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初期近代英語 early Modern English
近代英語の要因 > 再び | |
スペリングと音韻変化について > gvs | |
1. 印刷技術 ヌ ヨーロッパ全土に波及、その影響大
英国には1476年William Caxton によってもたらされる ヌ 写本は、一世紀もたたぬうちにその姿を消し始める= これは大変革だ!
印刷本:多くの人の手に渡ることができる + 全く同じものが何千部と作ることが可能!!! > だから?
2. 教育は、中世末期になると大変盛んになり、中産階級の人ならばすでに読み書きができたことがわかる。 > だから?
3. 交通の発達=人的交流の増加 ヌ 英語という言語の流通を促した
国内においては、物流がスムーズになることで、書物の流通 教育の普及 が進む
つまり・・・
+
↓
言語の地域的特徴に対してマイナスの力が働く
‖
「標準語」の確立を容易にした
国外においては、英国の海外進出によって、英語話者あるいは英語使用者の人口を増加させた
(インドをはじめ世界中に帝国主義政策による植民地進出した結果として、現在の英語使用の普及を促した)
交通の発達・教育の普及は、その他に どんな結果をもたらしたのだろう?
4.新しい知識の拡大
交通・交流の活発化、教育の普及、科学・研究の発達によって、人間の知識が拡大し、新しいモノが生み出された。
例)古いところでは、新大陸発見(アメリカ、オーストラリア;canue,boomelang, cangaroo)、新しいところでは宇宙への進出や生物科学(space ship, DNA)など、語彙が増えているのです。
新しい製品、専門用語の増加 ヌ 英語語彙の急激な増加(英語には、借入に対する柔軟な姿勢があったことも忘れてはならないだろう)。
5. 言語意識が高まることの重要性
↓
+
自分たちが無意識に使っていた言語というモノに対する関心が高まる > 「本当にこんな言葉遣いでいいのか? 綴りはこれでいいのか?」など
それまでの自由な変化に抑制力が加わり、文法の画一化、標準英語の確立、といった現象を産むことになる。
スペリングの問題と音韻変化:
1:William Caxton (c. 1422-1491)その他の印刷業者の英語の印刷本により、だいたい固定されていった。もっとも、Caxtonは、ME末期の写本に伝統的に使われていたスペリングを採用して印刷本を作った。だからCaxtonの印刷のスペリングはCaxton自身から見ても、旧式のものだった。
もっとも現代英語になってからも母音に規則的な変化が現れ、スペリングと発音との間のズレはより一層大きくなる > キーワードは GVS
また
2:1500年以降は、ラテン語やフランス語からの借入語の語源を明らかにするように、借入語のスペリングを改めた。ME dette はOF detteからの借入語であり、Chaucerのなどもdetteと綴っている。ところがこれはラテン語のdebitum が語源だと言うことで、ラテン語のdebitumにある b を英語のスペリングの中へ挿入してdebtと綴った。同様にME doute はOF douter から借入されたものだが、ラテン語 dubitare が語源だからと言うので、-b-をスペリングに入れてdoubtにした。もっと甚だしい例は、「食物」という意味の ME vitaille で、これはOF vitaille(s) からの借入だけれど、これもラテン語の victualia の-c-を入れてvictualというスペリングである。それでも発音は[vitl]のままだ。
もっとも fault (ME faute < OF faute < L *fallita)、perfect (ME parfit < OF parfit, parfeit < L perfectus)のようにスペリングの影響が発音に及ぶものもある。
初期刊行本=incunabulaという。搖籃期本。1501年より前の印刷本。なかでもグーテンベルクの「42行聖書」は有名。印刷技術、いわゆる活版印刷は1450年頃マインツのヨハン・グーテンベルクが発明したと言われている。ブドウ絞りを改良したプレス、油性インクと鉛合金の活字の組み合わせによってこの技術は生まれた。彼はDonatusの学校文法書、暦や免罪符の印刷出版で試行錯誤を繰り返した後、1454-55年頃、修道院のミサなどで使用する大型でなおかつ豪華すぎない2巻本のウルガタ聖書を印刷した。当時のドイツでは写本造りの際ゴシック体が流行していたが、それを活字に用いたり、朱を印刷や手書きで入れるなど、外見は中世写本に見えるように腐心した後がある。ある種の人々には印刷術は悪魔の技とみなされたようで、そのような非難から護身用に写本と同じく見せる必要があったのかも知れない。実際その緻密さ故に、写本そのものと誤解された例すらある。カンタベリー大主教のランベスという名の宮殿には一冊の「42行聖書」が保管されている。これは15世紀ロンドンで流行していた豪華な写本装飾が施されているので、長い間写本と考えられていた。1812年の写本目録でも「ランベス写本15番」として登録されている。そんなわけで、初期印刷本は、一冊一冊がやはり、全て若干ずつ異なっていることが分かる。その本は、全てカタログ化されており、Short Title Catalogueとして現在レファレンスブックとして出ている。
