954 鷲原八幡宮の流鏑馬−2004

 

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4月11日、日曜日。3年ぶりに津和野の鷲原八幡宮の流鏑馬に行ってみました。流鏑馬はもともとは、走る馬上から弓を射る戦闘術でしたが、その後様式か整えられ、天下泰平・五穀豊穣を祈る神事としての武芸となりました。

鷲原八幡宮は津和野のはずれにある、室町時代からの神社で、毎年4月の第二日曜日に、小笠原流の古式にのっとった流鏑馬が奉納されています。

 

 

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流鏑馬は午前11時と午後2時の2回。まずは流鏑馬の奉納と無事を祈願してはじまります。
右の写真左の室町時代の服装の若者が、やがては32代の、小笠原流を継ぐ 清基さんです。5,6年前は初々しい青年でしたが、だんだんかっこよくの男になってきました。風のように駆け抜けての姿は、飛び抜けて華麗です。

3年ぶりに行って驚いたのは、観光バスも殺到で見物人が増えたことです。かつては、1mに1.5人くらいで並んでのんびり見物できたのに、押すな押すなの人垣でした。


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流鏑馬には弓を弾く乗り手以外にも、日記奉行などさまざま役割の人が関わっています。馬場末−馬場元の間の女埒側(めらち)、 馬が走るのはロ−プ(埒 男埒と女埒)に挟まれた、巾約1mの馬場=さぐり。150間、約270mあります)を歩いての、王朝絵巻の行進です。

 

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左:あやい笠に、鎧直垂、重藤の弓に、鏑矢、鹿皮の行縢に、・・・の鎌倉時代の正式な装束。動きにくく、弓は強く、矢も長く、矢は背負うので弓につがえるのが難しく、相当の腕前の乗り手の装束です。右上は軽快に動ける狩装束


武者姿は、ともに、笠原流の御曹司、小笠原清基氏。


95414.jpg (31806 バイト) 安土(あずち:弓の的を置く土手)に54cm四方の杉板の的がセットされ、馬場の安全を確認して、馬場末で白の扇、馬場元で紅の扇が、挙げられて、馬が走り始めます。

という流鏑馬。目の前を通りすぎるのはほんの一瞬です。普通のカメラだと自信ありですが、今日はデジカメで挑戦してみました。

私のデジカメはオ−トフォ−カスで芸のない簡単デシカメなので・・・・。
3枚連写にして、目的の場所にくる時間を予想して、先にシャッタ−を押して、カメラを握った右手だけそちらに向けて、写してみました。
カメラはあさっての方に向けて、ただシャッタ−を押すだけ。流鏑馬は目で追ってちゃんと見て。してみました。


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馬場元をスタ−トした馬は、150間を駆け抜けます。この間に3つの的に矢を射かけます。一瞬でも動作がとどこおると矢が当たりません。3の的に命中した瞬間。拍手歓声が自然と湧き上がります。



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最後に無事を感謝して流鏑馬神事が終わりました。

 

5.6年前は乗り手が少なく、同じ人が2.3度騎乗しましたが、今年は20人以上の乗り手での流鏑馬。地元の津和野高校の生徒の時は大きな拍手がおきていました。
なぜか午前と午後の2回とも見てしまった、王朝絵巻の感動の、津和野鷲原八幡宮の流鏑馬です。

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