これまで中国のSF史を概説してくれる適切な読み物は、あまりなかった。かつては貴重な資料として、刊行されるや、むさぼるようにして読み、あわてて年表づくりに励んだ人も多いであろう、葉永烈氏の評論集『科学文芸』(科学普及出版社、1980)および同氏「中国科学幻想小説発展史」(『科学幻想小説創作参考資料』3、1981、掲載。拙訳「中国SF小説発展史」、『イスカーチェリ』27,28、1986、掲載)、そして蕭建亨「試談我国科学幻想小説的発展」(黄伊主編『論科学幻想小説』科学普及出版社、1981、所収)なども、もちろんまずはじめに読むべき資料だが、いまでは本来の役目を終え、古典となったといってよいだろう。
1997年には、続けざまに、古典小説研究家である欧陽健氏の単行本が刊行された。『晩清小説史』(浙江古籍出版社、1997)、そして『中国神怪小説通史』(江蘇教育出版社、1997)の二冊である。
「晩清」というのは、日本では清末という言い方が一般的かもしれない。この時期の小説については、阿英の『晩清小説史』(邦訳は飯塚朗・中野美代子訳『晩清小説史』、平凡社東洋文庫)が古典である。似たようなタイトルの通史は、いくつか刊行されていたが、いまひとつ、阿英を突破するという意味においては、物足りなかったような気がする。今回刊行された欧陽健の同名の書は、中国SFファン(あるいはクールな関心を抱いているもの)には、なかなかおもしろい本だろう。
清末の小説には、SF的成分が多い。阿英の本にも、「科学小説」に触れた部分がないわけではないが、つっこんだ考察は加えてはいない。欧陽健の『晩清小説史』は、浙江古籍出版社の「中国小説史叢書」の一冊であるが、読みようによっては、一冊が清末SF史とも言えるものなのだ。
まず扱われている作品に特徴がある。SF作品としては、梁啓超『新中国未来記』、呉p人『新石頭記』、蔡元培『新年夢』、海天独嘯子『女゙石』、陸士諤『新三国』『新水滸』などが、正面から扱われ、多くの紙幅が費やされているのだ。
『晩清小説史』が時代で区切った小説史であるとすれば、『中国神怪小説通史』のほうは、テーマで縦割りにした通史である。中国文学を専攻しているかたには、いまさらであろうけれど、中国人が文学史を語る際に「神怪小説」や「神魔小説」などと呼んでいるジャンルは、『西遊記』や『封神演義』のようなたぐいである。魯迅は「神魔小説」というタームを使って、特に明清の通俗小説のこの種のものを総括した。最近では、「中国神怪小説大系」「十大古典神怪小説叢書」などというシリーズものも出ていて、なかなかの人気である。広い意味では、荒唐無稽が売り物の武侠小説や怪談のたぐいまで含まれるだろう。武侠も神怪も、中国では、おもしろけりゃなんでもありの分野なのだが、かれらの書くSFの性格は、「なんでもあり」なのか、それとも80年代初期にいろいろ論議されたように、自己規制があるのか、そのへんを検証するためにも、神怪小説という流れの上で語られたこのSF史は、一読の価値があるだろう。ただし現代SF史については、1980年ころまでで筆をおき、特に新しい材料を紹介しているわけではない。
また、David Der-wei Wang(王徳威),"Fin-de-Siecle Splendor,Repressed Modernities of Late Qing Fiction,1849-1911".(Stanford Univ.Press,1997)は、中国の近現代文学についてのエッセイだが、そのなかの一章「Confused Horizons:Science Fantasy」は、清末SF史の紹介と分析になっている。なお、その前身とでもいうべ
き文章に、王徳威『小説中国 晩清到当代的中文小説』(麥田出版、1993)に収められた「賈宝玉坐潜水艇−晩清科幻小説新論」がある。
SFにかぎらないが、清末小説は、日本ではあまり紹介されていない。つい二十年前までは、この時代の小説は、一部の有名なものを除いては、中国の書店で売られることもほとんどなかったし、研究も微々たるものであった。ところが最近では、清末SFのいくつかは活字本で刊行され、容易に読めるようになってきたので、これはうれしい。ぼくも、ここに紹介したSF史関係の文章の翻訳とともに、作品そのものの翻訳をやろうやろうとは思っていて、なかなかできずにいる。
どんなお話があるかというと……
近未来の地球は、大飢饉。そのころ全地球を支配していた清朝皇帝は、大量の食糧を持ち帰るべく、百隻からなる宇宙船団を木星に派遣したものの、途中で彗星と衝突し、すべて灰燼に帰してしまった、という暗くて悲しいスペースオペラ。(陸士諤『新野叟曝言』1909年)
世界各地に出現しては、超高速で移動し、都市を次から次へと破壊してゆく飛行物体。それがついには、ニューヨークをも消滅させてしまった。ヴェルヌのエプヴァント号のような「空飛ぶ怪物」の出現に、世界は戦々恐々となる。なんとその怪物から、中国製の「嗅ぎたばこ入れ」が落ちたのが発見され、これを操っているのは中国人ではないかと疑われて、清国は弱い立場に追いやられる、という、もうひとつの「阿片戦争」みたいなおはなし。(肝若『飛行之怪物』1908年)
……などなどが、清朝末期に書かれていたのでありました。
ところで、作品を原文で読みたいというひとのために、清末から民国初期にかけての短編SFを収めたアンソロジーが出た。『清末民初小説書系・科学巻』(中国文聯出版公司、1997)である。その名のとおり「清末民初小説書系」というシリーズの一冊で、ほかに社会、偵探、武侠、愛国、笑話、家庭などのジャンルがあり、文学史の教科書では教えない、もうひとつの中国近現代文学史を読むことができる。本書は、創作SF二十二編とともに、翻訳もの九編が附録として収められている。児童向けの科学啓蒙ものなど、少し毛色の変わったものもあるが、中国人の選ぶ「科学(幻想)小説」のなんたるかを感じ取るには、手ごろなアンソロジーだ。ほとんどが当時の雑誌をひもとかなければ読めなかったものばかりである。それにしても、このような企画は、日本で言うなら「明治大正小説全集」に「SF巻」が設けられるようなもので、出版社のSFに対する度量の広さは、日本の負けかもしれない。総じて、中国は、無視するときも宣揚するときも、おしなべて徹底的なのであった。