大母音推移 (The Great Vowel Shift; しばしばGVSと略記されることがある)
中英語末期から初期近代英語にかけてすなわちおよそ1400-1700年の期間(学説によりさらに長期になるという考えもある)に強勢を持つすべての長母音は、どのような環境に於いても、以下のように変化をした:
非高母音(a, e, o)が、上昇し、高母音(i,u)が二重母音化するという変化を受けた。
結果
[i:] > [ai] child, light, wife, write
[e:] > [i:] deep, feet, see, sleep, street; believe, chief, field, grief
[E:] > [i] dream, heat, meat, sea, stream
[u:] > [au] bough, cow, house, tower
[o:] > [u:] food, fool, loose, moon, root, soon
[O:] > [ou] home, noble, stone, boat, coat, oak (MEの[O:]は、OE [a:]から)
[a:] > [ei] haste, name, take
このようなGVSの結果、量的相違から質的相違に変化した派生形、屈折形
最も分かり易い例はchild - children でしょう。child はGVSより前は長母音 [i:]を含んだ語でした。つまり「チールド」のように発音されていたのです。古英語「チルド」から中英語直前の-ldによる長母音化が起こり、その後GVSによって[i:]>[ai]と母音が二重母音化し「チャイルド」になるわけです。一方、もともと複数形childrenは、短母音[i]を持っていましたが、これはGVSの影響を受けませんでした。
つまり、以前は[i:]-[i]という長短の区別(音の量が違う)があったのが、[ai]-[i]という音の質が違うことで区別するようになったのです。
同様の例は数多く見られます。
bible-biblical, decide-decision, describe-description, divine-divinity, wise-wisdom, hide-hid, light-lit
brief-brevity, deep-depth, serene-serenity, shieep-shephert, zeal-zealous; mean-meant, read-read
chaste-chastity, nation-national, nature-natural, pale-pallor, profane-profanity, sane-sanity, shade-shadow
cone-conic, harmonious-harmonic,holy-holiday,know-knowledge, nose-nostril, slow-sloth, telescope-telescopic
abound-abundant, flower-flourish, profound-profundity, prnounce-pronunciation, south-southern, tower-turret(建物、塔などの一角から張り出した小塔)
food-fodder(家畜のまぐさ、飼料), fool-folly, goose-gosling, poor-poverty, school-scholarm lose-lost, shoot-shot
以上の例から、元の音はどういうものだったかを推測してみて下さい(^-^)
子音:
あまり目立った物ではないけれども一つ、重要な変化があります。それは南部方言に見られた語頭の摩擦音が有声化するというものです [f]>[v], [s]>[z]。今日vixenというのがキツネfoxの複数形として存在しますが、これはその名残ということができます。
中英語の摩擦音が消失する現象も起こりました。
[v]+子音の/v/:lavrd > lord, hevd > hed/head, OF povre > ME povre > ModE poor
語頭の子音連続における/h/:OE hlud > ME loude OE hring > ME ring, OE hwaet > ME what
語中でghとして表されるドイツ語のch[X, c]に当たる音:night, bright, fight, light, high, nigh, thigh
plough, thorough, daughter, thought, laugh, rough, draught,
語末の
の音が消えた:ic, everiche > I, every
初期の古典語と英語との競合
英語は、今でこそ国際語とかなんとか言われているようですが、しょせんはヨーロッパ大陸の外にある島国で使われていた「辺境の言葉」でした。
だから、何か素晴らしいことを言ったり、書いたりするときには、英語なんかではなく、フランス語か、いや、もっと高尚なラテン語で、いや、さらに素晴らしいギリシャ語で書かれたりしたのです。
