/harms.html
http://www.klassika.ru:8014/proza/harms/
http://www.litera.ru/stixiya/authors/xarms/zhili-v-kvartire.html

関連文献

「永遠の一駅手前―現代ロシア文学案内」 沼野充義 著(作品社 1989年刊)

02.10.13