ウォルター・マップ (Walter Map 1135年頃-1209)
については、たとえば英国妖精研究家の雄キャサリン・ブリッグズもその著書の中で次のように書いています。
- ヘンリー二世に仕えた歴史家のウォルター・マップ・・・は、妖精に関するもっとも古い文献を残している一人だ。マップの「向こう見ずのエドリック」の影響は、十九世紀にいたるまで、かすかながらも見られた。騎士エドリックの妻になった妖精の乙女のことが詳細に記されており、この妖精妻は、いまのウェールズのフォークロアにもよく出てくる。
- 「ブレックノック湖の妖精妻」の話は、いまの伝承にさらに近い。マップは、フェイの娘メリュジーヌを妻にした話や、死者の群から妻を救いだす話も採録しており、後者は、のちの、妖精界から人間を救いだす話にとてもよく似ている。ヘンリー二世の治世一年目にいたるまでヘレフォードシャーとウェールズの境で見られたという、ブリトン人のヘルラ王の華麗な騎馬行進の話もマップをとおして伝えられている。マップはヘレフォードシャー生まれであるが、ノルマン人だった。そのためか、彼が採録した話の中には、悪魔の女と結婚したノルマンディーのヘノ・クム・デンティブスのように、ブルターニュかノルマンディー生まれのものもある
(Katharine M. Briggs, 『イギリスの妖精』8-9.)
ウォルター・マップは19世紀に至るまで、主にラテン語の戯れ詩とフランス語のロマンスを書いたことで有名でした。しかし、今日、彼の名声は『廷臣の小話(De
nugis curialium)』という歴史的人物の評伝によって高まっているのです。彼はイングランドとウェールズの国境地帯に先祖代々住む家系に生まれた聖職者で、ヘレフォードとロンドンの司教であったギルバート・フォリオとヘンリー二世に仕えました。
また、『廷臣の小話 (De nugis curialium)』は、ブリトン人の頃からアングロ・サクソン人のブリテン島移住、さらにはノルマン征服なども扱った、「裏英語史」ととても関連する文献ですが、上記ヘルラ王が見られたという記録は、ヘンリー二世の戴冠の年までというから1154年まで見られたことになります。ヘルラ王はその時、ワイ川(the
Wye)に入っていったのを見られている、とマップは記しています。それが「ワイルド・ハント」が見られた記録としては一番若い、一番最後の記録、ということで妖精好きの人々にとっても重要な記録文書なのですね。