次のSir Thomas Elyotの言葉に集約されるかもしれないです。彼はいくつかの書物に自己の英語に対する態度を表明していますが、Doctrinal of Princes (1534)の中で、「この小さな本はギリシア語から翻訳したものですが、それはひとえに次の望みに答えるためでした。すなわち英語は、ギリシア語で表明された生命力に満ちた、適切な文章を持つことができるかどうかを試したい、という望みです」この言説はいささか謝罪の意味をも含んだものなのです。どうやら、ラテン語やギリシャ語で読んだり書いたりすることを期待されている人々が英語を用いるときには、批判を受けることを覚悟していたように見えます。そこで彼らは自分たちが英語なんていう野蛮で、粗野で、未熟な言語を使って書物を書くことを正当化しなければなりませんでした。
そのような人物たちの代表者が「リチャード・マルカスター」という人物です。
自国語の推進者としてのマルカスター:「我々自身の国語の中にラテン語に劣らぬ宝が埋もれていることに気付きさえすれば、莫大な時間を損することもなくなるのに、学問のためとはいえ、莫大な時間を掛けて、ほとんど一生の間我が身をラテン語に縛り付けるとは、いやはや何という隷従の身であろうか。我々の国語には、我々に自由と独立を与えてくれる喜ばしい資質があるのに、ラテン語は我々が隷属と束縛のみであることを思い出させるだけではないか。私はローマを愛しているが、ロンドンをさらに愛している。イタリアを好きではあるが、イギリスはもっと好きである。ラテンご尊敬するが、英語は崇拝してやまない」(p. 249)
正書法の考案者としてのマルカスターの意見。
辞書の推奨者:もし誰か非常に学識のある非常に勤勉な人が、本来語であろうと借入語であろうと、英語の中で用いられているすべての単語をすべての職業から、学問的職業からもそうでない職業からも、集めて一冊の辞書を作り、アルファベットによる正しい綴り字の他に、単語本来の意味と正しい用法をその辞書の中で我々に説明してくれた . . . 、それは非常な称賛に値することであり、賞賛に値するのみならず、有用なことであると私は思う。
この言葉が完全に実現するには、まだもう少し時間がかかりました。でも、この発言は、当時の人たちの考え方をよく表しています。
つまり・・・
「正しいスペル」とか「正しい用法」をあまりきちんと教えることがなかった ということですね (^^;;;。
だからこそ、マルカスター先生は、その必要性を説いたのでした。
1. 教育関係者、高等教育を受けた人々:独自の綴り字を案出し、そこには個々人においてシステマティックなスペリングが見られました。
2. 劇作家、詩人たち:彼らは綴り字にはあまり意識的な関心は示さず、もっぱら自分の作品の内容にのみ精神を傾注しました。
3. 活版印刷業者、印刷職人:キャクストンに始まる印刷者=執筆者という伝統は、彼の弟子ウィンキン・ド・ウォードに至り徐々に失われていきますが、さらに時代が下ると、文人と印刷職人とは分業化され、文人の綴りに対しては職人側が手を加えていくことになります。単純に考えて、同じ単語をいちいち違う綴りにするのは、職人の手を煩わせることが多かったことでしょう。
- まだ、この近代英語初期においては、綴り字に関する統一ははかられませんでしたが、将来的にはある程度の正書法が確立するかもしれない、という予想はできます。もっとも、現代においても実は完全に統一が図られているとはとても言えるものではありません。
- たとえば、ウィリアム・サファイア氏によって「世界でもっとも影響力のある辞書学者」と呼ばれたロバート・バーチフィールドでさえ、その有名な著書 The English Languageの中で、規範文法学者たちについて語り、彼らは 'innovation as dangerous or at any rate resistable' だと思っていたと書いています。が!最後の語は 'resistible'と書くのが現在の標準用法ですね(Bryson, Mother Tongue, 111)。
- デヴィッド・クリスタルという著名な言語学者はThe English Language の中で「たった400語しか、不規則なスペリングはないと言っています」ビル・ブライソンも言うとおり、「(え、たった?)」ということになりますね。
- スペリングと発音との齟齬についても一言、ビル・ブライソンの傑作本より引用しましょう。
「26文字のアルファベットの中に、一文字だって発音が一つだけのものなどありません。たとえば、race, rack, rich の c のように一文字の中にあらゆる音をかき集めようとするものもあったり、 debt の b、bread の a、thistleの二番目の t などのようにむっつりと押し黙る黙字もあります。
さらに順列組み合わせによって、アルファベットはほとんど不統一、予測不可能なものとなっています。たとえば ough という組み合わせを考えてみましょう。以下のとおりです:through, though, thought, tough, plough, thorough, hiccough, lough (最後はアイリッシュ・イングリッシュで、湖, lochを指します。発音はlochとほとんど同じです)。このどれもすべてが異なる発音なのです!!
