2025.02.20
『西洋音楽の正体』 伊藤友計(講談社選書メチエ)
図書館をぶらぶらして見つけた本である。モノフォニー→ポリフォニー→ホモフォニーという流れが一筋縄では行かなかったことがよく判った。つまり、社会的背景がある。とりわけ、キリスト教と啓蒙主義。 1545-1563年のトレント公会議で、過熱化して宗教性を逸脱してきたポリフォニーに対するキリスト教的な制限が議決された。
「神は不協和音程を協和の強調の為にのみ許す。不協和音程はその前にその音を含む協和音程によって準備されなくてはならない。また、不協和音程は必ず次の和音によって協和音程に解決されなくてはならない。」
これを厳守して、作曲したのがパレストリーナである。モンテヴェルディは準備無しの不協和音程を導入して(譜例として Cruda Amarilli の冒頭13小節目)批判されたが、モンテヴェルディ自身は若死にしたので、その弟がこれを第2の作法として反論した。歌詞に付随する感情表現として、準備されていない不協和音程が必要になった、ということである。後にこれが属7の和音となり、しばらくは、この和音だけが特権的に準備なく使われてきて、西洋クラシック音楽の基調となった。しかし、現代ではその他の不協和音も準備なく使われるようになっている。
ラモーは18世紀に『和声論』の中で、I、VI をトニック(T)、V をドミナント(D)、II、IV をサブドミナント(S)とし、基本的な進行を
(K1)T→D→T、(K2)T→S→D→T、(K3)T→S→T(変終止)、
と整理した。根音の進行も整理されて、終結感を表すには 4度や5度の変化が最適であるとした。
11世紀、グイド・ダレッツォは修道院における合唱指導の為に本を書いた。彼は音楽を記述するために横線を使った最初の人であるが、ファの線は黄色で、ドの線は赤を使った。これはいずれも半音下の音がある、ということを警告するためである。彼は、ドレミファソラというヘキサコルコルドの曲を教えるために、左手の各関節に音を割り当てて覚えさせた。グイドの手である。その使い方は独特で、ファに割り当てた関節を再度ドとして、ドレミファソラと読む。そうすると、本来シが来るべきところがシ♭になる。このシはファとの間が三全音(増4度)という最悪の不協和音として知られていて、悪魔の音程とされた。だから、それを避けるために、半音下げるのである。いずれにせよ、こうしてヘキサコルドを重ねて適用するような音楽をムジカ・レクタと読んでいたが、それだけでなく、音程が安定化する時に前の音から次の音の間が1全音(長2度)となるよりも、半音(短2度)となる方が自然に感じられたために、楽譜上の音を実際に歌う時には半音下げて歌うようになり、これをムジカ・フィクタ(可動半音)と呼んでいた。
1558年、ザルリーノの『調和概論』。長短の3度と6度を不完全協和音程とし、長音程はより拡がることで、短音程はより狭まることで協和音程へと移行するのが自然であるとした。長3度→5度、長6度→オクターブ、短3度→ユニゾン、短6度→5度。この際に必ず半音進行があり、これは自然な進行である。後に導音として定着した。ラモーはシがドに必ず移行するものであるから、ソとシの間の長3度を不安定という意味であえて不協和音程と定義した。安定→不安定→安定という予定調和の主役はその不安定を演出する導音である。属7の和音は、導音シを含むだけでなく、シと三全音の音程であるファを含むことで、最強の不安定さの演出となっている。ファは半音下がってミとなる。(短調の場合は全音下がる。)この強力な駆動力を活用するために、自由に使えるようにしたのがモンテヴェルディの第2作法であった。
ギリシャ時代に使われていたのはテトラコルドで、4度を決めて、その間に2音を入れる。便宜上 ラからミに下るとして表す。入れ方には3通りあったらしい。BC4世紀までは、ラファファ↓ミ(エンハルモニック)が支配的だった。↓は約1/4音下げる、という意味である。極めて旋律的である。クロマティックというのは、ラファ#ファミで、全半音と半音の連続で、これも旋律的。最終的に残ったのはディアトニックで、ラソファミ。オクターブを形成するためには、これらを組み合わせる。いろいろあって、半音の位置がどこかによって、名前が付く。ドリアは上から3番目が半音で、ミレドシラソファ、フリギアは、レドシラソファミ、リディアは、ドシラソファミ。
中世になって、8つの旋法がほぼ確立した。ここからは上昇型として表す。開始音と終止音がフィナリスと呼ばれて分類基準となる。更に、レペルクッシオ(朗誦音)がどこにあるかによって二つに分かれる。これは歌われるときに強調される。レを開始音としてラを朗誦音とするのがドリア、ファを朗誦音とするのがヒポドリア。
ミを開始音としてドを朗誦音とするのがフリギア、ラを朗誦音とするのがヒポフリギア。
ファを開始音としてドを朗誦音とするのがリディア、ラを朗誦音とするのがヒポリディア。
ソを開始音として、レを朗誦音とするのがミクソリディア、ドを朗誦音とするのがヒポミクソリディア。
中世期の殆どではこの8つの旋法が使われた。1547年にグラデアーデスの『ドデカコルドン』において、更に4つの旋法が追加された。公認の8旋法以外に非公認で使われていたものを公認すべきであるという主張である。追加されたのは、
ラを開始音としてミを朗誦音とするエオリア、ドを朗誦音とするヒポエオリア。グラデアーデスは、これらを追加する必然性として数学的秩序を持ち出している。ただし、それではシを開始音とする旋法が生じてしまうのだが、それは第5音が三全音という悪魔の音程になってしまうので排除された。ザルリーノが『調和概論』(1558年)で採用したのがこの12旋法であり、それがパレストリーナの音楽として花開く。
長短3度が重要視されるにしたがって、開始音に対する第3音が長3度か、それとも短3度か、ということがもっぱらの関心事となり、長3度の旋法として残ったのがイオニア旋法であった。短3度の旋法としてはドリア旋法とエオリア旋法が両方使われていたが、今日ではエオリア旋法が自然短音階となっている。経過的な例として、バッハの無伴奏ヴァイオリンの為のト短調のソナタ(1番)では記譜上はニ短調(♭一つ)になっていて、ミ♭は臨時記号として頻繁に登場しているから、短調をドリア旋法として扱っている。18世紀前半までは、12の旋法と24の長短調が併存していた。主音が絶えず意識され、そこから離れたり引かれたりする音楽。(そもそも音の高さというものに関心がある。)
ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』は大きな影響を与えた。冒頭の有名なトリスタン和音(ファシレ#ソ#)は、それほど不協和にも感じないが、行き先が不明でありながら不安定な和音。他にもよく使われる和音として減7の和音(シレファラ#)がある。これは短3度を積み重ねたもので、向かうべき主音がはっきりしない。これらは更に他の不協和音へと一時的な解決を図ることが出来て、永遠に未解決のまま続けることができる。近代フランス和音による調性の拡大に影響を与えた。無調への試みは、調性音楽以外の可能性の探索である。
リスト 『調性のないバガテル』、リヒャルト・シュトラウス『オペラ エレクトラ』Harmony というのは一つの旋律線の中の隣り合う音の調和であった。これが8世紀頃から多声化して、同時に鳴る音同士の協和不協和が問題となり、ザルリーノの段階では、並列する旋律の調和を図るという目的が先にあって、同時になる音の間の音程が問題とされたのであって、モンテヴェルディにおいても、あくまで不協和音程の使い方の革新であった。これが、逆に同時になる音を和音として捉えなおし、旋律線の方が和音の進行(和声)に支配されると捉えなおされるまでには時間がかかっていて、それを体系化したのがラモーである。
そこで表立って論じられたのが、和音の転回である。ドミソの第一展開はミソドで、第二展開がソドミである。これらを基本的に同じ和音として考えている(使い方には制約がある)。これを準備したのは、17-18世紀におけるギター系の楽器の普及であった。ギター系の楽器では同時に鳴らせる音程に制約があるので、オクターブ移動することが多く、どのような場合にオクターブ移動が不具合に聞こえるのか、ということが研究された。カンピオンの『オクターヴの規則』という書物がある。その流れの中で、和音が和音として独立して認知されるようになった。数字付きバスが和音記号へとまとめられた。
ラモーは和声という概念が旋律に先行することを宣言したのであるが、そこに至るまでにはドイツにおける理論的な進展があった。ザルリーノを引き継いだカルヴィジウス、同時に鳴る音をその転回の如何、あるいは音の欠如にも関わりなく、同じ和音として認識したアヴィアニウス、転回を明示的に語ったハルニシュ、に引き続いて、神学理論と三和音を結び付けて理論家したリッピウス。志向すべき調和の世界としての Trias Harmonica である。この観点から、彼は当時の旋法を主音と第3音の関係(長3度か短3度か)に注目して分類した。ラモーは7の和音においてもその第三転回形を考えた。(ソシレファであれば、ファソシレ。)「音楽には完全和音(三和音)と7の和音しかなく、骨格だけを見れば、これらの和音が経時的に並べられているものである。音楽の多様性はそれらの和音が転回されることによって生み出されている。」
終章 音楽と自然
ラモーの『和声論』は西洋調性音楽の総決算であった。背景には17世紀の科学革命から18世紀のフランス啓蒙思想による自然観がある。実験と数学を用いて自然現象を原理へと還元し、それまでの神学的説明を置き換える。これを音楽という分野に適応したのがラモーであった。多くの人達がラモーの音楽自然論を批判した。ベルヌーイ、オイラー、ダランベール、ルソー、ヘルムホルツ、シャーロウ、、。
・ラモーによる和音の正当化には第7倍音以上が考慮されていない。
・短調は上方倍音系列では説明できない。
・そもそも自然倍音というのは特別な状況でしか観察されず、自然界に満ちているのは倍音系列から外れた雑音である。
つまり、音楽は自然な現象ではなくて、人間が文化的な経緯から選択したものである。
・とりわけ自然は音階を作らない。和音も作らない。
歴史的には単旋律の使用から旋法や音階が紆余曲折を経て確立した上で、複旋律の響きから音程が問題となり、楽器の都合で和音が独立して意識されたのであるが、ラモーはこの歴史的プロセスを逆転して、倍音列から和音を作り、その音を集めて音階を作ったのである。