スペリングから見てどう発音すべきか、ということになると、たとえば、chough という語は、ネィティブ・スピーカーの中にだって自信を持って言える人は百人に一人もいないでしょう。これは'chuff'「チャフ」という感じになります。
英語の中の、hegemony、phthisis は、それぞれ9通りもの発音があるんです!
でも、英語の発音とスペリングについて、そのばかばかしいほどの不統一を語る際、次のことほど、それを象徴的に表すものはないでしょう。orthoepy という単語、これは正音法(学)という意味ですが、なんとこれに「オーソウアピー」と「オーソウアピー」(赤字のところを強く読みます)という二通りの読み方があるのです!
His-genitive:中英語においては、所有格語尾 -es にはアクセントがなかったわけですが・・・
メ
綴り字、発音、ともに -is, -ys となることが多かったということです。
そうは言っても、綴り字で -es と書かれている例はいっぱいあります。
でも現代英語に慣れていると、「's」ではないので、見づらいかもしれませんね。「deofles」は現代ならば「devil's」と綴るような語です。
Þe lecchurs i þe deofles curt habbeð riht hare ahne nome . . . (かの悪魔の宮廷に、その悪しき者たちは自分たち自身の名前を連ねている)
(Ancrene Wisse, l. 71. Cited in A Book of Middle English. 2nd ed. Ed. J. A. Burrow and Thorlac Turville-Petre (Oxford: Blackwell, 1996): 110.)
一方、現代英語ならば、「's」とはならないような場合も、属格語尾を使って所有格を作りました。次の「kinges」は複数ではなく、所有格です。
a mihti kinges luve(偉大な王の愛)(直訳すると「a mighty king's love」です。でも現代英語ならば「love of a mighty king」 とするところでしょうね)
(Ancrene Wisse, ll. 56-57. Cited in A Handbook of Middle English. Ed. Fernand Mosse. Tr. J. A. Walker (Baltimore: Johns Hopkins UP, 1952): 142.)
それに対して、ちょっとややこしような例も見られます。「his lordis」は、「彼の主人の」という意味です。
Quhethir he his lordis neid sul let,
And pay fryst that he awcht, and syne
Do furth his lordis commandyne;
(彼は自分の主人の必要を無視して、払うべきものを払って、
その後、自分の主人の命令に従い続けるべきであろうか)
(John Barbour (1325?-95), The Bruce (1375?), BookI, ll. 254-56. Cited in A Handbook of Middle English. Ed. Fernand Mosse. Tr. J. A. Walker (Baltimore: Johns Hopkins UP, 1952): 272.)
その一方、次のような表現も中英語に見られました。
a child hys brouch "a child's toy". (子供のおもちゃ)
これは、発音としては a childes brouch と同じ事になるわけです。
このように属格語尾を離して書く場合、その形を 「His-所有格」と云います。
一方、この用法は初期近代英語で、一時期支配的になったようで、
シェイクスピアも次のように使っています。
'Gainst the count his falleys I did some service
(私は侯爵の軍艦に向かって戦っていたのです)
本来は、
「countes」
と綴られたり発音されたりして 属格語尾-esを伴った所有格の形だったのに、
それがわからなくなってしまった人々がいっぱい出てきた結果、大きな誤解が生まれたのです。無教育な人たちは、この his という所有格を表す部分がついているのが本当で、「countes」というのは、「count his」の縮まった形だと誤解したため、
the count's
などのように書き表されるようになりました。
「〜の」というときに、今でも -'s と書くのは、その名残です。
もっとも、ジョンソン博士 (Dr Samuel Johnson, 1709-84)もいうとおり、
a woman's beauty, a virgin's delicacy
などというときは、女性なんだから
所有格語尾が、his つまり「彼の」の縮まった形とはとても考えられませんけれど。
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